第17話「別の場所での戦い」

 ――時は数日前に遡る。

 アーケア共和国の北東部、要衝の地、ファウスト市郊外の前線基地に、三人の姿があった。

 半年前まで第五十九番倉庫に暮らしていた、先代管理官、及び『人形』のイチカとニーナだった。

 三人はテントではなく、簡易構造の建物の中にいた。

 作戦本部の司令官ですら陣幕の中のテントにいるのだから、相当なVIP待遇と言えた。

「今のところの戦況は?」

 管理官の正面には、二人の少女の姿があった。片方はクールな佇まいで桃色のふわりとした長髪をした長身の少女。もう片方は日本に結った黒髪を左右にぴょこんと跳ねさせた、元気の良さが前面に現れた少女だった。

 管理官の質問に、それぞれがそれぞれの言葉で答える。

「私たちが来てから持ち直して、今は五分五分」

「来るのが一週間、いや、三日ずれ込んでたら、ファウスト、取られちゃってたかもねー」

「それくらい、ギリギリだった。物資は滞って、戦意も最低。絶対防衛ラインを守り切ってたのが奇跡なくらい」

「兵士はいるのに撃つ銃が碌なのしかないとか戦争ナメてるとしか思えない! 対戦車砲なんて全部壊れてて私が作らなきゃゼロだったんだよゼロ! そんなんで守れとかありえない!」

「今は押し返してきてるんだし、いいと思おう? ね」

 一度火が付くと止まらないのか、ニーナは二本に結った髪の毛を左右に振って、「ああもうありえない!」と繰り返す。そんなニーナを撫でてあやすイチカの姿。

 アーケア共和国とフェリシア帝国の戦争における最前線の地であるここでは、塹壕戦の元に大量の資材と大量の人員が消費された。

 我らアーケア共和国も、最初の数年間こそはそこそこ善戦していたらしい。しかしここ数年は資源や製造力で共和国を圧倒している帝国側が攻勢を強くし、防衛線はじりじりと下がっていき、交通、物流の要衝であるファウスト市まで後五キロと迫られつつあった。

 そこで共和国側の救世主として登場したのが、イチカとニーナの二人だった。

 二人は軍需物資が入った倉庫一つ分の武器情報を体の中に備えており、戦車から迫撃砲、アサルトライフルや機関銃、対物ライフルといった、ありとあらゆる武器を生成し、最前線へと送り込み続けた。

 もちろんイチカとニーナも戦線に加わり、その場で一番必要とされる武器を生成し、使用することで幾度となく共和国の危機を救ってきた。

 その一方で、管理官自身は戦場には出ない。――と言うのも、管理官が死んでしまえば、イチカとニーナの『血の契約』が解けてしまい、武器の生成に制限がかかってしまう。それだけは避けなければならなかった。

 だから管理官は建物の中にほぼ軟禁状態で放置され、戦いが行われる度に、イチカとニーナの帰りを待つしかなかった。

 しかしそんな戦争にも若干の動きが見られつつあった。ここ一ヶ月、塹壕の中でのにらみ合いがひたすら続き、軍事的衝突が一度も行われなかった。

 兵士たちの中ではつかの間の平和に気を緩める者もいて、もれなく上官から活を入れられていた。

「それにしても……最近戦いがさっぱりだけど、もうこのままなのかな?」

 ニーナがイチカの膝の上に頭を載せながら、問いかける。

「分からない。ただ私たちは、出撃しろと言われたら出撃して、敵を殺せと言われたら殺す、それだけ。それ以上のことは、私たちには分からない」

「そっかー、イチカ姉にも分かんないかー。なら仕方ないよね」

 仰向けの体勢になっていたニーナは、膝の上を転がりイチカのお腹に顔を埋める形になる。

「んー、イチカ姉いい匂……痛った! イチカ姉、叩かなくても……痛! ごめん、ごめんって!」

 スパン、といい音がしてニーナの頭が数度叩かれる。

 この二人は実に仲がいい。必要以上のことは言わないが、行動で妹への愛情を示すイチカ。その一方で、言葉で甘えるようにイチカへの愛情をアピールするニーナ。二人は第五十九番倉庫にいるときからの仲良しコンビで、お互いを補い合う、息の合う二人だった。

 その相性の良さはこの最前線でも発揮され、管理官のところに戻ってきた時に「相方がいなければ死んでいたかもしれない――」と報告したのは一度や二度ではなかった。

 だが今も二人は大きな怪我を負うことなく、戦いを続けられている。

 二人の報告を聞いて、――できることなら、このまま戦争が終わってしまえば、と。管理官はそう思うのだった。

 ――途端。

 入り口の扉が叩かれる。

「総司令官からの命令です。イチカ様に出頭願いたい、と」

 その声を聞き、イチカはニーナと向かい合って二人同時に首を傾げる。

 基本、イチカはニーナとユニットを組んでいる関係上、二人セットで扱われることが多い。

 だからイチカのみが呼ばれる、と言うことに管理官もニーナも、そしてイチカ自身も、不審に思うのだった。

「イチカ姉、どうする?」

「どうするもこうするも、命令でしょ。行ってくるわ」

 ドアを開けると、伝令主がイチカに敬礼をし、そして総司令官がいるテントへと連れて行く。

「…………何もなければいいけど……」

 ニーナは、心配そうにイチカが出て行ったドアの方を見つめていた。


 そしてその日――夜になってもイチカは帰ってこなかった。


「――――?」

 その日の夜、帰ってこないイチカの一方で、ニーナは扉の前に不審な気配を感じた。

 何やらまずそうな気がする、そう思ったニーナは床から立ち上がりかけ――それと同時に連続した発砲音が外から響いてきた。

 反射的に管理官を建物の隅に突き飛ばす。ドア越しに銃弾が何十発も撃ち込まれ、数秒もするとその音が止む。

「……なに、が……」

 起きた、とニーナの口から出る前に、ドアが蹴破られサブマシンガンを持った兵士たちがなだれ込んでくる。全員が全員、銃を二人に向け、殺意に満ちた目をしている。

「これはなんの冗談? 銃を向ける相手、間違ってない?」

 ニーナが人垣の先頭に立つ人物、作戦司令部の長官をにらみつける。ニーナを庇うように位置取った管理官は、その人物に向けて、問う。

「どういうことか、答えてもらおうか」

「お黙りいただこう。これから処分される者に発言権は無い」

 ぴしゃりと言い放った長官は、煩わしそうに眉を顰める。その手にはハンドガンが握られていて、照準はまっすぐに管理官に向いている。

「しょ…………それこそどういうことだ。私たちは何も軍規に背くことはやっていない!」

「戦争は、両国の調印により、終結することとなった。戦闘行動は、もう必要が無くなった」

「…………それが、今の状況とどう繋がると?」

「分からないかね?」

 長官の物言いに、管理官はいらだちを隠せない。思わず語気が荒くなるその一方で、長官の声はどこまでも静かで、冷酷だった。

「人形は戦争のための道具。戦争が終われば、……分かるだろう? 不要になるということだよ。いや、あってはいけない、と言うべきかな。人を元にした人体実験なんて表に出た時には、私たち全員、犯罪者扱いだからな」

「ちょっとそんな言い方――!」

 パンッ、と軽い音が建物内に響く。

「人形は口答えしないでもらおう」

 ニーナの肩に衝撃が走り、肩からは血が流れ出す。ニーナは肩の熱と共に、同時に足にも痛みを覚える。気がつけば足にも何発かの銃創があり、ズボンに血の色が広がりつつあった。

 管理官もそれを見、今すぐにでも治療をしなければ、そう思ってはいたものの、状況がそれを許してはくれなかった。

 何か不審な動きをしようものなら容赦なく撃つ。長官の、そしてその背後に立つ兵士の目がそう物語っていた。

「何か、言い残すことはあるかね?」

「イチカや、ニーナや、第五十九番倉庫の彼女たちの処遇は?」

「当然――全員、処分だ。もう一人の人形には別の役割を持たせている」

 もう一人の人形、とはイチカの事だろう。そして自分たちならまだしも、残した彼女たちまで――管理官の脳裏に、今も第五十九番倉庫に残っているミナミたちの姿が過ぎる。

 彼女たちまで全員とは、上層部はどこまで腐ってるのか――心の中でだけ舌打ちをし、長官をにらみつけた管理官は。

「用が無くなったら処分――頭の悪い上層部が考えそうなやり方で反吐が出る、とだけ言っておこう――か!」

 瞬間的に腰のホルスターから抜いたハンドガンで長官の頭を狙い、引き金を引き絞るのと同時、建物内に連続した発砲音が響く。

 容赦なく連射された銃弾は、ニーナを守るように位置した管理官の体に何発も吸い込まれていく。それは管理官が倒れた後、ニーナにも及んだ。

 二人が倒れ伏して動かなくなったのを見、長官を先頭に兵士達が建物から出て行く。

 秋が深まった夜の、数分の出来事だった。



 ――――――



 ――――



 ――



 ズキリ、と全身のどこかに強い痛みを覚えて、彼女はおぼろげに目を開いた。

 最初に感じたのは、ツンとする生臭い匂い。

 次に感じたのは、キーンとする耳鳴り。

 彼女の、ニーナが開いた目に入ったのは、赤黒い色をした、何か。

 そこには、先ほどまで人だったものがあった。

「かん…………り、かん……」

 ニーナの体は床に倒れ伏した態勢のまま、立ち上がることはできない。意識は、辛うじて繋ぎ止められているものの、それも風前の灯火。いつ失われてもおかしくは無かった。

 ニーナは下唇を噛む。イチカがいなくなって、管理官を守れるのは自分だけだった。けれど、結局は最期まで管理官に守られて、こうやって少しだとしても命を繋ぐことが出来た。人形の丈夫さのおかげではあるが――きっと、すぐに管理官と同じところに行く。そんな確信があった。

「――――、やら、なきゃ」

 ニーナの頭に過ぎるのは、先ほどの管理官と長官のやりとり。「全員、処分だ」と言い放った言葉が耳に色濃く残っている。

 ――第五十九番倉庫に残してきた自分の妹たちが、危ない。なんとか、伝えなきゃ。

 頭の中は、それで一杯だった。意識があるうちに、体が、少しでも動くうちに――ニーナは意識を強く持つ。意識を失ったら、きっとそれで最後。気を強く持ち、ニーナは最後の力を振り絞る。

 左手は、動かない。視線だけを動かすと、左腕は赤い色に完全に染まりきっていた。伸ばされた右手は――、なんとか、動いた。

 ニーナは腕を動かし――走る激痛に顔をしかめる。歯を食いしばって少しずつ腕を動かし、胸のポケットに手を入れる。ポケットの一番奥にある物に手が触れる。二本の指を使って取り出したのは、折りたたまれた白い紙だった。それは、イチカとニーナが「自分たちにもしもがあったときのために」と準備していた、妹たちへの手紙。

 手紙の文面は、妹たちを心配しているお姉ちゃんからの手紙。

 そして本当に伝えたいメッセージは、横ではなく縦に書く。『はやく そこから にげて』――と。

『これが役に立つときなんて無ければいいんだけどねー』『そうならないように、私たちが頑張るのよ、ニーナ』

 手紙を作ったときのことが、脳裏に過ぎる。イチカの優しい声に、ニーナの胸が熱くなってくる。

 ――あと、少しだけ。イチカお姉ちゃん、私、もう少しだけ、頑張るから。

 意識を強く持って、最後の仕事を行う。

 ニーナは開いた天窓に向けて、「チチ、チチチ」と何かを呼ぶような声を上げる。すると天窓から小さい何かが飛び込んできた。

「……ピヨ、ちゃん。来、……たね」

 倒れているニーナの肩に止まったのは、二十センチ弱ほどの中型の鳩だった。

 いつものように頭を撫でてやろうとも、右腕は思ったほどに動かすことができない。だからニーナは、トントンと右手で床を叩く。すると意志が伝わったのか、ピヨちゃんは右手の先へ移動する。

 右手にある妹への手紙を、右手の五本指だけでピヨちゃんの足へと結びつける。手に付いた血が手紙に付着するが、気にしていられない。意識が無くなる前に、なんとか、ピヨちゃんを妹たちのところに――。ニーナの頭の中は、それが全てだった。

 結びつけに何回か失敗し、手紙が血の海に落ちるも、ニーナは諦めない。なんとか指を動かし四度目にしてやっと、ピヨちゃんの足に手紙をくくりつけることに成功する。

「――――、でき、た……」

 片手で行ったには上出来すぎるほどに、しっかりと結ばれた手紙。それを見たニーナは満足げに微笑むと、手首だけを上げていた右手がぱたりと床に落ちる。

 右手の先にいたピヨちゃんは、何回かニーナの右手をくちばしの先で突いたかと思うと、手紙を足にくくりつけたまま飛び上がり、そして天窓から外へと飛び立っていった。

「おね…………がい、ね……」

 最後の仕事を終えて安心したからか、ニーナは体の力が一気に抜けるのを感じる。先ほどまでに感じていた全身の痛みすらも、今はもう無く、頭の中がぼーっとしてくるのが分かる。

 視界が徐々に狭まっていく。

 ――みんな。どうにか、生き抜いて

 ニーナは脳内に妹たちの姿を思い浮かべて。

 そして彼女たちが無事に生き延びることを祈って。


 彼女は静かにその目を閉じた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る