第15話 園児の将来の夢なんてアバンギャルドなのばっかだよ

「さてじゃあ、次の問題です。その願いとは、なんでしょう?」


 樹の質問に、わたしは真っ正直な感情で答えた。


「どうでもいい」

「あちゃーっ!」


 樹は目を閉じて自分の額を叩く。


「駄目だよークーニャちゃーん。テストの解答用紙にそんなの書いたら、0点だよ?」

「0点でいい。んなことより、なんでわたしはカメラになって、マコに狙われてんだ?」

「やあ、だからそれがヒントなんだってば」

「ヒントはいいから答えを言え」

「最低! 最低の生徒だよクーニャちゃん! それじゃ自分の身にならないよ!?」

「いつわたしがお前の生徒になった。これ以上はぐらかすならカレー取り上げるぞ」

「わっしが悪かったです言います」


 想像以上の手のひら返しだ。渋面ながら樹は従順な声を出す。


「あのさ、覚えてるかな。幼稚園の卒園に向けて、みんなで将来の夢を書いたこと」

「あー……文集みたいなの作ってるときのことか?」

「うん。多分それだね」


 樹はまだカレーを食べ続けながら喋る。


「それをさ、君たちの園はわざわざ神社に来て絵馬として祈願したのさ」

「……あんま覚えてないな」


 普通、文集に書いて終わりじゃねえのか? なかなかユニークな園だな。


「それでね、クーニャちゃんの書いた絵馬の願いが、それだったってわけ」

「……それ?」

「『カメラになりたい』」

「嘘だろ!?」


 思わず素っ頓狂な声が出る。


「ほんとだってー。少なくとも当時は心底そう思ってたはずさー」

「馬鹿過ぎるだろ!?」


 全く覚えてない。せめてそこは『カメラマンになりたい』とかじゃねーのか。


「まあ、園児の将来の夢なんてアバンギャルドなのばっかだよ。他にも『とんがりこーんになりたい』とか『かいじゅうになりたい』とかはざらだし。『こーひーのめるようになりたい』なんて可愛いのもあるけどね」

「一体なにがどうなって、カメラになりたかったんだわたし……」

「さー? それは当時のクーニャちゃんに訊いてもらわないと」

「……て、ことは、マコがそのとき書いた将来の夢って」


 別に樹の『問題』に答えるつもりはないけど、わたしはうんざりした顔で言った。


「魔法少女、か?」


 それは覚えてる。「わたしはまほーしょーじょになる!」と公言してた。別にマコが特別おかしいわけじゃなくて、当時女子たちの間で流行ってたし、みんな憧れてた。まあ、マコの入れ込みようは他を凌駕してたけど。

 だけど樹は疲れたような笑みで首を横に振った。


「そっちだったら、まだ良かったんだけどねえ」

「違うのか?」


 樹は頷く。意外だ、マコの台詞が本音じゃなかったってことか?

 唖然とするわたしの思考を察したのか、樹は「ああ、正確じゃないかな」と言う。


「彼女は当時、魔法少女が将来の夢だったのかもしれないよ? けどそれを、神には祈願しなかったんだ。それが天使エンジェル天使エンジェルたる由縁なんだろうねえ」

「……どゆこと?」

「彼女はこう言った。『夢は誰かに叶えてもらうものじゃない。自分で叶えるものだから』」

「うわ、イラッとする」

「まあまあ。それを本音で言えるのが凄いところだよ。当時、僅か六歳だった麻子ちゃんは、既にその考えを持ってて……だから、絵馬にはこう書いたんだ」


 樹は水をひと口飲んでから、わたしを真っ直ぐ見て言った。


「『みんなのおねがいがかないますように』」

「うぜぇえええええええええええええええええええええええええええええええええっ!」


 わたしは衝動的に頭を掻きむしってのけぞった。戻ってきて、両手の拳でテーブルを叩く。


「だーから嫌なんだよ! あの女ぁ!」

「なんでさー、いい子じゃんかー。うわべじゃなくて、本気で思ってたんだよ?」

「なおさらたち悪りいんだよ!」


 身体中が痒くなったような気がして、わたしは椅子から立ち上がる。


「いいか聞け。わたしはな、園で孤立してたんだ。この」金髪を示す。「見た目のせいでな」


 子どものころ、わたしは何度も何度も


『なんでくーにゃちゃんはみんなとちがうの?』


 って言われてきた。子どもは素直に思ったことを口に出すだけだから、そこに善悪はない。

 問題は、それに答える大人の観念だ。 


 この国では、国民=黒髪黒目の黄色人種、という観念が根深い。世代に関係なく、そう思い込んでる奴が多い。少なくともわたしの周りはそうだった。

 そりゃあ口ではなんとでも言うさ。差別が悪だ、ってのは一応『常識』だから、表立って自分の子どもにそんな知識を吹き込む親は少ない。


 でも、目は、正直だ。

 特に、わたしがまだ言葉を完全に習得できてない子どもだったから、余計にそう思ったのかもしれない。先生を含め、わたしを見る目の大半には、『なんだか嫌な感じ』が含まれてた。

 今ならそれを、『好奇の視線』とか『出生を勘ぐる目』とかって表現する。


「当時の時点でわたしには父親がいなくて、母親は黒髪黒目だったからな。親同士の井戸端会議のネタには最適だったんだろうさ。子どもにだって、そーいう雰囲気、伝わんだよ。わたしがそもそも『なんでみんなと違うかって? わたしが知りてえんだよ!』って思って頑なな態度を取ってたから、余計に孤立したんだ」


 食らいつくように、歯を食いしばって前のめりになる。


「そんな状態で……マコが、あいつだけがなんの偏見もなく、差別ってものを心底知らないような顔で近付いてきたんだ」


『くーにゃちゃんのかみのけ、とってもきれいだね。めも、きらきらしてる!』


 他の奴らがどんなに遠巻きに見てても、そんなの関係ねえって感じだった。

 それがマコの本音だってことを、疑いようがなかった。


「それがきっかけになって、他の奴らも、わたしに近付いてきた。なんの使命感も同情もなく、あいつはわたしの孤立を一度は解消しかけたんだ」

「ちょ、ちょっと待ってよ」まくし立てるわたしに、樹が掌を掲げる。「いい話じゃん」

「ああそうだな」

「じゃあなんで君は麻子ちゃんを嫌うのさ? 救ってもらったんでしょ?」

「救ってもらった、だあ?」


 わたしはイラッとして、樹のカレー皿を取り上げた。「ああっ」と樹が情けない声を出す。


「誰も助けてくれなんて言ってねーんだよ!」


 わたしは、当時もこんな感じの態度を取って結局また孤立した。既にマコに心酔してたカイは突っかかってきて、よく大喧嘩になった。でもカイのほうが余程ましだ。


 樹はカレー皿を掴んで引っ張り、わたしから取り戻す。抱きかかえるようにして横を向き、またひと口食べてから「ふむ、なるほどねえ」と横目で見てくる。

 樹の目に浮かぶ感情の半分は「カレー死守」だが、もう半分は「そういうことか」だった。

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