第6話「魔法のパンケーキ」

 ある日の夜、リコリスはベッドの中で考えていた。

 彼女たちと仲良くなるにはどうすればよいか――と。

 現状、彼女たちの代表役のシズクを通して色々と話はして、彼女たちについての情報こそあれど、彼女たちと直接話したことはほとんどない。シズクの次に話したとすればナナだろうか。人なつっこい彼女は、リコリスを時折「リコっち」と呼び、何でもないことでも話しかけてくれる。話したことがあるとすれば、その二人だろうか。けれど話したことのない子と仲が悪いかと言えば、そうでは無い。

 彼女たちは本当に良い子だ。突然異分子である自分が来ても、それを邪険に扱うわけではなく、自然に受け入れてくれた。管理官という立場は、彼女たちを見守る仕事だと引き継ぎノートに書いてあった。リコリスはそれを全うしてはいる。けれど――どこか、もったいないと、そう思わずにはいられないのだ。

 せっかく彼女たちと同じ屋根の下に暮らしているのだから、彼女たちともっと仲良くなりたい――。リコリスは、そう思うのだった。

「うぅーん……」

 ベッドの中で唸るリコリス。枕を抱きしめて大きく深呼吸。すぅ、はぁ。けれど何か妙案が浮かんでくるわけでもない。

「ヤヨイちゃんやクゥちゃんみたいなちっちゃい子を慣れさせるんだったら、お菓子とかの甘いものを食べてもらうのが一番なんだけど……。ここにはそんな料理する道具も材料も無いしなぁ……」

 リコリスは士官学校時代、学食で注文できる甘いものをよく嗜んでいたし、小遣いが心許ないときなんかは寮のキッチンを使って、自炊で甘いものを大量に作って食べたりもしていた。

 そのスキルがここで生かされるか――とも一瞬考えはしたものの、食料は彼女たちが自分で生成するおかげで食料の備蓄なんてものは存在しない。もちろん、第五十九番倉庫の中を隅々まで探したが、キッチンも無ければ調理器具も無い。

「むぅぅぅ……」

 八方塞がりだった。彼女たちの胃袋をがっちりと掴んでしまおうという作戦は棄却し、別のものを考え――ようとして、ふとリコリスの頭に一つの考えが浮かんだ。

 前管理官が残した引き継ぎノートの一文。

『リビングにある電話は参謀本部に繋がっている。火急のことがあれば電話を使用すること』

 ――無ければ、準備させればいいじゃない。

「……これだっ!」

 リコリスの口元は、否応にも横に広がっていた。

 善は急げだ、とばかりに飛び起きたリコリスは、管理官用の部屋を出てその二つ隣――ミナミとシズクの部屋へと飛び込んだ。

「ねぇシズク! 出してほしいものがあるんだけどっ!?」

 バンッと開いた扉に、椅子に座って談笑していた二人の視線が一気にリコリスへと向かう。

「しーっ、夜は静かに、管理官。――出してほしいものって、なんですか?」

 人差し指を立てて、唇に当てるシズク。その仕草は綺麗で、オレンジ色の照明に照らされた彼女は、やけに美しく見えた。

「あ、ごめんごめん、えぇっと、お菓子作りをする材料なんだけど。卵とか、砂糖とか、牛乳とかって、出せたりするかな?」

「…………うぅん、食べもので出せるとすれば、毎食で出す乾パンと缶詰、くらいでしょうか……。一体、何に?」

「うぅん、秘密。じゃあ一つ質問。例えば、袋に入った粉を袋ごとあなたたちが食べたら、同じものを出せたりする?」

「それは、できますよ。私たちが武器を食べて生成できるように、缶詰や乾パンも可能だし、言ってしまえば迫撃砲に使う火薬も既に私たちの記憶の中にありますから、いつでも生成できますけど……それがどうしましたか?」

「そっかわかった、ありがとう!」

 リコリスは自分の考えた作戦が実行に移せると分かり、胸の中から溢れるわくわくが止まらない。まるで子どものように、胸の中はうきうきとして。リコリスの表情は喜色満面となっていた。

「あの、管理官……一体何を企んで……」

 訝しげな視線を向けるのはミナミ。その一方でシズクは、何やら面白そうなものを見ている、といった柔らかな笑みを浮かべている。

「えへー、詳しくは秘密。あなたたちと仲良くなる、とっておきの方法だよっ!」

 そう言い残し、リコリスは勢いよくドアを閉める。

 そして心だけは最高速で、足は音を立てないように抜き足差し足で一階へと降り、リビングの隅にある電話の受話器を取った。

「――もしもし。私は受品部、弾薬部部長、衛生備品管理部班長。第五十九番倉庫の管理官の、リコリス・ハーミット。火急第五十九番倉庫に取り寄せてもらいたいものがあるのだけれど……いいかしら? えっと、その内容は――」

 リコリスの声が、誰もいない、真っ暗なリビングに響いていった。


「――ちょっと私は荷物を受け取りに行ってくるから、あなたたちはシズクの言うことをよく聞いて、訓練してね」

 翌々日の朝、リコリスは朝食を食べ終わった後の彼女たちに向けて、そう言い放った。

「荷物を受け取りにって……外に、ですか?」

「ええ、ちょっと、ね。皆が訓練を終えるときには戻ってるだろうから、そこは心配しないで。それとシズクにお願いがあるからちょっと後で」

 シズクを向いてウィンクをするリコリス。

 今までと違い――いや、つい先日に夜に押しかけてきたときと同じように、妙にテンションが高いリコリスに、シズクは何やら違和感を覚えつつも、その表情がうきうきとしているものだったから、それを口に出すのは躊躇われた。


「野営用のカセットコンロと、スキレットと、人数分の皿……ですか? ええ、確かに出せますけど……一体何に使うんですか?」

「えへへー、ひ・み・つ」

「――はい、使い方は分かりますね? くれぐれも、火事などは起こさないように」

 シズクはほんの数秒でリコリスのお願いを叶えてみせる。軍で使う備品のほとんどを過去に『食べた』ことがある彼女は、軍で使う道具であれば武器であれ日用品であれ、あらゆる物を出せるようになっている。

 リビングの机の上には、野営用の携帯型コンロ、小さめのフライパン状のスキレット、そして八枚の皿が準備された。

「分かってる分かってるって! じゃ、私も行ってくるから、シズクたちは訓練頑張ってねー」

 そう言ってリコリスはリビングに野営用の道具を残し、第五十九番倉庫を出、獣道を駆け出し始めた。


 時は過ぎ、夕方六時前。

 空の色が茜色から藍色に移り変わる頃、彼女たちは訓練から戻ってきた。

「……あれ?」

 玄関の扉を開けた途端、家の中の何かが違う、と最初に気づいたのは最年少のクゥだった。辺りをきょろきょろと伺って、鼻をすんすんと動かし、そして首を傾げる。

「なんか……ふわっとした匂いがする……?」

「確かに、どっかから甘い香りがするっすね。……管理官が果物の缶詰でもぶちまけたとか?」

「それは管理官に失礼だよ、なっちゃん。缶詰の匂いというよりは、もっと別の、香りのような……?」

 先に気づいたクゥに遅れて、鼻をひくひくと動かしながら辺りをきょろきょろと見回すナナは、ムツミとそんなことを言いながら足を進めて――。

「あれ? 管理官。そんなとこで何してるんすか?」

 そして、その人物の姿を認めた。

 リビングは鼻で呼吸をすると思わずほっとするような、そんな甘く温かい香りに包まれていた。そしていつもは何もないはずの机の上には、皿の上に乗ってきつね色の、何か。

「みんなおつかれ。訓練を終えたみんなに、ご褒美用意しておいたよ」

 ナナの声に振り向いたリコリスは、はにかんで手に持った小さなフライパン――スキレットを動かす。

「ごほうび……ってなんすか? そんでもってこの匂いは?」

 聞き慣れない言葉に首を傾げるナナ。その様子に、リコリスは吹き出すようにその笑みを深くする。

「えっへっへー、みんながいつも味気ないものを食べてるから、お菓子の一つでも作ってあげようって思って、焼いてたんだー。もう全員分揃ってるよ?」

 イタズラを成功させた子どものような笑み。

 リコリスが持つスキレットの中では、きつね色のパンケーキがじゅうじゅうと音を立てていた。

「ねぇシズクシズク、『おかし』ってなに?」

 クゥが興味津々といったように隣に立っていたシズクの服の裾を引く。シズクは数秒間固まっていたが、はっと我に帰ってからクゥと目線を合わせるようにしゃがんで、頭を撫でつつ説明をする。

「お菓子っていうのはね、とっても甘くて、おいしいものなの」

「ご飯で食べるかんづめよりも?」

「きっと、ね。管理官が作ってくれたものなら、きっと美味しいわ」

 シズクの説明に、クゥも、そして年少組のヤヨイも、目を輝かせ始める。

 シズク自身も、目線は興味深そうにリコリスの手元へと向いている。年少組ほどではないにせよ、気になっているようにリコリスには見えた。

「じゃ、食べよ! 食べよ!」

 そう言うやいなや、二人はばたばたとリビングの中へと向かい、いつも自分がご飯を食べる場所にいち早く座る。

 それを見、リコリスはにんまりとほほえむとコンロの隣に用意していた瓶の中にスプーンを入れる。中に入っていた黄金色の液体を一掬いし、皿の上のパンケーキにかけてやる。

 するとリビングに漂っていた甘い香りが、更に強くなった。

 八枚ある皿の上に、二枚重ねのパンケーキが乗せられていて、その上から黄金色の液体――ハチミツを順番にかけていく。

 キラキラと光っている液体をかけていく様は、端から見るとそれはまるで魔法の様で――。リコリスは八枚の皿全てに、パンケーキが更に美味しくなる魔法をかけていく。

 そして全部の皿に光る液体が乗ったかと思うと、リビングのテーブルに座る全員の前に一枚ずつ、皿とフォークを置いていく。

 クゥを始め、彼女たち全員の目が、パンケーキに釘付けになる。ただの少女がパンケーキを前にして目を輝かせているように、リコリスには見えた。

 ぐぅ、と。どこからかお腹の鳴る音がする。

「ねぇシズク、食べていいの?」

 目の前においしそうなものがあるが食べられない――まさにお預け状態になっているクゥは、今すぐにでも食べたい、と言わんばかりにキラキラした目でシズクを見つめる。

「ええ、もちろん。ですよね、管理官?」

「もちろんよ。もっと食べたいなら焼くから、遠慮しないでどんどん言いなさいね?」

「それじゃ、いただきます!」

 そう言うやいなや、クゥはグーで持ったフォークをパンケーキに突き刺し、むさぼるようにパンケーキに食らいつく。ハチミツが鼻につくのも気にせずにかぶりついたパンケーキ。咀嚼して、飲み込んだかと思うと――――。

「――――――っ! なにこれ! なにこれ!?」

 目をまんまるに見開いて、その目をきらきらと輝かせて。

「あまくてふわふわしててあったかい!」

 そう言って二口目にかぶりつく。そして満足そうに目を細めて、もぐもぐと咀嚼する。両方の手のひらを手に当てたクゥは心底幸せそうにはぁ、と息を吐く。

 そんなクゥを無言で眺めていた少女たちは、半信半疑といった表情を浮かべて自分の席へと座り、置いてあるパンケーキに口をつけて。――そして同時に、目を丸くした。

 いつもはおしゃべりなナナも、このときばかりは言うべき言葉が見つからないのか、目を見開いてただまくまくとパンケーキに食らいつく。その隣に座るムツミも口元に手を当て、驚いたように目をまん丸にして、そして笑顔を見せる。

 あまり表情を見せないシズクも、コノハも。普段とは違った表情を――笑みが堪えられないと、そんな表情を浮かべていた。

 ――その表情が見たかったんだよ、私は。

 リコリスは胸の中でそう呟く。

 食べることというのは楽しいことで、美味しいものを食べると幸せになるんだ、と。人としてものを食べて、生きる彼女たちに教えたかったのだ。

「おかわりっ!」

 クゥの元気な声がリビングに響く。

「はいはい、今焼いているものを入れてあげるから――」

 と言う間に、とてとてと皿を持ったクゥがリコリスの元へと歩いてくる。

 目をキラキラと輝かせて、満足げにリコリスを見上げるクゥを、顔に笑顔を浮かべながらパンケーキを食べる彼女たちを見て、

 ――作戦は成功、かな。

 リコリスはそう思うのだった。



 なおこれは余談になるが。

「管理官、また作って!」

 パンケーキの夕食を食べ終えた彼女たちは、部屋に帰ることなくリコリスにそう言って詰め寄った。

 よほど満足したのだろう、クゥやヤヨイといった年少組だけでなく、その中にはシズクやミナミの姿すらもあった。

 今までが缶詰の食事しかしてこなかった彼女たちが、あんな甘くて温かいものに惹かれないわけがない。しかしまた作ってと言われたところで、ここは人里離れた第五十九番倉庫。物資などはあるわけがない。今回こそ材料を調達してもらって作ることができたものの、再び作るには普通であればまた参謀本部に電話をして取り寄せることが必要になる。

 ――しかし、ここにいるのは物を食べれば全く同じ物を生成できる彼女たち。

 予備としてもう一セット準備してもらったパンケーキの材料――卵、バター、牛乳、サラダ油、砂糖、薄力粉、ベーキングパウダー、ハチミツ――袋や瓶を丸ごと誰かに食べてもらえば、また食材を出すことができる。彼女たちにそう言うと、「私が食べる」「いや私が食べる」の大激論が起こった。このままでは喧嘩が起きかねないとシズクの仲裁が入り、全員が均等になるように材料を食べてもらうことでその場は収まった。

 ――以降、リコリスがリビングに向かうと、誰の差し金かパンケーキの材料と機材一式が机の上に乗っていることがしばしばあり、朝食や夕食の場に、何度もパンケーキが並ぶことになるのは、また、別の話。

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