第45話 代理人・笹目樹

 影が伸びていた。


 もう半分近く沈んだ太陽の光が生み出す影は、身長よりも長い。それすら凌駕するほどの長い沈黙の間、わたしは膨大な映像を呉次郎と共有し続けた。


 さっきわたしの中にマコが入ってきたことについて、樹から説明を受けた。

 撮影したものを共有する方法は、極論、『願』が反応する衝撃を伴えばなんでもいいのだと。


 だから頭突きじゃなく、殴ったり蹴ったりしてもきっと転送はできるらしい。それに、物理的な衝撃が強くなくても、敏感な部分を触れ合わせることで、十分繋がることができる。


 マコはわたしがカードスロットだと思い込んでいた術跡を使ったらしいけど、別に、生まれ持った粘膜を使ったって同じことができると樹は言った。


(お願い……どうか)


 再生するのは、わたしがこれまで無意識に撮り続けた、全ての呉次郎だ。

 当たり前だけど、呉次郎は、わたしが見ている呉次郎の姿を見たことがない。それを見るということはつまり、わたしが呉次郎をどう思っているのかを伝えることに等しかった。


 世界にひとり取り残されたような思いになっていたわたしを、見つけてくれた。

 わたしにもうひとつの名前を付けてくれた。

 親になんてならずに、わたしを必要としてくれた。

 わたしと一緒にいてくれた。ずっと、いてくれてる。


 それがわたしにとって、どれほどのことなのか。

 全ての再生が終わった後、呉次郎の顔から震えが伝わってきて、わたしは唇を離した。


 突き放されてもおかしくないと思ったけど、呉次郎は脱力したように肩を落とすだけだった。

 そして顔に作り出された陰影のかたちを揺らして、言った。


「……俺だって、これからもそうしていられたら、どんなに……」


 絞り出すような、絞め殺される寸前みたいな声だった。


「そう、って?」


 わたしは静かに、真っ直ぐ見たまま訊いた。呉次郎は胸元に指を持って行くと拳を目一杯握り締めて、わたしを見た。目元から崩れていってしまいそうなほど頼りなさげなのに、込められた力は血液が皮膚を突き破りそうなほど渾身だとひと目で解る。


 言葉にすることを、呉次郎は躊躇しているようだった。だからわたしはさらに踏み込む。


「言って」


 直感する。それは観察日記の最後に書かれていた『でも……俺は』に繋がる言葉だ。


 呉次郎が唇を開く。だけどそこから音が出る前に、また閉じかける。わたしはそれ以上は促さなかった。ただ、待って、見つめ続けた。そうすることしかできないと解っていた。


 そして日が完全に沈んでしまう前に、呉次郎は答えた。空気が血を流すような声だった。


「久那が死ぬまで、一緒にいたい。同じように歳を取り、生きていきたい」


 でも、と続いた言葉は、かすれていた。


「無理なんだ。俺の命はもう尽きてる」


 顔を上げ、涙に濡れた目を見開く。


「お前がいなかったら俺はとっくに死んでた。だから俺は、命を全部お前のために使うと決めてた。けどもう、残ってないんだ。全て懸けたって、お前の傍には」


 わたしは呉次郎を抱き締めた。


 背中に両手を回し、頬を胸にくっつける。またひとつになった影を薄目で眺めながら、声もなく泣いた。呉次郎はもう、嗚咽を隠そうともしない。


「ほ、本当は……久那をずっと見ていたい。久那が笑うとき、泣くとき、一番近くにいたい。

 他のなにを失ったって惜しくないのに……なのに……!」

「解ったよ、クレジー」


 わたしは胸に直接響かせるように低く呟き、身体を離した。泣きながら笑顔を向ける。


「もう、いいから」

「久……那……?」


 わたしは涙を乱暴に拭って睨むような目で振り返る。


「聞いたな!? 樹!」


 視界には、自信に満ちた会心の笑みを浮かべる元神様の代理人がいた。


「ああ、ばっちりさ」

「いつきちゃん!」


 マコの声と同時にわたしと呉次郎の頭上を、放物線を描いて棒状のものが通過する。樹はそれを右手でキャッチする。桜色の玉がはめ込まれた魔法のステッキ然とした、『神力の杖』だ。

 二度、袈裟斬りにするように軽く振ってから、手を突き出して前方に構え、樹は声を張る。


「代理人・笹目樹の名に於いて願ひ奉る」


 わたしの身体を突き通り、呉次郎に刺さるような声だった。


鳥栖とりすクーニャの命尽きるまで、穂月呉次郎が共にひととして変化することを!」


 いつもの快活ながらふにゃふにゃした口調とは別人みたいだった。

 樹が杖を片手で高く掲げる。その瞬間玉の中心から、鈴が鳴るような音と同時に桜色の光が爆ぜた。光は大回りをしながら線になり、呉次郎の身体にまとわりつく。


「なっ……なんだこれ!?」


 呉次郎が光を払おうとするが、触れられない。やがてとぐろを巻く蛇が獲物を絞め殺すように収束し、呉次郎の胸の辺りに入り込んでいく。わたしはそれを、じっと見つめていた。




「ひとつ、提案がある」


 わたしは樹にそう言った。さっき、電車での移動中に。


「お前とマコがこれまで回収した『願』で、呉次郎の命を救えるか?」

「んー……提案っていうか、質問だねそれは」

「そうじゃない。提案が成り立つか確認するための質問だ」

「……正直、なかなか複雑な答えになる」


 わたしはその返答に満足した。できない、という即答じゃないことに。


「お前にはまだ、願いを叶える力があるんだな?」

「まあ……というかぶっちゃけ、作法が解ってれば力は要らないのさ。媒介さえあればね。ほら、神力の杖に付いてる玉がそう。あれは生物じゃないけど、『願』を食らい、排泄結果として願いを叶えるという特性を持っている」

「なら、『願』の量が足りない?」

「いや……これまで回収した量だけでも、通常ひとつの願いに対して使える許容量は遥かに超えてる。死んだ人間を生き返らせるならともかく、聞いた話からすると彼は、多分状態変化をリセットされてるだけだろうね」

「状態変化をリセット?」

「つまり、わっしが前までそうだったのと同じさ。

 生命活動っていうのは、ひと言で言えば変化だ。歳を取るのも怪我も病気も、なにかを記憶するのだって、変化と言える。そのうち、記憶以外の大きな変化があったときそれを即座にリセットするというのは、実は神様の世界ではよくある方法なんだよ。

 呉次郎君は厳密に言うと、もう死んでるわけじゃなくて、死の間際でリセットされて変化が止まってる状態なんだ。それなら、今までに回収した『願』でなんとかなるさ。

 問題は、むしろ願いのほうだ」

「願い?」

「媒介は、心の底から出た願いにしか反応しない。つまりね、思ってもいないことを言わされたり、どう願えばより望ましい結果が得られるか、なんて打算が入り込んだら駄目なんだ。呉次郎君の心の底からの願いが、彼の命を救う内容かどうかはコントロールできない」

「それが『問題』だって言うなら、問題は、ない」

「……信じてるんだね」

「知ってる、だけだ」


 樹は意味ありげに微笑してから、軽く溜息をついた。


「けどね、問題はもうひとつある。これを言うのもなんだけど」

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