第48話 怪人カメラ女の、日常と愛情

「……それは、大変な願いですね」


 樹から話を聞いて、ハジが苦笑いを浮かべる。


「でしょ? 呉次郎君以外には全然素直じゃないからねえ、クーニャちゃん」

「心根は凄く素直なんですけどね。境遇を考えると、それこそ奇跡みたいに」

「だから好きなの?」


 樹が特に構えず言ったひと言に、ハジが数秒、沈黙する。軽く息を吐いてから、


「……お見通しですか」


 やはり苦く笑った。


「今回、そういう意味では唯一嫌な結果になったのは君じゃないかなって……優しい元代理人としては少し気になってるのだよ」

「おどけて言わなくても、樹さんは優しいと思いますよ」

「う……そう言われると困るな。やあ、一応ほら、ひとの願いには敏感だから。誰かの願いが叶うことで、誰かの願いが叶わなくなる……一番そのパターンが多いのは、恋だし」

「樹さん」


 ハジは特に傷付いた顔も見せず、薄く笑う。


「僕の公言してる願い、知ってます?」

「いんや?」

「『世の中の人間が僕以外全員女ならいいのに』です。クーニャに出会って間もないころから言ってるので……彼女は僕を、とにかく女の子が好きな変態だと思っています。まあ、まるっきり演技というわけでもないんですが」

「その願いは嘘、ってことかい?」

「いえ百パーセント本気です。だってもしそうなったら、僕しか選びようがなくなるでしょ」

「……ああ」


 納得した、という顔で樹が溜息をつく。


「僕はつまり、彼女が気付いてなかったことに、とっくに気付いてたんですよ。そして、僕はそのときから、クーニャの隣ではなく、クーニャを撮る人間になると決めたんです」


 一拍置いて、ハジは樹の「どうして?」という顔に答える。


「クーニャは覚えてないみたいですが、僕と出会ったころにはまだ『カメラになる』って言ってたんですよ。そうしないと、大切なものを覚えていられなくなるからって。でも樹さん、解りますか? どんなに優秀なカメラにも、絶対撮れないものがたったひとつだけあるんです」

「それは……なに?」

「カメラ自身ですよ」


 ハジは、バッグからタブレット端末を取り出し、樹に差し出す。


「だから僕がその死角を補う。クーニャを常に、カメラを通して見られる距離にいようって思った。そうしたいと、自分で選んだんです」


 樹が見たディスプレイには、クーニャの姿が映っている。笑った顔、困った顔、怒った顔、恥じらっている顔……年齢も様々で、どんなにめくっても画像が尽きることはなく、百枚や二百枚、いや千枚や二千枚ではきかないとすぐに察する。


「……こ、これは……正直、怖いくらいだね……」


 樹は感心しながら、引きつった笑みを浮かべる。


「勘違いしないでください。クーニャの倍以上の枚数、他の女の子たちも撮ってます。それはそれで本当に好きなんですよ。ただ、僕がカメラを持ち始めた理由も、持ち続けている理由も、クーニャの気付かないことに気付いて、先回りして助けるためです」

「えーっと……もしかして、今回呉次郎君を見つけたのも偶然じゃない、とか?」

「ご想像にお任せします。けど、誓って彼女に危害を加えるためじゃないし、プライバシーを侵害するつもりもありません。僕はただ、クーニャに幸せになってもらいたいんです」

「君は、それでいいの?」

「それが僕の幸せです。僕は、女の子が好きな変態じゃない。クーニャが好きな変態なんです」

「……君に比べたら、海人君の麻子ちゃんへのアプローチが大人しく思えるね」

「ありがとうございます」

「や、褒めてはいないからね?」


 樹はハジの想いを言い当てたことを半ば後悔しながら、頬を掻いた。


「まあ、君にとって今回のことが決して嫌な結果になったわけじゃない、ってのは解ったよ」


          ○


「……あの、さ」


 樹がとんでもない雰囲気にしていって数十秒後、わたしは伏し目がちに言った。


「な、なんだ?」


 呉次郎も緊張した感じで、声だけ向けてくる。


「クレジーは、なにがいい?」

「な……なんの話だよ?」

「樹がさっき言ってた……じゃない? わたしたちの関係の名前も、いずれ決めるべきだよって。クレジーは、わたしと、なにになりたい?」

「あ、ああ……」


 呉次郎が天井を見て、間ができて、目を泳がせて、それから


「久那は?」


 と訊きやがったのでわたしはテーブルを数回掌でぶっ叩く。


「わたしが訊いてんの!」

「じゃ、じゃあ……」


 狼狽しながら呉次郎がわたしを見る。


「同時に言おう。公平に」

「え……えぇぇぇ……」


 極めて渋い顔で答えるが、「じゃなきゃ、また今度にしよう」と言われかねない雰囲気だったので、わたしは「……じゃあ、せーので」と吐き捨てるように言った。


 テーブルを挟んで、真っ直ぐ顔を見合わせる。

 お互いにらめっこをするような面持ちで、掌は両方テーブルについている。顔は真っ赤だけど、もういい。隠さない。


 わたしの頭の中には、前にマコに言われた言葉がある。


『三親等以内なら、結婚できないんだよ?』


 一連の記憶が回復して解った。呉次郎はわたしから見て、叔父にあたるから三親等だ。けど、さらに調べた。そのことについて定められた民法には、但し書きがある。


『ただし、養子と養方の傍系血族との間では、この限りでない』


 呉次郎は、ダンディの養子だ。つまり……この点について、わたしたちの間に障害はない。

 つーか、もうあのときあんな風にさらけ出して想いを伝えたのに。


(なのに……うわぁあ、改めて冷静に『なりたい関係』を言葉にするってめっちゃ怖いよう)


 気持ちが昂ぶって、背筋が縮み上がる。


 ぴっ。


 頭の奥で、電子音が鳴った。透視は前より制御できるから、呉次郎は服を着たままだ。




「ごめん……無我夢中で気付いてなかった」


 あの日全てが終わった後、わたしは樹に謝った。


「ん? なにが?」

「わたしの『カメラ』……回収してない。ひとの『願』を使っておきながら……」

「ああ」


 樹はそのことか、という顔をしただけだった。


「解ってたよ」

「そうなの? じゃあどうして……」

「正直、元々人間が持ってる記憶機能の拡張を実現するだけの願いだから、大した『願』じゃないんだよね。回収したところで、呉次郎君の命を助ける点に影響は全くないレベルさ。

 だったら、むしろ呉次郎君を助けるのに役立つかもしれないからそのままのほうがいい、と思ってた。

 それに、これからも機能拡張してくかもしれないし、あったほうが面白いっしょ」




 わたしの目に映る景色が、スローモーションになる。

 せぇの、という形に、呉次郎の唇がゆっくりゆっくりなっていく。


 そのときわたしの頭に、もうひとつの映像が流れた。それは、わたしが一番欲しいと思っている言葉を、呉次郎が口にする瞬間だった。


(これ…………もしかして、予知?)


 わたしの中の『願』が、数秒先の未来を撮影してるのか?


 それとも、ただの妄想か。


(……どっちでもいっか)


 わたしの唇は自然と笑みの形になる。

 どのみち、長い日常の間に折り重なった愛情は揺るがないし、紡ぐ言葉は変わらない。


 叶うかどうか解らなくても……いや。

 叶うかどうか解らないからこそ、ひとは願わずにはいられないんだ。


 視界のスローモーションが解除される。呉次郎の唇がもう一度開く。



 どうか、同じでありますように。



 世界の誰より強く願いながら。


 わたしたちはそのひと言を、愛しさと一緒に口にした。

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怪人カメラ女の、日常と愛情 ヴァゴー @395VAGO

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