第4話「少女たちに残されたもの」
階段を上って二階。一番手前の部屋が管理官用の部屋だ、とシズクに案内され、鍵を渡された。
先ほどのやりとりの通りであれば半年間使われていない部屋ということになるが――意を決して扉を開けると、思った以上に綺麗に整頓されていた。誰かが管理してくれていたのだろう、床には埃一つ落ちていなかった。
部屋の中は、向かって正面には学生寮の時にもあった袖机付きの机。部屋の角隅にはベッドが備え付けられている。広すぎず、けれど狭すぎない。そのような印象の部屋だった。
暑苦しい軍服を脱ぎ、皺にならないようにハンガーに掛け、持ってきた鞄の中から動きやすい服を見繕って寝間着代わりにする。
「さて、私もそろそろ寝ましょうかね……ん?」
ベッドに向かうところで机の方をちらりと見ると、一冊のノートが机の上にあるのにリコリスは気づく。
ただの無地のノートであれば無視することもできた。けれど表紙に堂々と『引継書』と書かれているのを見れば、軍人として見ないわけには行かなかった。
「…………こういうのは、見ておくべき、よね」
椅子に座り、電灯を付けノートを開く。
【『人形』について】
【この家に住む造られた人を、参謀部は「人形」と呼んでいるらしい。ここでは上層部にならって人形と表記することにする。】
「…………なによ、『人形』って」
初めの文章を見ただけで、リコリスの頭にはふつふつと怒りが湧いてくるのが分かった。先ほど話していたシズクも同じ表現をしていたが、その言葉を使うときはやけに自虐的というか、悲しそうな声色をしていたものだった。
リコリスの脳裏には、ナナの猫みたいに笑ったときの表情が浮かんでいた。「やっと名前を呼んでくれたっすね」と嬉しそうに笑うナナは、紛れもなく、人だった。
「私たちと同じように、面白そうなときは笑って、関節決めたら本気で痛がって。そんな子たちが、『人形』な訳、ないじゃないの……」
参謀部と前管理官への言いようのない怒りで、ページを持つ手が震える。
彼女たちは、人間だ。ほんの小一時間話しただけだけれど、それは確信と共にリコリスの胸の中にある。彼女たちは、ほんの少し食いしんぼうで、ほんの少し特殊な力を持っただけの、人間なんだ。
リコリスはそう胸の中で訴え続ける。
今後も、彼女たち――半分以上の子は話すことはできなかったけれど――は人間として接しよう。人形だなんて、そんな言葉は、使わせない。彼女は、そう強く思った。
「……なんかこれ以上見たくないんだけど……、引き継ぎ文書だし…………」
最初の数行で考えが遠くに行ってしまっていたリコリス。後任のために残された物を見ないのは失礼と思い、いやいやながらも、その続きを目で追い始めた。
【以下は家に住む人形の外見的特徴を示す】
先ほど話した二人の名前、シズクとナナの名前の後に書き綴られた身体的特徴は、リコリスが見たままの姿が書かれていた。今日会えなかった残りの子たちの特徴のさわりの部分だけを見、リコリスは続きを読み進める。
【リビングにある電話は参謀本部に繋がっている。火急のことがあれば電話を使用すること】
【人形たちは能力の特性上、最前線に立つことが想定される。そのための戦闘訓練を毎日行うこと。なおその際には、各自の得意分野を生かすよう、訓練を行うこと。
人形のスペックは高いものの、個として運用するにはまだ弱い。そのため戦場に立つ際は二人一組でユニットを組んで、弱点を補い合う形での使用を想定している。
管理官の役割は、人形を日々訓練し、見守り、戦場に立てるまでを管理すること】
「戦闘……訓練……」
リコリスはぽつりと呟く。
「…………そう、だよね。武器を補給するってことは、戦いがない後方にいるわけにはいかない。それこそ、最前線にいなきゃいけないんだ。管理官の役割は……彼女たちを、訓練……すること……」
シズクやナナを戦場に送るための訓練をしている自分を想像すると、胸がずしりと重くなってくるのを感じる。
彼女たちに感情移入すればするほど、戦場に送るための訓練ということが辛くなってしまう。
――前指揮官も、そんな葛藤を覚えたのだろうか? だから、引き継ぎ文書でも心を鬼にして『人形』という表記をしているのではないだろうか?
願わくば、彼女たちが戦場に行かないまま戦争が終わってほしい。今最前線で尽力しているであろう、イチカ、ニーナそして前管理官。彼女たちの力で戦争を終えることができれば、どれだけ良いことか……。
「…………ま、急いで考えることじゃないから、おいおい、考えていきましょうかね」
引き継ぎ用のノートの最後のページまで読んだことを確認して、リコリスはぱたんとノートを閉じる。
――辞令をもらってやってきた第五十九番倉庫。備品管理倉庫の物を管理する仕事かと思ったら、少女たちの管理をするのが仕事だった、と。
リコリスは今日一日をまとめて、そう締めくくった。
綺麗に整えられたベッドに入り、リコリスは目を瞑る。
これから始まる、辞令を受けたときにはまったく思い浮かべていなかった生活。
何が起こるのかは分からないけれど――少なくとも、退屈することはないだろうなと、リコリスはそう思った。
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