第39話 端から見たら熟女系エロ本を読んでにやつく十七歳女子

 呉次郎の『観察日記』は、この数日間でわたしが追体験した記憶を、そのまま書き写したような内容だった。むしろさらに細かい日常のエピソードが海岸の砂粒の数ほど書かれていて、特にふたりだけで暮らすようになってからの数年間についてはその傾向が強かった。


 呉次郎が社会復帰をして仕事を見つけて、生活が安定すればするほど、わたしは呉次郎を困らせることが多くなっていった……と呉次郎は感じてたようだ。

 否定はしない。多分わたしは、安心して、我が儘になっていったのだ。ご乱心、と言われるようなことをしていられることが、内心幸せだった。


 丹念に全てを読んでいったら夜になってしまいそうだったので、わたしは飛ばして読んでいった。会話するように時々文章に突っ込んで、笑いを漏らして(端から見たら熟女系エロ本を読んでにやつく十七歳女子である)……マコと樹は気を利かせて出ていったのだろう、いつの間にか部屋にはわたしひとりだった。


 そのことに気付いたころにはもう、午後になっていた。


(……ずっと読んでたのか)


 鼻をすすりながら、我に返る。

 呉次郎が書いたことの数々に、わたしは内臓を直接掴んで揺さぶられてるみたいな感覚になった。けど読み続けるうちに、大泣きした後みたいな、揺れた感情の余韻はあるけどすっきりした心持ちになっていた。


 そのとき読んでいたのは最後の一冊で、一番後ろは昨日の日付で途切れていた。そこには、こんな風に書かれていた。



 最近久那の様子がおかしい。いつもおかしいけど、近頃の乱心ぶりは理解が及ばない。

 突然自分がカメラになったと言い出したり。

 自分が連れて来たマコちゃんとよく喧嘩してたり。

 寝ぼけながら泣いて俺にしがみついてきたと思ったら、その後なんか避けられたり。


 これが世に言う思春期、反抗期ってやつだろうか、遅い気もするけど。

 だとしたら少し……いや、かなりさみしい。


 という状態で会社の飲み会なんて行ったもんだから、酒量を誤った。普段酩酊するほど酔うことなんてないのに、てゆーか酒自体ほぼ飲まないのに……だからこそ簡単に酔っ払った。


 と、いうことにした。


 半分は本当だけど、半分は……我を失うほどじゃない。こうして書くくらいには冷静だし、記憶もある。酒のせいにして、酔っ払った勢いで久那に正直な感情をぶつけ、久那がなにを考えてるのか引き出したかった。


 けど、完全に逆効果だった。やっぱり飲みニュケーションは時代に合わないのか。

 逃げられて避けられて、あいつはとっとと寝てしまった。俺が空回りしたのは自覚してたけど、いきなり酔いが覚めたら不自然だし、収まりもつかなくなった俺はマコちゃんたちに散々久那のことを語り続けた。でもまあ……引かれてたよなあ。樹さんとか全く聞いてない感じだったもんなあ。そもそも俺とまともに口を利いてくれないし。嫌われてんのかな。


 それはさておき……やっぱり、久那は大人になりかけてるということなんだろうか。

 最近の理解できない数々は、その羽化段階の不安定さということなんだろうか。


 だとすると……もう、近いのかもしれない。


 そう考えると、やっぱ、きついな。解ってたことなのに。

 たった二年か。もう少し先だと思ってたけど、十代の変化っていうのは著しい。

 それでも十分、準備はできた、か……。

 けど……俺は



 その後に続く言葉はなかった。なにかを書こうとしたような短い線が途中で止まり、結局書くことをやめたのだと解る。


(『俺は』……なんだろう)


 考えるが、なにも思いつかない。


(てゆーか飲みニュケーションて。飲んでたのお前だけじゃん)


 突っ込んでやりたい。どこかとぼけてるというかずれてるのが、呉次郎らしい。


 もう一度、最後の数行を目で追う。

 ここだけいきなり抽象的でよく解らない。一体なにが『近い』のか、なにが『きつい』のか。


(それに……『たった二年』って……? 『準備』も意味不明だ)


 二年。


 その言葉が引っかかって、わたしは、マコの台詞を思い出す。


『二年前くらいから、毎日のように書いてるんだって』


 そうか、と気付いた。


 書き始めたのは二年前のはずなのに、この日記にはわたしが物心つく前のことが書いてある。さらに言えば、最初のほうは誰かに昔語りをするような書き方になってるのに、最近のものは完全にひとり言の日記の口調になっている。


(つまり二年前になにかきっかけがあって、そのときから過去に遡って書き続けた……?)


 その膨大な作業量を思うと涙が出てきそうだったが、泣いてる場合じゃない。下唇を強く噛み、わたしは二年前の日付の日記を探し当て、今度は丁寧にページをめくっていく。


「……見つけた」


 正確には約二年半前の、わたしがまだ中学二年の冬だった。



 そして。

 そこに書かれていた内容を読み終えたとき、わたしの意識は途切れた。

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