第11話「襲撃」

「…………ん、」

 朝。ムツミは妙な胸騒ぎと共に目を覚ました。どこか息苦しいような、胸が締め付けられるような、妙な感覚。うなじに感じる、言葉にしがたいチリチリとした感覚に、ムツミは布団の中で小さく体を震わせる。

 一体何が――とムツミが周りに気配を巡らせたその瞬間、

「――――っ!?」

 ムツミは何人もの気配を感じ取った。

 それと同時に感じるのは、殺気。思わず体を震わせたムツミは、窓から見えないようにして、部屋の逆側にあるナナのベッドへとたどり着く。

「なっちゃん、なっちゃん、起きて!」

「ん、……んぁ? むつむつ、どうし、――――!」

 ナナの目が、寝ぼけ眼から急激に鋭いものになる。

「なっちゃんも、分かった?」

「うん。……なんすか? これ」

 何が、ということは二人の間では言わなくても伝わった。

 カーテンの隙間から外を伺ったムツミは、表情を歪ませて、ナナを手招きする。なっちゃんも見て、ということだろう。

 二人が見たものは、深緑色の制服を着た、複数の人物だった。背中に銃を背負い、まるで第五十九番倉庫を包囲するかのように均等間隔で立っていた。

 誰が見ても異様な光景。少なくとも、平和裏に物事が進むような、そんな様子には見えない。

 ムツミとナナは知っている。これが共和国の兵士の軍服だということに。半年前、イチカとニーナがその軍服を着て第五十九番倉庫を出て行ったから、よく覚えている。

 だからこそ、二人の頭には疑問しか浮かんでこない。なぜ共和国兵士が……? 二人は同じ事を考えるが、答えは出てこない。

「…………なっちゃん……どうしよう……」

 ムツミは、理不尽に襲いかかってきた恐怖に思わず体を震わせる。自分の体を抱きしめるように小さく震える姿は、恐怖に震える年齢相応の少女そのもので――。

「大丈夫。だいじょうぶ。――むつむつは、大丈夫」

 ナナは、震えるムツミの頭を自分の胸に抱き寄せる。優しく背中に手を回し、ぎゅ、と腕に力を込めた。

「むつむつは、私が絶対に、守るっすから。――何があっても、絶対」

 抱きしめたまま静かに声をかけると、ムツミの方からも手が伸ばされて、ナナの背中へと回される。「……うん、」と小さく小さく呟かれたムツミの言葉は、静寂に包まれた部屋の中に溶けていった。


 小さく震えていたムツミの体は、やがて震えが収まっていった。

「…………ありがと、なっちゃん」

 震えから立ち直ったムツミは、まっすぐにナナの目を見つめる。その目は既に怯えの色は無く、いつも通りの、いつも真剣で真面目なナナのものに戻っていた。

「でも……。これからどうしよう……」

「まずはミナ姉とシズク姉と合流して、まずはそこからっす」

「……そう、だね。いつでも出られる準備して、合流しよう」

 二人で頷き合うと、二人は着ていた寝間着を還し、体に精製した衣服を纏う。服はいつもの運動着ではない、防御性能が高い深緑色の軍服。

 手はいつでも武器を生成できるように空けておく。共に向かい合い、何度か深呼吸をして部屋を飛び出すと――ミナミたち全員が廊下に出てきたところだった。

「よかった、ムツミたちも気づいたのね」

 シズクが安堵の表情を見せる。けれどその表情は、すぐに引き締められる。隣のミナミも、同様の表情をしていた。

「……窓から見る限り、おそらく囲まれてるっす。そんでもって、少なくとも友好的とは思えないっすね」

「私も同じ考え。……出て行けば撃たれるし、このまま何もしなきゃ、きっと突入されちゃう」

 クゥやヤヨイが突然降りかかってきた重い空気に泣きそうになっている。コノハとムツミが二人をなだめている間、シズクとミナミは対応策を話し合う。

「なんとかして、ここから離れなきゃ……。でも、どうやって……」

「もしくは、ここに籠城するか、だけど……」

 二人が眉を顰めながら話し合いをしている中、ナナがおずおずと手を上げる。

「ここから逃げる通路、……あるっすよ?」

「「はい!?」」

 ミナミとシズクは全く同じタイミングで、同じ反応をした。


「ここっす」

 そこは、一階のトイレの用具入れだった。物を出してナナが強く用具入れの壁を押すと――回転扉のように壁が回転し、その奥には下に入れる通路が現れた。

「ここなら、きっとバレずにいけるはずっす。出口は訓練場の端なんで、変なところに出る心配も無いっすよ」

「…………ナナがこれをどうやって見つけたのか、とか、色々言いたいことはあるけれど……。

 まずはナナ、でかした。みんな、ここから逃げるよ」

 シズクの一言を機に、全員が通路の中に飛び込んでいく。

 トイレの壁奥から繋がっていたその通路は、人一人が通るには十分な高さと幅だった。

 空気が淀んでいるのか、中はじめじめとしている。上下左右の壁はコンクリートでできていて、人工的に作られたであろうと想像できる。

「ねぇなっちゃん、これって……」

 先頭を歩くナナに、ムツミが訝しげな声をかける。

 ――もしかしてこれを作ったのは、まさか。ムツミの声色には、そんな意志がこもっていた。

「まさか。これは、あたしが偶然見つけた隠し通路ってだけで、あたしが作ったわけじゃないっすよ。決して。そう、決して違うっすよ」

「……そうよね、ナナがこんなの作れるわけがないわよねぇ」

 前を向いたまま手をひらひらと振って自分は違うとアピールするその声からは、平静を装っているように感じる一方で、どこか切迫感が伝わってきていて。殿を務めるミナミから納得する声が聞こえた瞬間、安堵感からか大きく息を吐き出す声が聞こえた。

「――それはそうとして。ナナがどうやって私から逃げてたのかがよぉく分かった。これらが終わったら覚悟しておきなさいね」

「…………、あは、ははは。お手柔らかに」

 その直後ナナが、びくりと肩を震わせたのを、ムツミは見逃さなかった。


 通路を這って進んだ時間は、二十分ほど。しかし彼女たちにとっては何時間にも感じられたことだろう。

 自分たちが住んでいた場所が、味方だったはずの共和国軍の兵士に包囲されたという事実。逃避行の道中で、いつ背後から敵が襲ってくるか分からない、細い通路の中。神経は張り詰め、いつ緊張から感情が爆発してもおかしくない状況。しかし誰もが平静を保つことができたのは、彼女たち姉妹が全員揃っているからだったろう。

 先頭は勝手知ったるナナ。最後尾をミナミが勤める。声を掛け合い、彼女たちは通路の最終地点へとたどり着く。そこは四方向が壁で囲まれた、1メートル四方の空間だった。

「ここが出口、っすかね」

「……出口って言えば、出口、だけど……」

 ムツミは上方を見上げ、呟く。

 真上に伸びた通路の先、小さく光が漏れている天井までは、三メートル近くほどの高さがあった。

 壁はつるりとしたコンクリートのまま、梯子もなければ足をかける凹凸も無い。このまま出られないんじゃ……という不安げなムツミに、ナナは笑ってその頭をくしゃりと撫でる。

「ここから出るには、こう、するんすよッ!」

 言い終わるやいなや、ナナは跳躍、目の前の壁を蹴り上げたかと思った次の瞬間、今度は逆側の壁を蹴り上げる。上昇する勢いのまま拳で殴った天井は、大きな金属音を上げて四角い空を覗かせる。

 軽い足音を立てて通路へと着地したナナは「後はあたしが出て、一人ずつ引っ張り上げるだけ。もしあいつらが通路を見つけても、そうそう登れないっすよ」と笑ってみせる。

 彼女たちの身体能力があってこその脱出法。やはりこの通路は、倉庫の内情を知っている者が作ったものなのではないか、ムツミは思う。

 ――そして、ここが『万が一』のために作られたであろうことも。


 通路からは年長者から出て行くことになった。仮にも彼女たちは襲撃を受けている身。隠し通路を通って脱出したとは言え、いつ敵が現れるかは分からないから襲撃には警戒しないと――とは年長者のミナミの談。

「ここはうちの裏山を超えた先っすよ? 闇雲に探したところで見つかる場所じゃないと思うんすけどね」

「それでも。私は最悪の状況を想定して動かなきゃいけないの。イチカとニーナからみんなを任されているわけだしね。――と言うわけで、みんな、ここを出たら目標地点はこの間ピクニックで行った建物。もしかしたら、途中で襲われるかもしれない。それでも皆――生きて、たどり着いて」

 シズクが真剣な声で言う。全員が同時に頷く。

「――そしたら」

 ピンと張り詰める空気の中。地下通路の中に、一際明るい声が響いた。

「無事逃げ切ったら、またみんなで一緒にピクニックっすね! その時は、リコっち管理官と一緒に!」

 空間の中にナナの声が反響する。数秒の後に、後ろの方から吹き出す声が響いた。

「そう、ね。その通りだわ。管理官も戻ってくるし、そしたら皆で、ね?」

 シズクの声に、空間内の空気が柔らかく弛緩する。緊張で強ばっていた彼女たちの表情も、どこか緩んだようにシズクには思えた。

「じゃあナナ、よろしくね」

「りょーかい、っすよ!」

 跳躍一番。先ほどと同じ動きで出口の縁に手をかけたナナは、一足先に通路から脱出。うつ伏せになって通路の中へと手を伸ばす。同じ要領でミナミが跳躍し、何度か失敗しつつもなんとかナナの手を掴み、通路の先へと出て行った。

 時間はかかったものの、ミナミ、シズク、コノハと出て行った後。ムツミは妹の二人を先に出すべきだと提案。不安そうな顔をしていたヤヨイとクゥを下からも持ち上げ、先に脱出させたムツミは、通路の中に一人になった。

「さ、むつむつで最後っすよ」

「うん。なっちゃん、ありがと」

 澄み渡るほどの青空が、通路の枠で四角形に切り取られて見える。ナナの人なつっこい笑顔が、青空を背景に眩しく写った。

 通路の中へと手を伸ばすナナに、ムツミは手を伸ばして――――。

「――――がッ!?」

 ナナの手が、びくりと痙攣した。

 そしてその数秒後、立て続けに二回。

 ナナの顔が、苦悶に歪むのを見た。

「なっ、ちゃん……?」

「いい、から。むつ、むつは、はやく、手を…………、ッ!?」

 ナナのその手が、何かに反応するように、びくりと大きく跳ねる。

 通路の先、外からは何か乾いた音が散発的に響いた。

 ムツミは必死に手を伸ばすナナの手を掴み、そして強い力で引き上げられる。草原へと這い出したムツミは、ナナに声をかけようと振り向いた。その瞬間。

「伏せてッ!」

 突然ナナに後頭部を引き寄せられ、地面に額を強打する。

 頭上を、何かが空気を切って通り過ぎるのを聞いた。

 ――それは間違いなく、銃弾が近くを通り過ぎる音。

 狙われている――!? ムツミはそう悟る。しかし動くことは、どうしてもできなかった。

 後頭部はナナの手で押さえつけられたまま、顔を上げることができない。伏せたときに擦ったのだろう、額と鼻の頭がじんじんと痛み、口の中は草の味がする。

 狙われている場合は無理に応戦しようとせず、伏せて頭を守る。これが鉄則であり常識。ナナはそれをムツミよりも先に察知して、自分を伏せさせたのだと、今も狙われているだろうから応戦しないように頭を守ってくれているのだと、そう想像する。――ただ、ナナから感じる違和感に、ムツミの胸の鼓動は変に高鳴ってしまっていた。

 何が起こっているんだろう、視覚は草原に覆われて、聴覚と触覚でしか感じ取ることができない。先ほど聞こえていた銃声は、もう聞こえない。自分の顔はひりひりと痛むけれど、撃たれたような痛みは無い。

 しかし銃声が聞こえなくなっても、ナナの手は、ずっとムツミの後頭部にあった。

「……むつむつ、大丈夫、っすか?」

 声をかけられたその瞬間、押さえつけられていた手も頭から離れる。

 おそるおそる顔を上げると、共に伏せていたナナの、心配そうにはにかむ姿があった。先ほどまでナナに触れられていた後頭部が、じんわりと熱を持っているのが分かった。

「うん、私は大丈、――――」

 腕を使って、体を起こしたムツミは、

 視線をずらして。

 そして、見てしまった。見えてしまった。――分かってしまった。

「な、っちゃ、……それ…………」

 ナナが、今も地面に伏せたまま、立ち上がれない理由に。

 ナナの軍服が、背中が、足が、どす黒い色に染まっていることに。

 その色が、じわじわと広がっていることに。

 ――ムツミを引き上げようとした瞬間に、何があったのかということに。

「…………あは、はは。……やられちまった、っすね」

 弁明をしないで、ナナは小さく笑うだけ。

 笑う仕草が、いつも通りで、その笑顔がいつも見ているナナそのもので。だから、ナナが撃たれたのだという事実を、頭がどうしても理解しようとしない。


 撃たれたのはどこから?

 なんで自分たちの場所が分かったの?

 敵はまだいるの?

 ミナミ姉さんやシズク姉さんたちは?


 いやまず治療しなきゃ撃たれたなら場所を特定してすぐ止血して化膿しないように消毒していや出血が多いならまずは止血しなきゃ包帯はどこから出せばいいんだろういやその前に一体何発なっちゃんは銃弾を受けて――――


 ムツミは、じわじわと軍服が濁った色に染まっていくのを見る。いや、それを見ているしかできない。

 疑問と、しなければならないことと、感情とが、一気に頭を駆け巡る。手は震え出すだけで、動き出そうとしない。

 一瞬にして錯乱状態に陥ったムツミは、自分の左腕にナナの手が触れるのを、その感触が来るまで分からなかった。

 にぃっと、口角を上げて笑ってみせたナナは。

「むつ、むつは。逃げ、て。……こ、こ、から、」

 ナナの肩は、大きく上下している。

 息は荒く、一言を言うことすら、辛そうで。

 その口の中では、歯を食いしばっているようにも見えて。

「あた、しは。こ、のまま、……おい、」

 ふっと。

 表情から力が抜けたように思えた瞬間。

 手が、ムツミの腕からするりと離れる。


「………………ぁ、」

 手が地面に落ちるまでの時間が、ムツミには永遠のように感じて――――。

「――――――――――――ッ!」

 ミナミとシズクが山手の方から走ってくるのを見たのは、その直後だった。

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