第四章 怪人カメラ女は仲間に助けられ、家族に頭突きを喰らわせるに至る

第37話 観察日記

 言ってる意味が解らなかった。


 樹は最初にこの家に来たときから、呉次郎が見えていなかったと言った。そして声も聞こえていなかった……つまり、その存在自体を知覚できていなかった、と。


「いや……なにを、言ってんだ。お前。クレジーが、わたしの頭の中にだけいる妄想の存在だった、とでも言うつもりかよ……?」


 もちろんそんなはずがない。しかし樹がこんな意味の解らない嘘をつくとも思えなかった。


「だって、お前……クレジーに説明してたじゃねえか。マコの親戚で、家を探してるって」

「……あのときだけ、だよ。わっしが呉次郎君に話をしたのは。一方的な説明だったし」


 樹は言いにくそうに説明した。マコとわたしが自然となにもないところに話しかけてるから、自分にだけ知覚できていないのだと悟って、合わせていたと。触れていいところかどうか判断がつかずに、今まで黙っていたのだと。


「だから……いつきちゃん、くれさんの話に反応してなかったの?」


 マコが納得したという口調で言った。確かに、昨夜呉次郎が語るのに対して、樹は常に上の空で、何度も「え? なんて?」ってマコに聞き返していた。

 それに……考えてみれば、確かにわたしは、樹と呉次郎が直接会話しているのを見たことがない。


「だ、だけど……それがどうしたんだよ? マコ、お前はちゃんと見えてたろ、なあ!?」

「う、うん」


 マコは戸惑いながらも頷く。


「それはもちろんだけど……けど……いつきちゃんに知覚できなかったっていうのは……いうことは」


 胃の中のものが逆流しそうな感覚に見舞われた。

 途切れたマコの言葉を引き継ぐように、樹が別の方向から核心を口にする。


「わっしは……クーニャちゃんのカメラに写らない。透視も効かない」

「だから、なんだよ!?」


 わたしは樹を睨み付ける。八つ当たりだと解っていたけど、どうしようもない。

 いたたまれない空気で目を伏せる樹とマコにわたしの苛立ちは臨界を超え、テーブルを両手で思い切り叩いた。その音が響いて、静かになった瞬間爆発する。


「クレジーが人間じゃなかったって言うのかよ!?」


 ふたりとも、答えなかった。わたしは爪を巻き込むのも構わず渾身の力で指を握り込む。

 樹の言わんとするところは解っていた。

 元神様の代理人で、完全に力を失っていない樹には、『願』で実現した願いは影響を及ぼせない。だから樹が認識できない存在ってことは。


「そんなはずねえ……!」


 自分の思考を遮るようにわたしは漏らす。


「わたしは、いたんだ。ずっと一緒に生きてきたんだ! マコだって知ってるだろ!?」

「それは……うん」


 けど、と言外に続くニュアンスだった。言いたいことは聞かなくても解った。

 ずっと一緒にいた、というのは、実在の人間だということの証明にはならない。


「……でも、じゃあ……わたしのこの記憶は、なんなんだよ……? 全部、嘘だったってのか」

「そうは言ってないよ、クーニャちゃん」


 見かねたように樹が近付いてくる。


「昨日ここにいた、っていう呉次郎君が誰かの願い……『願』によって存在してたっていうのは、多分間違いない……けどイコール『人間じゃない』ってことにはならない。それに、今話したことに、彼が『今いなくなった』理由はない」

「……あ」


 頭に血が上っていたことに気付く。確かに、仮に『願』によって呉次郎が存在していたのだとして、いきなり姿を消したのは何故なのかが全く解らなかった。


「ごめん……わっしが言ったことはやっぱり意味のない話だったかも。正直、彼がいなくなったことと、今の話が関係してるのか解らない。けど、なにか手がかりになるかもと思って……」

「そういえば」


 マコがなにかを思い出したように顔を上げる。


「『観察日記』って知ってる?」

「観察日記……? なんの?」

「クーニャの」

「はあ? わたしの?」


 突然なにを言い出したこいつ? と、わたしは半眼で訝しむ。


「くれさんが酔っ払いながら喋ってたんだけど、二年くらい前から、毎日のように書いてるんだって。『あいつはわけ解んない奴だから、取扱説明書的な意味も込めて』って」

「それを言うなら育児日記じゃ……?」と言ったのは樹だ。

「『俺は親じゃないし、育ててもいない。あいつがでっかくなるのを観察してるだけ』だって」

「……朝顔じゃないんだから」

「それで、今思ったんだけど……取扱説明書、ってことは、誰かに読んでもらうために書いてるってことだよね? 自分以外の誰かに、クーニャのことを知ってもらうために」

「……それって、つまり」

「くれさんは、クーニャの傍から自分がいつかいなくなることを知ってたのかも」


 わたしは反応できなかった。声を出したら、そのまま泣いてしまいそうだったから。


(なんだよ……それ。わたし、なにも聞いてないよ)


 マコの言うことが正しいとしても、急過ぎる。すんなり飲み込めるわけがない。


(けど、考えるのは後だ)


 わたしは首を左右に激しく振って、両頬を自分で思い切り叩く。


「く、クーニャ?」


 目をきつく閉じて、数回深呼吸してから瞼を開いて言った。


「探してみよう。その『観察日記』ってのを」

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