第46話 おうちに、帰ろっか

「けどね、問題はもうひとつある。これを言うのもなんだけど」

「回収した『願』を勝手に使ってしまったら、樹は二度と代理人に戻れなくなる……だろ?」


 指差しながらのわたしの躊躇いのない言葉に、樹は目を丸くした。


「……正解」

「だからこその、提案だ」


 前提確認ができたわたしは、樹に笑みを向ける。


「……聞くよ」


 ここまでの話は理解したけど、なにを言われるのか解らない……樹の表情はそう語っていた。わたしはその反応を好ましく思いながら、目を覗き込んでひと息で言う。


「わたしの家族にならねえか?」

「……は?」


 樹の口が大きく開いて、その丸い形のまま止まる。


「えっと……どういう……?」

「誤解されたくねえから言うけど、『ブラックな代理人なんかに戻らなくたっていいだろ』とか『どうせ全ての『願』の回収は最初から諦めてんだろ』なんて思ってねえぞ?

 環境がブラックでもお前にはお前の矜恃があって、今も、不可能かもしんねえけど、少しでも希望があるから、まだやれることがあるからやってる。

 口でどんなにおどけても、お前にとってそれが大事なもの……いや、そんな言い方すら生ぬるいほど、人生そのものだってのは解ってるつもりだ。『願』とか願いについて話すときのお前は、そう思わせるくらいマジだった。マコが学校放り出してまでここに来たのも、単にエンジェルだから、ってだけじゃねえんだと今なら解る」


 樹が酷く驚いた顔で見ると、マコは頷いた。


「うん、そうだよいつきちゃん」

「麻子ちゃん……」

「その上での、お願いだ。その『願』で、呉次郎の願いを叶えてくれ」

「……クーニャ、ちゃん……」

「お前のこれまでを、わたしにくれ。

 そうしてくれるなら、結果がどうなろうとお前のこれからを一緒に負う。つっても、住む場所と飯を提供して、これからを一緒に悩むくらいのことしかできないけど。

 それでよければ、わたしの家族になってくれ」


 言い切った直後、樹の顔がじわじわとひょっとこみたいに歪んでいった。


「そんな……同情から来る交換条件なんかじゃ続かないよ……?」

「ばぁか。それだけでこんなこと言うわけないだろ? 短い間だけど、お前の性格とか人格はある程度見てきた。ミスったのがお前だったとしても、他のものに八つ当たりせず、深刻にならず、前に進もうとするお前が、わたしは割と好きだよ」


 みるみるうちに樹のでかい目には涙が溜まり、たちまち零れて目が開けていられなくなる。


「うぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおんっ!」


 そして周囲の目をはばからず、号泣した。幼児のような容赦のなさに、周りの空気が冷える。まだまばらに他の乗客がいて、なんだなんだという目を向けてくる。

 わたしは引きながら笑い、席を立って樹の頭を抱き締めた。樹が胸に抱き付いてきて、


「かたぁあああああいよぉうっ!」


 とほざいたので、すり潰す殺意でさらに力を込めた。

 そして散々しゃくり上げ、落ち着いてから、樹は答えたのである。


「ぎびだぢどでがいをがだえるよ」


 前言撤回。全然落ち着いてはいなかった。




 今、樹はその約束を守る。半ばまで回収した『願』を使い切る。


『久那が死ぬまで一緒にいたい。同じように歳を取り、生きていきたい』


 神力の杖の媒介は砕け、飛び出した光が呉次郎の胸に穴を穿ち、吸い込まれた。

 一瞬だけ、呉次郎の全身が淡く発光する。


 それが収まったとき、唐突に静けさが辺りを埋め尽くした。


 誰も声を出さず、波の音以外はなにも聞こえなくなった。視界はうっすらと暗くなり、すぐ目の前だけが見えて……いたのに、それすら解らなくなるほどわたしの視界が涙で滲んでいく。


 嗚咽が漏れる前に、腕を大きく振りかぶった。


「クレジー」

「久那」


 顔が歪むのを止められない。鼻水をすすりながらわたしは呉次郎に向かって砂を蹴る。


「クレジーぃいいっ!」

「久那……」


 その腕を振り下ろし、呉次郎を殴り飛ばした。


「えぇえっ!?」


 不意打ちになり、呉次郎が吹っ飛ぶ。

 砂浜へ仰向けに倒れた呉次郎にわたしは馬乗りになり、胸ぐらを掴んだ。


「お、お前なにす」

「いなくならないでって言ったじゃん!」


 絶叫に近い大声に、呉次郎が遮られたまま口を開けて黙る。


 願いが叶った。


 そう思った途端、張り詰めていたものが切れ、同時に湧いてきた怒りを容赦なく叩き付ける。


「なんで黙っていなくなるんだよ! 死んじゃったかと思ったよ! ひとりにしないでよ! 怖かったよ! 心配したよぉおおおおっっ!」


 涙がとめどなく溢れてこぼれ、呉次郎の頬に染みる。呉次郎は言われるがままになっている。

 不意に……殴られた衝撃で、呉次郎の鼻から赤い筋が流れた。

 気付いて指ですくい取り、呉次郎があっけに取られたように言う。


「……血だ」


 実感が伴ったのだろう、徐々に黄金の山を発見した冒険者みたいに


「久那……血だ! 鼻血だよ! 鼻血! 見てくれ、はは……見てくれ! ははははははっ!」


 狂ったように笑って、血の付いた指を突き出してくる。


 傍目から見たら完全にヤバい奴だな。

 とりあえずかしょん、と撮っておく。


 とは言えもちろん、その意味をわたしは解っている。

 変化のリセットが解除され、普通の人間に戻ったのだ。わたしが、生きている限り。


 わたしは安堵と怒りと頭おかしい感じに対する呆れと、色々なものが混ざり合い、息を吐く。

 その瞬間、自分で想定していた以上に全身から力が抜けた。そのまま上半身も倒れ込む。


「く、久那?」


 目を閉じて、すぐ横にある呉次郎の頬に、頬を重ねて軽く擦り付ける。

 波の音を聞きながらわたしは頬から伝わる体温と同じような、か細い確かさで言った。


「おうちに、帰ろっか」

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