第47話 願いっていうのは、そもそも世界平和を願ってすら私利私欲だから
「第七回家族かーいぎ!」
樹が宣言した。立って両手を広げる。わたしと呉次郎は興味なさげに頬杖を突き見上げた。
「議題は、前六回に引き続き、わっしのポジション決めです」
「いや、だから、ペットでいいだろ?」
平坦な口調と冷めた目を向けるわたしに、樹はテーブルをばんばん叩く。
「わっしは犬じゃない! てゆーか家族にしてくれるって言ったじゃん!」
「ペットが家族じゃないとか言ったら、一定の層を敵に回すぞ?」
「あ……すいませ……んじゃない! 誤魔化されないよ!?」
「ちっ」
「まあそれはお約束の冗談として、俺は別に決めなくていいと思うんだけど」
呉次郎もさほど興味のない口調だ。同じ主張を第一回から続けている。
「関係性には『名前』が必要なんだよ! 便宜上でも」
「でも、俺と久那だって名前ないよ?」
「君らもいずれ決めるべきだよ!」
「んなこと言われても……」呉次郎が呆れる。
「ペットが嫌なら、ほら、お前は遙か年上なんだから、『大ばあちゃん』でどうだ?」
「見た目を優先してよ!?」
「なら……俺と久那の間くらいだから、俺の妹、久那の姉でいいんじゃ?」
「絶対やだね」
わたしは舌打ちする。
「こんなぽんこつを姉と呼ぶくらいなら、観葉植物を唯一の友達と言うほうがましだ」
「喋らないからね!?」
こんな調子で話は脱線し、結局決まらない。樹以外本気で決めようと思ってないのだ。
呉次郎の願いを叶えた直後、樹には呉次郎が見えるようになった。職務放棄と見なされたか、どうやら代理人としての力を完全に失ったらしい。呉次郎にも樹のことをちゃんと説明し、恩人であることを知った呉次郎は、家族になる件も快諾した。
が、コミュニケーションを取れるようになって三時間後には、その発言の空っぽぶりに扱いは一気にぞんざいとなり、「面倒なのが増えた……」と呟いた。
「つーかお前、家族のポジション決める前に社会のポジション決めて来いよ。平日、日がな一日ネットしてんの知ってんぞ」
「あ、あれは、求人情報を……」
「ほう。飲食店を調べまくってんのは、食い意地じゃなくて働く場所の情報収集なんだな?」
「あ、当たり前じゃないか!」
あさっての方角を向きながら、樹は渇いた笑いを漏らす。
「あ、あー、そういえば、そろそろバイトの面接だった、なーあ。じゃ、行ってくるねぇー」
棒読みで逃げるように部屋を出て行こうとする。いつもの流れなのでわたしも呉次郎も引き留めない。ドアノブに手を掛けたところで、樹はおもむろに振り返ってからかう口調で言った。
「あ、夕方まで帰って来ないから……ご・ゆっ・く・り」
「な、なに言ってんだお前!? さっさと行け!」
わたしの赤面を楽しむようにほくそ笑んで、樹は出て行った。ちらり、と呉次郎を見ると、気まずそうに目を逸らされた。
あのクソ女!
なんて雰囲気にしてくれてんだ!
○
家を出た樹はあてもなく街をうろつく。面接というのはもちろん嘘である。金もないので公園のベンチで魂が抜けたようにぼーっとするのが近頃の定番だった。
「あれ、樹さん。また逃げてきたんですか?」
声を掛けたのはハジだ。樹が「ああ、一君」と顔を向けると、ハジは隣に腰掛ける。
「珍しいね。君ひとりかい?」
「カイは、この連休を利用して、泊まり込みで修行に行ってますよ」
「ああ……あのおじいちゃんのところか」
あの日、カイはハジに金を借り、電車代を踏み倒した駅に戻って謝罪をした。何故かそこで老人に「お前さん、わしのところで学んでみねえか」とスカウトされた。
老人はとうに定年を過ぎており、駅舎には時折ヘルプで入るのだという。本業は合気道の道場主であり、カイの気迫に「達人の素質を垣間見た」とのこと。
「いや、あの……有り難いんですが、遠いので」
カイは身体を鍛えるのが趣味で、大抵のスポーツはこなしてきたが、ガチの武道にはあまり興味がなかったので辞退しようとした。しかし、
「強いともてるぞ」
どんな女子もイチコロだ、という台詞にカイがイチコロになり、時間を見つけて通うようになった。実際まんざらでもないようで、上達を実感し「待っててくれマコちゃん! 君に相応しい男に俺はなる!」と燃えている。
この話を知ったマコが青ざめたのは言うまでもない。
「……あの一連の出来事で、カイは長年居場所が解らなかった想いびとと再会し、新たな道も見出した。呉次郎さんは命をもう一度手に入れて、クーニャもそんな呉次郎さんと新しい関係を作れそうです。樹さんも……失礼ですが、結果的には家族ができて良かったんじゃ?」
ハジが穏やかに淡々と言う。カイとハジも、一連の背景について説明を受けた。
「まあ、わっしは恵まれ過ぎだね。ここからどう生きてくかはまだ答えがないけど、それを考えることができる環境をクーニャちゃんと呉次郎君がくれてることを、本当に有り難く思う」
「となるとあおりを食ったのは、マコちゃんだけですかね?」
マコにしてみれば、樹のミスで罪の意識を持ち、『願』の回収に奔走することになった。が、目的は結局果たせずじまいだ。まだマコの願いによって叶いっぱなしの願いも、これから叶うものもあるだろう。それが世界にどんな影響を及ぼそうと、もうどうすることもできない。
「……申し訳ないな、とは思うけどね。麻子ちゃんもまんざらでもないと思うよ」
「私、来年こっちの大学受けるよ」
マコは去り際、駅まで見送りにいった樹にそう言った。
「なんか、クーニャを見てたら私も、もっと我が儘でいいのかなって思えてきた」
「どういうことだい?」
「だって、回収した『願』って、元々はみんなの願いから少しずつ集めたものでしょ? それを私利私欲のために使っちゃうんだよ? 税金を横領して、重病の家族の治療費に使うみたいなものじゃない?」
マコがそれを咎める意味で言っていないことは解った。樹は身勝手を自覚した上でクーニャと呉次郎の願いを叶えたので、曖昧に笑った。
「まあね。そもそもあの大量の『願』がわっしのミスで消費されてなければ、本来叶った願いがたくさんあっただろうね。その中には、大切なひとの病気を治すとか、命に関わるものもあったかもしれない。
わっしがミスしたことによって確実に、幸福になれたはずのひとがなれなくなって、逆に、マコちゃんの願いの派生で、死ぬはずだった呉次郎君は命を永らえた。クーニャちゃんもそういうのを解っていながら取引を持ちかけ、わっしもそれに応じた。
神様とか代理人の観念からすれば、許されることじゃない。
ネットなら炎上必至だろうさ」
「でも、後悔はしてない……でしょ?」
「そうだね」
樹は肩をすくめる。
「言い訳をするつもりもないし、誰かに恨まれても仕方ない」
「だから、私も……自分の欲を認知しようかなって」
「ほ?」
「『お父さんもお母さんも頑張ってる。私は与えられたこの場所を守る』……そんな風に思ってたんだけどさ、親の仕事の都合で引っ越した挙げ句、ふたりとも海外だよ? よく考えたらふざけんなだよね。だったらもう私別に、あの家にいなくたっていいんじゃん、って。
なんでも我が儘を通したいとは思わないけど、私の中の『こうすべき』で見えなくなってた私利私欲が、やっと少し見えてきた気がするから……ちょっと、大切にしてみようかなって」
「いいんじゃないかな」
樹は元代理人としても、ひとりの人間としても同じ思いで言った。
「願いっていうのは、そもそも世界平和を願ってすら私利私欲だから。叶うかどうかは時の運、願うこと自体は罪じゃない……ま、もはやわっしが言っても自己弁護にしかならないけどねえ」
「そうだね」
「わ、そこ同意しちゃう?」
苦笑する樹に、マコは悪戯が成功したような笑みを浮かべ、改まって言う。
「でも、ありがとう」
「はは……どういたしまして。ところで、麻子ちゃんの叶えたい私利私欲って?」
「んー……色々あるけど」
マコは今までにない、くだけた笑みを浮かべた。
「とりあえずクーニャをデレさせて、親友になることかな。私、あの子がすっごい好きみたいだから」
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