第43話 役に立てるなら……無賃乗車も厭わない!

 陽が暮れようとしていた。


 車窓から射し込む光は琥珀で、世界のなにもかもをドラマチックに染めていく。

 あと幾つかで終点に着く。カイたちの乗った電車はもうそこまで行ってるはずだが、カイからの連絡は少し前に途切れていた。

 と、思ったとき、ハジの電話が鳴った。


「はい、もしもし」


 車内に他の乗客の姿はほぼないが、気遣いながらハジが電話に出る。小声で何度か頷き、驚き、短い会話をして、最後に「解った」と言って切った。

 わたしが言葉を待って見つめると、ハジは申し訳なさそうに言った。


「見つかって、逃げられたらしい」


          ○


 少し時間は遡る。電車が終点に着いた後も、呉次郎は座ったまま呆けていた。カイが隣の車両からひっそり覗いているのにも気付かない様子で、


(このままだと折り返してしまうぞ……?)


 と思っていたら、その思念が届いたかのようなタイミングでふらっと立ち上がり、電車を降りた。見つからないよう、呉次郎が改札を出るまで車両に潜んでいようと思ったのだが、間の悪いことに発車のベルが鳴った。


(やばい。このまま乗ってるわけにもいかん)


 カイは焦って車内から飛び出した。そしてまだ降りたところから一歩も動かず呆然としていた呉次郎の目が、カイに向いた。

 まともに目が合う。


「……は」


 カイはとっさに、満面の笑みを浮かべた。


「あ、あーっ。呉次郎さんじゃないっすかーあっ。きき奇遇、ですねえ!」


 棒読みだった。しかしカイにしては頑張ったと言えよう。今の心ここにあらずな呉次郎なら、誤魔化せてもおかしくは


「……え? カイ君? うわぁあっ!」


 やっぱり無理だった。呉次郎の目に理解の色が浮かんだ次の瞬間、改札に向けて走り出した。


「あっ、ちょっと!」


 カイも地面を蹴る。普通に比べれば、年齢筋力どこを考慮してもカイが追いつけない道理はない。しかし、呉次郎がスタンド式の簡易的な自動改札にICカードを触れさせすんなり通過したのに対し、カイがタッチした瞬間盛大なエラー音が鳴る。


(解ってたけどな!)


 試したらなんとかなっちゃったりしないかな、という一縷の望みに賭けていた。一縷の望みがあると思うあたりがカイという男の愚かさである。そしてエラー音に怯んで一瞬、どうしようか迷って立ち止まったのもよくなかった。


『お願い海人君。なんとしてもくれさんを追って』


 先ほど受信したマコのメッセージを想像する。潤んだ瞳で上目遣いをして、カイの手を丁寧に握ってくれるマコが見えたような気がした。


(……南無三! 俺はやる!)


 決心するまでに、時間は一秒もかかっていない。しかしその刹那の間に、駅員が現れた。


「あー、お客さん」


 カイはその声を振り切り、地面を蹴る。まだ呉次郎の背はすぐそこにある。

 が、腕を掴まれる感触がして足が止まった。背中に冷や汗が流れる。


「なっ……!?」


 首から上だけで振り返ると、白髪の老人が手首を掴んでいた。


(じいさんなのに、びくともしねえっ……?)

「こらこら、料金足りてないってよ。精算してから出てもらわんと」

「すまん、許せじーさん愛故に!」


 カイは目を見開き、老人の手を取って投げ技を仕掛ける。老人の身体が傾き、倒れ込む……と思いきや、そのまま反転し、カイの視界が傾く。まるで自分から飛んだかのように、カイの身体がきりもみ状に宙へ舞う。そのまま地面に背中から落ちた。


(な、なにが起きた?)

「ほら、精算」


 老人は何事もなかったように立っている。カイは起き上がり様、老人に向けて構えを取った。


(こ……このじいさん…………できる)


 改めて向き合うと、何気ない立ち姿に寸分たりとも隙がないことに驚愕した。

 そのまま一分ほどが経過する。呉次郎の気配は当然既にない。そして、


「すんませんでしたぁああああっ!」


 カイは敗北を認め、地面に頭突きせんばかりに垂直高飛びから土下座した。


「……いや、謝らなくていいから、精さ」


 その瞬間、シャツから腕を抜いた。その勢いで、老人にシャツを被せるように投げ付ける。


「おっ?」


 視界を塞がれた老人が、まとわりつくシャツをはねのけようとした一瞬、


「今だぁあああっ!」


 カイは老人に向け、闘気を放つ。


「無駄だって…………ば?」


 身構えた老人が、拍子抜けしたような声を出した。

 闘気をフェイクにしたカイは、一目散に逃げ出していたからである。




(やっちまったやっちまったぁすいません後で必ず払いに来ますからぁ!)


 まるで殺人を犯してしまったかのような心境で、上半身タンクトップ一枚になったカイは疾走した。スマホを取り出してカイに電話をかけ、簡単に状況の報告を行う。


 呉次郎の消えた方向はなんとなく解っていた。というか、この終点駅には住宅と、あとは少し行ったところに海があるくらいだ。意図してここまで来たのかどうかはともかく、きっと海だという確信があった。


(とは言え俺も来たことねえし、きっと海岸だって広いだろうな)


 見失ったのは痛い、と思いながら砂浜に出ると、


「あ、いた」


 普通に呉次郎は海に向かって砂浜に立ち尽くしていた。少しだけ距離があるものの、黙って近付けばすぐ捕まえられるだろう。だがここで、


「呉次郎さーん!」


 なにも考えず声を掛けてしまうのが、カイという男である。


「……うわぁあっ!」


 案の定、呉次郎はまた逃げ出す。ただ立ち尽くしていた呉次郎も呉次郎だが。

 追いかけっこが始まる。砂に足を取られながら、夕日が照らす中、ふたりの男が走る。


 これが水着の男女なら絵にもなろうってものだが、追われるほうは手足をばたつかせながら今にも転んでしまいそうな危なっかしさがあるし、追うほうは形相がガチ過ぎる。


「なんで逃げるんすか!」


 声を掛けるカイに、呉次郎は振り向かずに叫ぶ。


「用がないなら放っておいてくれ!」


 そう言われ、カイは思う。


(確かに……考えてみりゃ、俺はなにしてんだ?)


 学校帰りに呉次郎を見かけて話しかけたら、やたらぼーっとしてて、どこかへ行こうとした。そしたらハジが「カイ、尾行してくれ。気付かれないように。見失わないでくれ、頼む」と言ったから、言われるままここまで追ってきた。


(……ここまで必死になる理由は、ないんじゃないか?)


 冷静になりかけた。友人の頼みだから、という理由だけでは電車代を踏み倒し、老人に危害を加え、一張羅のシャツを置き去りにするというのは犠牲が過大な気がした。が、


『お願い海人君。なんとしてもくれさんを追って』


 ああそうだ、と思い出した。


「用ならある! 俺は、マコちゃんの役に立てるなら……無賃乗車も厭わない!」


 いまいち格好のつかない台詞だが、本人はそれに気付かず吼えた。

 案の定呉次郎は「えええっ?」と腑に落ちない様子だが、本気が伝わったのかよろけながらも足を止めず走り続けた。


 そして走りに走り、夕日が水平線に触れ、横薙ぎの光が雲を染め上げるころ……止まった。


 哀れなほど呉次郎の呼吸は荒いが、立ち止まったのは息が続かなくなったから、ではない。


 前方に、立ち塞がる数名が現れたからだ。

 カイも少し離れた位置で立ち止まる。


「手筈どおりだな」


 呟いてから、カイは呉次郎の先に立つ……マコに、万感の思いで笑顔を向ける。


「マコちゃん! 俺は、君の願いを果たしたよ!」


 マコが「海人君!」と笑顔で駆け寄ってくる。

 ……という想像は裏切られ、マコは隣のクーニャの後ろに隠れる。そして、金髪に榛色の瞳を持つ幼馴染みは、夕日に照らされながらこともなげに言い放つ。


「あ、悪い。あれわたしが打ったんだわ」


 カイは、砂浜に頭から崩れ落ちた。

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