第41話 撮るべき場面を撮りに行けよ!
「……違う」
声が漏れた。繋がったマコにはクーニャの思いが解る。いや、その痛みはほとんど自分のものだった。しかしそれを受け入れてしまえば、同じようにその事実を拒絶してしまうだろう。自分の中でせめぎ合う『クーニャ』と『マコ』の均衡を保って、マコは口を開く。
「二年前……正確には二年半前の冬……くれさんは、死んだ」
その前日まで、俺は何事もなく働いてた。年始から立て込んでて疲労が蓄積してる自覚はあったけど、まあよくあることだと思ってた。
けどその日、ちょっとした用事で財布だけ持って外出しているとき、唐突に身体が動かなくなった。声も出せず、路上で倒れて……救急車のサイレンが遠くに聞こえた。
そして俺は、あっけなくそのまま死んだ。
……らしい。
意識が戻ると、沈鬱な空気で医師たちと思しき声が話しているのが聞こえた。
それによると俺は心臓の動脈が詰まったことによる突然死を迎えたようだった。
後から調べたんだけど、この国でも年に数万人は心臓突然死で亡くなってるらしい。
もちろん、おかしいと思った。ただ、ここで俺が動いて目を覚ますのはなんとなく怖くて、まずい気がして、黙って目を閉じてたんだ。
辺りが暗く、静かになってから俺は目を開いた。
身体はいつもどおり動いた。夢だったのか? と思ったけど、確かに病院みたいだった。
俺は怖くなって、黙ってそこから逃げるように去った。誰にも見つからなかったし、身元を証明するようなものを持ち歩いてなかったから、その後病院から連絡が来ることもなかった。
何事もなかったように、また俺は生活を再開した。
だけどすぐに気付いた。
身体が、変化しなくなっていると。
「髪も髭も伸びなくなって……包丁で指を切っても、その瞬間は痛みを感じるのに、血も出ず次の瞬間には治ってる。治ってる、というか『そんな事実がなかったように』跡形もない。確かに周囲の時間は流れているのに、まるで自分の身体だけが同じ瞬間を繰り返してるみたいだった……そう、書いてあったんだよね」
本当は、『繋がっている』のだから言うまでもないが、敢えてマコは強調する。
「異常さに段々戦慄するようになって……高いところから飛び降りてみたり、たむろする不良に喧嘩を売ってみたりした。だけど結局なにをしてもくれさんの身体にはなんの変化も起きなくて……気が狂いそうな中、遠い記憶の心当たりと紐付けて納得することにした。そして奇しくも、それは正解だった」
クーニャは黙って聞いている。なにを言おうとしているのか、もちろん解っていた。
「くれさんは、ダンディさんと約束した。
『クーニャが大人になるまでは、なにがあっても、います』
って。そしてそれを……神社で願った。あの、私たちが将来の夢を願ったのと同じころに」
そして、マコの「みんなのおねがいがかないますように」の対象範囲に、その願いが含まれた。呉次郎が死の淵に立ったとき願いは叶って……死は、無効にされた。
「クーニャが、大人になるまでは」
「……違う」
クーニャは耳を塞ぐ。
「違う! 違う!」
それをマコは止めない。マコが口にしたことは、クーニャの思考でもある。違くなんてないことを、クーニャは解っている。
呉次郎は昨夜、観察日記の最後にこう書いていた。
それはさておき……やっぱり、久那は大人になりかけてるということなんだろうか。
最近の理解できない数々は、その羽化段階の不安定さということなんだろうか。
だとすると……もう、近いのかもしれない。
そう考えると、やっぱ、きついな。解ってたことなのに。
たった二年か。もう少し先だと思ってたけど、十代の変化っていうのは著しい。
それでも十分、準備はできた、か……。
けど……俺は
呉次郎は、自分の死の無効期間がもうすぐ終わることを察していた。
クーニャが過去を思い出し、受け入れ、大人になりつつあると感じていた。
そして、消えた。
クーニャは観察日記を読んで、その結論に辿り着いた。しかし現実を直視できず、その目になにも映さないことを選んだ。つまりそれは、カメラであることをやめるのと同義だった。
張り裂けそうな思い、というのはこういうのを言うんだとマコは感じた。生きることすら放棄してしまいたくなるような痛みにあてられ、なにもかもを放り出しそうになる。
(だけど……駄目だ)
そんなの間違ってる。確信があった。だから
「クーニャは間違ってる」
そのまま口に出した。目の前のクーニャが殺意とも呼べそうな意志を込めて睨んでくる。
「お前なんかに……なにが解る。わたしと、クレジーのなにが解るんだ!」
「解ら、ないよ」
繋がっているから、本当は「解る」と言ってもいいくらい解っている。だけど、そうじゃないのだ。解ってしまったら、もう、自分にはクーニャに言えることがなくなると思った。
「解らないから……私には、いないから。くれさんみたいに、一緒にいてくれるひとが」
口にしたら言葉が涙になった。マコはクーニャに指を伸ばす。
「こんなに苦しくなるくらい、大切なんだから……偽っちゃ、駄目だよ」
「……マコ」
クーニャの表情が揺れる。拒絶がほんの少し和らいで、余地が生まれる。
「諦めちゃ、駄目だ」
伸ばした指を、マコはクーニャの頬に置く。両手で抱えると、指が濡れた。涙だった。
「……だって」
クーニャの声から棘がなくなり、弱々しく、子どものような無防備さになった。
「もう……消えちゃったんだ」
「それは、早とちりだよ」
「え?」
マコは口元を無理矢理笑みの形にしてみせる。それこそが、一番今伝えたいことだった。
「仮にクーニャが大人になってくれさんの死が顕在化するとして……身体ごといきなり消えたりはしないよ。心停止で亡くなったなら、心停止の状態が反映されるはず」
「……じゃあ」
「自分の足で、姿を消したんだよ。もしかしたら、その姿をクーニャに見せないために」
クーニャの瞳に、光が浮かぶ。しかしすぐに萎む。
「でも……結局、死んじゃう」
「クーニャ」
「どこに行ったかも解らないし、今から、探したって……」
マコはその瞬間、自分の中で『マコ』と『クーニャ』が完全に分離する感覚を得た。
全く共感できない、と思った。意識が分離して、マコは自分だけの頭の中が一瞬で沸騰する感覚になることを受け入れた。そしてその思い……憤り、を動作に反映させる。頬に触れていた手を胸ぐらに移動させて、絞め殺すような勢いで力を込める。
つまり、キレた。
「甘ったれんじゃねえよ!」
全力で叩き付けられた声に、クーニャがあっけに取られる。
「マ、マコ?」
「今のあんたのどこが大人なのよ! そんなんじゃどうせくれさんはすぐに消えない!
それに前、クーニャ言ってたよね。
『わたしにとって、ひとは、いつの間にかいなくなるものだ』
ってさ。確かにそうかもしれないよ。そうだったかもしれない今まで……だけどね!
いつの間にかいなくなるものだって解ってるなら、だからこそ大切なひとは地の果てまで追いかけて、言ってやれよ!
『いつの間にかいなくなるんじゃねえ!』
って! あんたカメラでしょ!? 撮るべき場面を撮りに行けよ! 足を使え! 頭を使えよ焼き切れるまで! どうしたらいいのか考えろよ自分で!」
勢い余って額がぶつかる。マコが噛み付きそうな顔で両目を見開く。
長い間ができて、クーニャが毒気を抜かれたように、
「は」
と声を漏らした。
「はは……」声が、力の抜けた笑いに変わる。「エンジェルが、マジギレした」
「だぁからエンジェルじゃないっての!」
今度は目を据わらせて睨む。唇が触れる寸前の距離で、クーニャが息を吸う。細く、深く。
そしてのけぞるように頭を引く。
次の瞬間、思い切り頭突きした。
「ぁ痛っ!」
マコが手を離して尻餅をつく。
(ん? 尻餅?)
真っ白な空間に浮かんでいたはずだった。
気が付けばマコは、クーニャの部屋にいた。
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