第3話「血の契約」

「血って……どういうこと?」

 リコリスは未だにナナの胸倉を掴んだまま。回答次第によってはもう一度揺さぶるぞ――と睨みを利かせる。

 そんなリコリスの視線を受けても、にへら、と笑ったままのナナは続ける。

「睨まないでほしいっす。別に変な意味じゃないっすよ。えっと、リコっち管理官が、あたしたちの管理官だってことを、体に覚え込ませる必要があるんす。そのために手っ取り早いのが、一滴でもいいから体液……まぁ血液が一番分かりやすいっすね、舐めることっす」

「……体液……」

 やけに意味ありげな物言いだな、と思いながら。リコリスはその話を聞いていた。

「あ、血じゃ無くてもいいっすよ? 例えば――あ痛っ!?」

 スパン、とナナの額でいい音が鳴った。リコリスの頬はどこか赤くなっている。

「……で、私の血を舐めて覚え込ませるとどうなるのよ?」

「そうすると、あたしたちが生成したものでも、リコっち管理官が持っている限りその物は消えないんす。ご主人様が持っている物は消えない、って理論っすね」

「そして、」

 ナナの言葉を引き継ぐように話し出したのはシズクだった。

「私たち『人形』は、そのままではあくまで個としての力しか発揮できない。管理官という一人のまとめ役を心身共に認めることで、全ての力を発揮できる――そう思ってくれれば幸いです、管理官」

「…………ふぅん。まぁそういうことならいいわ」

 ――人形。あえて自虐的にその名称で自分たちを表現したシズクに思う所を感じつつ、リコリスはそう言うと護身用のナイフを取り出す。切り傷や擦り傷を作るのは士官学校で嫌と言うほど慣れている。今更傷の一つや二つ増えたところで何も気になるリコリスではなかった。

「じゃあシズクとナナは手のひらに血を落とすけど……。後ろの子たちはどうするの?」

 先ほどから背後に感じていた視線。シズクたちの言葉から、おそらくは彼女と同じ子なのだろうと思えた。

「あー……みんなちょっと恥ずかしがりなんで、これの上に垂らしてもらっていいっすか?」

 ナナの手のひらが光り、その上に食事で使うような皿が現れる。

「ん、分かった」

 リコリスは人差し指の腹にナイフの刃を当て、すぅっと滑らせると人差し指にぷつっと赤い滴が生まれる。

 リコリスはシズクの手のひらの上に、そしてナナの手のひらの上にそれぞれ一滴ずつ血を垂らす。

 二人は迷うそぶりもなく、それを口にした。

 ――自分の血を舐められているという状況は当然ながら初めてで、リコリスはなんとも言えない気持ちになる。

 そして、皿の上に数滴ぽたぽたと足らすと、ナナはリビングの出入口に向かって歩いて行った。

「……シズクもナナも、血を舐めても、特に何かが変わる訳でもないのね」

「あくまでも、私たちの体の中のことですから。けれど、これで『血の契約』は果たされました。これで管理官は、名実ともに私たちに選ばれた管理官ってことになります」

「まだここに来て何時間も経ってないのに……」

 まっすぐにシズクに説かれて、リコリスは思わず恥ずかしさに視線を逸らす。

「いいえ、あなたは私たちのことを聞いて、その上で私たちを否定せずに受け入れてくれました。私はそれだけで、管理官が信用に足る人物だと判断します。ここにいるナナも、この話を聞いている妹たちも、きっとそう」

 きゅ、とシズクに手を握られる。その手は温かく、人の温度そのものだった。

 初めこそは左遷の辞令かと思ったが、そんなことはなかった、とこの時リコリスは確信した。

 ちょっとだけ不思議な能力を持つ女の子たち、人と同じ姿をして、人と同じく話して、考えて。そして自分たちが受け入れられたと知ってほっと表情を緩ませる。こんな子たちを『人形』などと呼ぶなんて、私にはできない。人として接し、人として一緒にいよう。そう思えた。

「全員分の契約、終わったっすよー」

 元気にそう入ってきたナナ。その後ろの方には、背の高さも髪色もバラバラの、五人の少女たちがいた。興味深そうにリコリスの姿を見ていたが、リコリスがそちらの方を向くとすっと壁の後ろに身を隠す。

「……彼女たちとの挨拶は、また明日、かしらね」

 シズクは苦笑しながら彼女たちが隠れた方を見て、くすりと笑う。

「ね、シズク。最後に一つだけ質問させて。あなたたちは全員で何人いるの?」

「ミナミ、私、コノハ、ムツミ、ナナ、ヤヨイ、クゥ――今ここに住んでいるのは、合計で七人ですね」

「言い方に裏があるわねぇ。……他には?」

「そこまで察せられる管理官だと助かります。私たちにはイチカとニーナという姉二人がいます。今は前管理官と一緒に戦場に行ってますね。――『共和国の秘密兵器』、としてね」

 あっ、と思わず声に出るのをリコリスはなんとか押しとどめた。今まで散々新聞の中で見たそのものが、人物こそ違うけれど、今目の前にいるのだから。

「…………その二人が戦場に出たのは。……半年前ね?」

「ご明察」

「――――血の契約の期間ってもしかして……半年間だったりする?」

 その質問をすると、シズクはハッとした表情を見せて、それから息を殺して笑い始めた。

「まさか、ここまで頭の切れる管理官が来るとは思ってなかったのですが……。それもズバリ。大正解」

 リコリスは、ロムルス大将が出発を急がせた理由がやっと分かり、今日の苦労は理由があったのだなと一人納得する。

「まだまだ質問はあると思いますが今日のところはここまでにしましょう。姉妹たちの紹介は、明日また行います。寝室まで案内しますから、着いてきてください」

 シズクが立ち上がり歩き出すのを見、リコリスが慌ててその後を追いかける。後ろの方から「管理官、おやすみなさいっすよ」と聞こえたので、手だけで合図をした。

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