第8話 俺の天使(エンジェル)
「いいの撮れたよ」
ハジはご満悦。撮ってんじゃねーよ。
「……なんか、ごめん」
女子のほうは光の差さない目で、哀れみと蔑みから来る申し訳なさを浮かべている。自分が下に見られてることにかっとなって、ジャンプするように立ち上がり、指差しながら迫る。
「なんなんだよお前! 突然襲いかかってきやがってっ!」
「照れ隠しギレ可愛い、クーニャ」ハジとシャッター音は無視する。
「そ……それは悪かったけど、そもそもあなたが私を無視して行こうとしたんでしょ!」
勢いに一旦は身体を引いた少女は、すぐ眉を吊り上げて言い返してくる。
ちっ。
「はぁ? 無視もなにもわたし、お前のことなんて知らないし、約束もありませんけどぉ?」
「外に出ろって合図したでしょ!」
「え、もしかしてあの猪木面? 新手のストリートパフォーマーかと思ったわぁー」
「窓に張り付いて店の中に見せつけるストリートパフォーマーなんておかしいでしょ!」
「ストリートパフォーマーじゃなくたって、相当おかしかったからな? 頭おかしい女が突然窓の外に現れたから、刺激しないように無視して去るってーのは普通の対応だろ」
「い、言わせておけば……」
言葉が続かないのか、女子はでっかい目を見開いて震えている。へっ、ざまあ。口喧嘩は勢いと気合いだ。幼少時から虚勢とはったりスキルを磨きに磨いたわたしに、そう簡単に勝てると思うなよ(おばちゃんには戦わずして負けてたとか言うな)。
「ちゃんと説明しようと思ってたけど……もういい! とりあえず返してもらうから!」
女子がわたしの眼前に、持ってた棒状のものを振り上げる。返してもらうってなんだよ、と思いつつ、わたしはその変わった形状に目を凝らした。
「……お前、それ」
まばたきをして、自分の認識がおかしいわけではないことを確かめる。女子の顔が気まずそうに歪み「な、なによ」と若干身体を引いた。わたしは指を差す。
「魔法少女のステッキ?」
女子の肩がびくつく。
そうなのだ。棒状のもの、は色こそタモのようなナチュラルカラーだが、錫杖や木刀とは明らかに形状が異なる。長さは一メートル未満で、先端には三日月が幾重にも重なったような形の意匠が施されており、その中央には桜色の巨大なガラス玉がはめ込まれている。テレビで昔見た魔法少女の持つステッキ……にしては少々渋めではあるが、それだけに「リアルで魔法のステッキを作るとこんなんです」みたいな感じがした。
そしてそのとき、わたしの脳裏で、幾つかの情報がひとつのラインに繋がった。
魔法少女。おかっぱな黒髪。愛嬌のある目鼻立ちと明るい声色。
さっきカイが呟いた「マコちゃん」。
わたしは夢から覚めた直後のように両手を伸ばす。女子の両肩に触れ、目を覗き込んだ。
「エンジェル・マコ?」
女子、いやマコが口元を引きつらせる。目元も、呪詛を向けられたかのように歪んだ。
エンジェル。
リアルにそう呼ばれてた女が、かつてわたしの人生にひとりいた。
本名は、
幼稚園から一緒で、小学校の途中で別の土地に引っ越した。その別れを、先生もクラスメイトたちも、その親たちからすら惜しまれていた。
何故か? ひと言で言えば、彼女はみんなのアイドル、いやそれ以上の存在だったからだ。
並外れた美人というわけじゃない。完璧だったのは愛想だ。大人たちの愛情を引き出すツボを生まれながらに心得ているようで、どんな無愛想な大人でも、マコに無邪気な笑顔を向けられるとつられて笑った。エンジェル、と称されるのも無理はない。
さらにマコの天使っぷりは見た目に留まらない。争いを嫌い、喧嘩する園児がいれば身を挺して止め、乱暴者の男子すらマコの前では牙の生え揃わない子犬と化した。自らの身を顧みず他人の幸せを願うのが当然という人格に、本能のまま自らの欲求をぶつけ合うことしか知らなかった園児たちは、僅か五、六歳にして『意見の擦り合わせによる調和』を体験した。
マコはただの友人ではなく、尊いなにかであり、導き手であった。みんなマコが好きだった。
約一名、わたしを除いて。
わたしだけは、マコに喧嘩を売り、我が儘を通した。マコの吐く綺麗事をなじり、反抗期を迎えた思春期の少年みたいにしつこく噛み付いた。マコに笑顔を向けられると嫌悪感を覚えたし、あいつを讃える連中を見るとムカムカした。
当然、そんな性格のわたしは周りから嫌われ、孤立した。けど気にならなかった……いや、正確に言えば『そのことでは』気にならなかった。だって元々、孤立してたから。
そして今、マコと目が合ったわたしの腹の底から浮かび上がる感情は、
「久しぶり、じゃないか」
愉快、だった。だってさっきからの姿のどこにも、エンジェルの面影はない。気付かないはずだ。数年ぶりだからってだけじゃなく、もはやこいつは地に落ちた天使ってわけだ。
その証拠に、「エンジェル」と呼ばれた途端、苦渋に満ちた顔になった。
「元気だった? 大きくなったねぇ。なにそのステッキ。あ、そっか、確かマコちゃん魔法少女に憧れてたよね。将来の夢を叶えた、的なぁ?」
「ち、違」
「よければなにか魔法使ってみてよ? あ、変身とかするの?」
皮肉げに、半眼で眉をハの字にして揶揄するわたしに、マコの顔は羞恥で歪む。
「そ、そんなんじゃ……ないもん……」消え入る声に涙が混じる。
「おお、いいね照れ顔!」
ハジが本人の目の前でカメラのシャッターを連続で切る。ちなみにこいつは小学校の途中で転校してきたから、当時のマコを知らない。初対面でこの対応は引くな……。
唇を噛み締めてガチ泣きを堪えるマコを見ていると、わたしの胸はハーブ園にいるかのようにすっとした。さて次はなにを言ってやろうかと考えながら笑いを堪えたそのとき、
「てめぇえ! なに泣かせてんだ!」
わたしとマコの間に小さな身体が勢いよく入り込んできた。
突き飛ばされ、わたしはよろけて数歩後ずさる。睨み付けてきたのは、店の中で放心していたはずのカイだ。復活したらしい。
「ちっ、すっこんでろよカイ」
「そんなわけにいくか!」
カイはマコを庇うように立って、極めて熱の高い、燃えるような目でわたしを射貫く。
「俺は、この日をずっと待ってた。いつかもう一度会えると信じてた……!」
そしてカイは首を半分だけ回してマコを振り返って決め顔で笑う。
「俺の
その声を聞いたマコの顔が、変わる。反射的に素の声が出る。
「きもい」
黒い昆虫が隙間なく虫籠で蠢いているのを見るように、目も口も生理的嫌悪感を示していた。
カイが再び、石化する。
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