第2話 二つの言語
いきなりだけれど、精霊たちが犯していたちょっとした間違いの訂正から始めようと思う。
先に示した通り、精霊たちは自身の発生が人の言語と深く関わっていることを看破した。だがそれすらも、少しばかり間違っていた。人が言葉を獲得した瞬間に精霊が生まれるわけではないのだ。そうではなくて、精霊は言葉ができる寸前に誕生する。そして、新しく生まれたその精霊が人に『加護』を与えることで、人は新規の単語を獲得できる。すなわち、厳密に言えば精霊の誕生が言語の獲得に先立っているのだ。
閑話休題。
言語には二つの種類がある。一つが口で話す口頭言語、もう一つが文字で書き記す書記言語だ。もっと厳密に
ともかく、精霊には同一の存在や概念に対して、口頭と書記とで二種類いる。以下ではそれぞれ、『音声の精霊』、『文字の精霊』と呼ばせてもらう。この二種類の精霊双方が、人にそれぞれの加護を付与することで、初めて彼らは音声と文字の総体、『言語』を自由に扱えるようになるのだ。
精霊たちが戦争を始める以前は、現在と同様に二種の精霊がそれぞれ加護を与えるのが当たり前だった。そこに疑問を持つ精霊など、どちらの種にも存在しなかった。
だがしかし、人が何千何万年と言語を使用しているうちに、奇妙な問題が
元々、言語は音声のみだった。だが、次第に文字という全く異質なものが誕生し、精霊も分化せざる負えなくなった。とはいえ、当初はあまり大きな混乱は起きなかった。それは、明らかに音声が人々の間で一般的で、文字の普及がかなり遅かったこと、それから文語と口語という区別があったことによる。この普及の緩慢さと明確な差異が、二種の精霊が共生する環境を整える猶予と枠組みを与えてくれたのだ。
しかし、近年になってその環境に大きな変化が訪れた。
始まりは各地でのリテラシー向上だった。文字を認識できる人が増えたことで、異種の精霊間にあった力のギャップが狭まったのだ。
そしてそこに、言文一致体の盛り上がりが重なった。音声言語と対等な地位に立ち始めた書記言語が、それだけでは飽き足らずに音声言語へと接近した。そのために、二つを隔てていた境界に綻びが生じてしまった。
だが、まだこれだけでは崩壊に至らなかった。音声の出力と文字の出力とでは、やはりまだまだ差があったのだ。何より出力にかかる時間が大きく違う。どうやったって文字は音声ほど砕けることができない。そのため、二種の精霊はなんとか互いの領分を守ることができていた。
しかし、リテラシーの向上や言文一致をはるかに上回る出来事が起こってしまった。それが、情報通信技術の発展である。この発展が、境界を完膚なきまでに崩壊させた。
誰もが手に持った端末を使い、喋るかのように文字を打つ。文字の出力時間はどんどんと短縮され、文字さえもが音声のように砕け始めた。それだけではない。本来なら大気に雲散霧消するような軽い言葉が、いつまでも残存するという倒錯までもが起こっていた。
こうなると、口頭言語と書記言語などと区分することが難しくなってしまう。自然の摂理すらも、その難儀さを解消することができなかったらしい。ついには、二種の精霊間にあった境界が崩壊してしまった。
ほとんどの精霊にとって、境界の消失は災厄だったようだ。お互い似た存在である癖に、音声の精霊と文字の精霊はまるで気が合わない。どちらもが共に、自分たちが相手よりも優れていると思い込んでいたのだ。
結果、精霊同士の戦争が始まってしまった。まったく短絡的な話だが、史実なのだから仕方がない。
この開戦は、人類にも多大な影響をもたらした。なんと、音声の精霊は北側の人類にのみ加護を与え、文字の精霊は南側の人類にのみ加護を与えると決めてしまったのだ。
これは一体何を意味するのか? 答えは簡単、人類は読み書きしかできない種と、聞き話ししかできない種に分断されてしまったのだ。こうして言語が分断されたことで、国家も文字国家と音声国家に分断された。まったく、人からしてみれば迷惑極まりないことだ。
そんな迷惑な精霊たちは、人が分断される様子を見てあることを思い付いた。精霊は自分たちが始めた戦争の勝敗を、この二種類の国家がこれからどのくらい発展するかによって決めようと考えたのだ。
精霊たちは実体を持たない、ゆえに肉弾戦によって雌雄を決するわけにはいかない。特殊な能力といえば人に加護を与えられることのみで、魔法を用いてドンパチやることも叶わない。だから精霊たちは、人を代理戦争の駒として利用したのだ。
さて、この勝負の結末は一体どのようになったのだろうか? 音声国家と文字国家、一体どちらが優れていたのだろう? その結果は、思っていた以上に面白いものだった。次は、それぞれの国家が辿った運命を見ていこうと思う。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます