第35話 べ、別にえ、えっちなことをしたいという意味では……その……ない…………よ?
▽
断片的な記憶映像の再生を経て、瞼を開いたわたしは、自分の部屋のベッドにいた。
まるで、生まれ変わったような思いに包まれていた。
(……繋がっ……た)
記憶の再生は、『思い出す』というのとは少し違う。さりとて、『昔撮影したホームビデオをテレビに映して見る』というのとも違う。
見えるだけじゃなく、聞こえるだけじゃなく、肌が触れる感覚も、感情が空気に伝わる感覚もある。したことはないけど、多分、タイムスリップをしてきた、というのが一番的確なんじゃないかと思う。正に『再び生きる』だ。
だから再生を終えると、わたしは『たった今体験した』という感じがするし、それに誘発されるように、映像になっていない部分の前後の記憶も呼び起こされ、補完される。
ママやダンディやばぁばがいなくなった時期や理由を、マコに訊かれて答えられなかった。気にもしていなかった。けど記憶が、全くないわけじゃなかった。部品のようにばらばらになって散らばっていたそれらは、一連の再生と補完によって、少しずつ組み立てられるようになっていった。それは、趣味である家具づくりや電子工作にも似ている作業だった。
わたしはベッドから下りた。そのままドアを開けて、まだ薄暗い廊下を歩き、呉次郎の部屋のドアを手探りで開けた。
呉次郎はそこにいた。タオルケットを蹴飛ばし、壁に背を向けて丸まりながら眠っていた。
わたしはタオルケットをかけ直してあげてから枕元にしゃがむ。
目がさらに慣れてくる。健やかな寝息を立てる寝顔に、
「クレジー」
と囁くように呼びかける。起こしたいわけじゃなくて、話しかけたかった。
「わたし……解った」
眠る呉次郎の掌に、自分の手をそっと重ね、キスをするように額を額にくっつけた。
「……ん……久那?」
呉次郎が薄く目を開ける。寝惚けたように呼んできて、わたしは焦る。
「わ、わっ」
本当に起きてしまうとは思ってなかった。手を離してしゃがんだまま後ろに下がる。
「なんだよ……? ……お前、またなにか企んでたのか?」
眼鏡をかけてないからよく見えないのか、眠いからか、細めた目のまま軽く睨んでくる。
「ち、違うよ。ただ……」
「ただ?」
欠伸をして、億劫そうに呉次郎は上体を起こした。本当に起こしてしまったらしい。
「わ、わたしさ……思い出したんだよね」
「なにを?」
ベッドの上にあぐらをかいて首を回す呉次郎と、床に座るわたしの視線が交差する。
「ママと、ダンディと、ばぁばのこととか」
呉次郎の顔色が変わる。
どうせまたくだらないこと言うんだろ、って感じが消えて、耳を疑うような驚きになった。
「久那……?」
「多分、色んなことがあり過ぎて。なんとなくは解ってたけど、無意識に考えないようにして、奥のほうに押し込めてたんだ。けど、思い出した」
わたしはその台詞を、冷静に説明していたわけじゃない。
別にやましいことをしてたわけじゃないけど、寝てる呉次郎に近付いてたところを見つかって、気まずさとか恥ずかしさを誤魔化そうという気持ちが半分以上で、まくし立てるように、思い出して組み立てた記憶を説明した。
呉次郎はそれをじっと聞いていた。相槌も打たず、否定もせず、けど一度も目を離さず、確かめなくたって聴いていることは明らかだった。
ひととおり話し終えると、呉次郎はベッドから下りてわたしの目の前に膝をついた。
「久那」
酷く真剣な目で、肩に手を置いてくる。
「えっ……と」
わたしは内心テンパっていて、思い出した過去のことより目の前の呉次郎にどう接したらいいのか解らなくなってて、困ったように見返す。
「大丈夫か?」
「え? あ、う? うん、大丈夫……だと思うよ」
曖昧な返事を不安と勘違いしたのか、呉次郎はわたしの頭を抱え、抱き締めてきた。
「く、クレジー?」
「……ずっと、怖かった」
「え?」
「俺はお前が……平気なはずない目にたくさん遭ってきたのに、平然と過ごしてるから……どこか無理をしてて、いつか突然、壊れてしまうんじゃないかって思ってた。そのとき俺には、お前を支える力なんてないから……お、俺は……っ」
声に涙が混じっていた。わたしの頭に上っていた血が一瞬で引いていくのが解った。
呉次郎の背中に手を回し、目を閉じて指先まで力を込める。
「ばかだな」
胸の中に、温かいものが流れて満たされていくのを感じた。呉次郎の温もりに、今まで感じたことがないほど心が落ち着く。
(……気持ちいい)
不安なことなんてなにもない休日の布団の中みたいだった。よく晴れた朝で、カーテンの隙間から射し込む光が部屋の中に作る影がとても綺麗で、呼吸をしているだけで幸せが肺の中に入ってくるみたいで。だから、思わず言葉が漏れた。
昔の記憶が今の自分と繋がって、未来が想像できて……自然と飛び出した。
「わたし」
だからこそ多分自覚している以上に、本音だ。
「クレジーの子どもが欲しいなぁ」
音を聞いた瞬間、瞼を開いた。
自分の耳を疑った。身体の動きが止まった。思考も停止した。
そのまま数秒が経過した。
呉次郎がわたしの肩を掴んで身体を引きはがす。目が合う。
多分、わたしと同じ顔をしていた。つまり、
「今、なんつった?」
わたしは息を呑んで両手で自分の口元を塞ぐ。
(なに言いやがったわたし!?)
ようやく感情が戻ってきたが、一度音になった言葉は取り戻せない。
「ち、ち、違う!」
今さら口を塞いでも意味がないことを悟って、呉次郎の視線を掌で遮った。顔が真っ赤になってるのが解るけど、それを気にしてる場合じゃない。
「い、今のは、その……そういうことじゃなくて!」
「あ……は、はは……そ、そうだよな。ハハ、だよな! あはは!」
呉次郎は天井を見上げて妙なテンションと裏声で笑う。全然言葉が噛み合ってないけど、このまま有耶無耶にできそうな空気になる。
そしてその瞬間、胸の奥が痛んだ。
ちくりと、なんてものじゃない。ついさっきまで世界で一番安心できる場所にいたはずなのに、身体が真ん中からばらばらに砕かれるような痛みだった。だから、
(駄目だ)
と思った。この流れは望んでない。誤魔化すんじゃなくて、ちゃんと解ってもらいたい、という衝動が全身を突き動かす。
「違う。違くないけど、違う」
手を下ろして俯いたわたしに、呉次郎が「く、久那?」と怪訝な声を向ける。
わたしは顔を上げて、真っ直ぐその目を捉えた。
「わたしは、呉次郎とずっと家族でいたい。今のままじゃなくて、いなくなる一方じゃなくて……家族を、増やしたい。呉次郎とわたしの子どもがいたら、って想像すると……それだけで凄く愛しい気持ちになるんだ。だから……」
ひと息で言おうとして、そこでほんの少しだけど、言い淀む。
「だ、だからね……」
目を丸くする呉次郎に、気を取り直して続きを言う。
「べ、別にえ、えっちなことをしたいという意味では……その……ない…………よ?」
結局言い切れず、段々声が小さくなった。目を逸らさずにはいられなくなって、反応のない空気に耐えがたくなって、また顔が真っ赤になるのを感じた瞬間、
「もっかい寝る! 絶対部屋に入ってこないでよ!」
わたしは逃げた。もちろん呉次郎の顔なんて見られるはずがない。
しょうがねーだろ!
耐えられるかこんなもん!!
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