第12話「大事な人を救うために」

「……むつ、むつ……あた、しは、いいって……」

「しゃべっちゃだめ、なっちゃん、いい? 気を強く持って」

 ナナを背負って移動している途中から、ナナの体に力が入っていないことくらい、ムツミも分かっていた。

 全身に力が入っていない、まるで眠っている相手を運んでいるような、そんな感覚。負傷したナナを励ましながら山を登り――ムツミは洞窟を見つけ、ナナを運び込んだ。一番奥の平な場所に寝かせようとすると、ナナは大きく咳き込んだ。次の瞬間、口元からは血が点々と漏れ、ムツミの軍服にも付着する。

「――――っ! なっちゃん、寝て。治療、するから」

 パニックになろうとする自分を理性で抑え込み、ムツミはナナに言葉をかけ続ける。くるくると舌が回る相方だ、しゃべらなくなったら、それこそ本当に――――、とここまで考え、ふるふると首を振る。そんなこと、させるもんか。強く願うことで自分を叱咤し、手元に応急箱を生成する。

 何事もなく治療資材一式が揃ったことに、ムツミは内心ほっとする。――しかし、本番はこれから。ナナの、だらりと垂れた手を握りしめた。

「むつむつ……あたし、はッ」

 ナナの言葉が途中で遮られ、激しく咳き込む音が洞窟内に反響する。ナナの口元付近には血が点々と付いていて、ナナの容態が悪化しているのがありありと分かった。

 ナナの口元からは血が一筋流れている。それはまるで、死にゆく人が浮かべるような顔をしていて――。

「――……しゃべっちゃだめ。まず止血するから、痛いけど、我慢して」

 ギリ、と歯を食いしばる音が聞こえる。ナナの方から――ではなく、自分の口元から。

 ムツミは唇を真一文字に結んで、手を動かしていた。

 ナナの背中の数カ所、そして右足の大腿部から血が止めどなく流れ続け、深緑色だった軍服は、どす黒い色に染まっている。

 ムツミはナイフを生成し、足の傷口近くの服を切り開く。ナナの肌色は、血で赤茶色に染まっていて、ツンとした血の臭いがムツミの嗅覚を刺激する。目を逸らしたいほどの酷さにも関わらず、ムツミはそこから目を背けない。眉を顰めて、唇を震わせて、水分を含ませたガーゼで血を拭き取る。傷口に触れると、びくりとナナの体が跳ねる。その度に「ごめんね、でも我慢して」と震えた声で言葉をかけるムツミ。その大きな深緑色の瞳からは、今にも涙がこぼれそうで――けれど、ムツミは涙はこぼすまいと必死に堪える。

 ナナの体が、小さく震える。痛みに、ではなく、小さな笑いと共に。「ははっ」と自虐的な笑い声を上げて、必死に治療をするムツミの頬に触れる。

「あたしは、もう、無理っすよ。守れたの、頭、だけで」

「いいから。なっちゃんは、黙ってて」

「むつむつは、今から逃げれば、間に合う、っすから。あたしは、置い、て……」

「なっちゃん!!!」

 思った以上に大きな声が出ていたのだろう。ムツミは自分の声に驚いたようにハッと動きを止める。そして驚愕に目を見開いたナナの様子を見、顔をくしゃりと歪ませた。

「声を出したら、傷に響いちゃうから。声を出さないで。お願い、だから」

 懇願するようなムツミの言葉に、ナナは口は開けども言葉にすることはどうしてもできなかった。今までに見せたことのない真摯な眼差しに射貫かれ、胸が締め付けられる。

 つい今、自分は何と言おうとしたろう。ずっと一緒だった相方に、『私は無理だ』と、だから――置いていけと、そう言おうとしなかったか。

 こんな表情を見せられて、自分の無事を願い続ける相方に、それ以上言えるわけがなかった。

 右足の大腿部をきつく締め上げる瞬間、ナナが痛みにうめき声を上げる。「我慢して」と呼びかけるムツミの声は、どこまでも優しく、そして、頼もしくナナには聞こえた。

 洞窟の入り口からは、どこか遠くから散発的に発砲音が聞こえる。きっと、シズクたちが応戦しているのだ。

 敵が近くにいるかもしれない。もしかしたら今にもここに踏み込んでくるかもしれない。ムツミは襲われる恐怖を感じつつも、武器の生成は行わず、目の前の治療に集中する。全てはナナのために――。ムツミの頭の中は、それだけだった。

 出血が一番ひどい足の治療が終われば、次は背中の傷の番。ムツミは血を同じようにガーゼで拭き取り――それでもすぐに溢れてくる――一箇所一箇所にガーゼを当てていき、包帯で強く巻くことで止血をする。じわじわと赤くなっていく包帯に、ムツミは涙が溢れそうになる。本当に、これでナナが助かるんだろうか――心配で心配で、泣きたくなる。

 合計、四箇所。全ての銃創にひとまずの処置は行った。けれどその包帯は赤く染まり、治療が済んだとは決して言える状態にはなかった。特にひどいのは――大腿部。動脈が傷ついているのか、きつく包帯を巻いたにも関わらず血が止めどなく溢れてきていた。

 ――どうしよう。どうしよう。なっちゃんの血が、止まらない。

 ムツミの頭は、再度パニックを引き起こしそうになる。

 その時、シズクの静かに諭す声が、ムツミの頭に響いた。「落ち着いて、と」。それと同時に思い出すは、一つの止血法。

 ムツミは過去に姉から教わった方法を試そうと、ナナの足の側へと移動し、患部を両方の手のひらで押さえる。

 そしてムツミは、両手を重ねて、全体重を手のひらにかけた。

 ――圧迫止血。

 ムツミは真剣な表情で両手を押し当て、ナナをなんとか失血から救おうとしていた。

「なっちゃんは、私の、大事、な、人、だか、ら…………なっ、ちゃん、は、……」

 目尻に貯まっていく涙が、ほろりと頬を流れる。顎を伝って、ポトリとナナの軍服へと落ちる。流れがひとつ作られると、そこを通っていくつもいくつも涙がこぼれ落ちていく。

 せわしなく動いていたムツミの動きが、圧迫止血によって止まる。動くことで必死に感情を殺していたムツミは、体の中で暴れ回る感情に、ついに抗いきれなくなった。

 ぽたり、ぽたり、ナナの軍服が、その度に音を立てる。

 やがて水音に合わせて、嗚咽も混じり始めていた。しっかりと見えていたムツミの視界は、次第にぼやけ始める。

「やだよ……なっちゃん……。いなく、なっちゃ、やだ…………おねがい……」

 それは、本心の吐露だっただろう。その言葉を発した途端、堰が切れたかのように涙が、そして嗚咽が止まらなくなる。ムツミはただ、「やだ、やだよ」と繰り返す。目の前の相方が喪われることが、ただただ怖かった。

 今のムツミは、ただナナの命が少しでも流れ出さないように力を入れ続けることしかできない。それしかできない自分が、どうしてももどかしく思えて仕方が無かった。

 圧迫止血を始めて、どのくらい経ったろうか。ムツミの手に感じる包帯の感覚が、渇いてきているように思えた。しかしナナは目を瞑ったまま、先ほどから何も答えない。眉をひそめ、痛みに顔を歪ませているのが痛々しく、その表情を見ているだけで胸が痛む。

 ――そんな相方の姿は、見たくない。

 救急箱から一粒の錠剤、鎮痛剤を取り出したムツミは、それを口に含む。そしてナナに顔を近づけたかと思うと、その薄く開かれた口にムツミの口を寄せ、中にそれを移す。

 こくり、と喉が鳴ったのを確認すると、ようやく口づけから解放する。

 しばらくして、ナナの表情が弛緩して、口からすぅすぅと寝息が聞こえてきたのを見、ムツミは安堵のため息を付く。どす黒くなったムツミの手元と引き換えに、ナナの血は止まっていた。

「なっちゃん……」

 ナナの静かな寝顔を見、ムツミは一番大好きな人の名を呟く。

 一瞬悲しそうに顔を歪め、しかし腕で目を拭った後のムツミの目は、決意がみなぎるものへと変わっていた。

 まだ、外には敵がいる。今なっちゃんを守れるのは、自分しか――いない。

「私が、なっちゃんを、守るんだ」

 立ち上がって、右手に愛銃を生成。

 長距離での狙撃に長けたその銃は、相方を、仲間を守るためのもの。

 ムツミは、右手に銃を、左手に決意を握りしめ、再び戦場へと足を向けた。

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