第4話 誰が胸の大きさの感想を言えと!?

 昨日、教室で目が覚めると、全ての授業が終了してクラスメイトが全員いなくなってた。

 寝惚けながら目を擦ると、窓からオレンジ色の光が射し込んでて、等間隔に並ぶ机の上にコントラストの高い陰影ができているのを「綺麗だな」と思った。


 そのとき、どこか近いところで『かしょん』っていうカメラのシャッター音みたいなのが聞こえた気がして、周りを見たけど誰もいなかった。欠伸をして二度寝の体勢で目を閉じたわたしは、飛び上がるほど驚いて身体を起こした。


 瞼を完全に閉じたのに、わたしはたった今見た光景の中にいた。


 正確には、その絵は静止してたから写真と言うほうが正確かもしれない。だけど四角く切り取られてるわけじゃなくて、視界と同じように、見える範囲全てが世界だった。


 これまで意識したことはなかったけど、『思い出す』のと『もう一度見る』のには大きな違いがあるんだな、と思った。確かにわたしはたった今見たばかりの景色を思い出すのではなく、もう一度見ていた。それも、スマホの中の写真を選ぶように、繰り返し。

 当然、混乱した。わけが解らなかった。


「なんだこれ」


 おかしくなったのか? なにかの気のせいか? と不安にもなった。


 帰り道の途中、柴犬とか水溜まりに反射する雲とか枯れすすきとか秋桜とか、色々なものを「撮ろう」とか「綺麗」とか思ってみた。幾つかの感情によって『シャッターが切れる』こと、後から選択して『見る』……というかそのときの場面の中に『戻れる』ことを確認した。




「これがなんなのか解らないから相談したかったのに! クレジーが信じてくれない!」

「解った、信じるよ」


 呉次郎は酷く優しい声を出して、わたしの頭を撫でた。目線の高さを合わせてくる。


「ごめんな、真面目に聞かなくて。久那、俺はそういうのをなんて言うか知ってるよ」

「……ほんと?」

「ああ」


 呉次郎は唇に微笑みを浮かべた。


「中二病って言うんだ」


 わたしは頭に置かれた呉次郎の親指と小指を左右から外側に引っ張る。


「痛ぁいっ!」手を引っ込めて庇う体勢になる。「なにすんだよぉ」

「寝てる間に悪の組織に改造された結果だったらどうすんだ! 心配じゃないの!?」

「その発想をナチュラルに捻り出す脳味噌が心配だよ」

「だったらこれ見てよ!」


 おもむろに、着てるワイシャツのボタンを上から開ける。呉次郎は特に慌て出すこともない。みっつ開けた状態で、わたしは前をはだけて胸を張った。


「ほら! どう?」


 呉次郎はわたしの胸元を興味なさそうに数秒眺めてから、首をかしげた。


「……久那って、男なんだっけ?」


 次の瞬間、呉次郎はプロペラのように回転して床に倒れる。わたしが一回転して、遠心力を載せたフックで殴り飛ばしたからである。


「なっ、なにすんだっ?」


 頬を押さえ、心底不思議そうに見上げてくる呉次郎に、わたしは震える声を叩き付ける。


「誰が胸の大きさの感想を言えと!?」

「前をはだけておいて胸以外の感想を求めるとか、理不尽過ぎるだろ」

「これだよ、これ」わたしは鎖骨から拳ひとつ分くらい下、胸の中心を示す。

「……なにそれ?」


 呉次郎が起き上がり、ずれた眼鏡の位置を直しながら覗き込んでまばたきをする。


「多分、カードスロットだ」

「……は?」


 厚さは二ミリもない、幅数センチ程度の平べったい溝がある。鏡で見て、最初はきざみ海苔でも付いてるのかと思った。けど取れないし、触ってみたら穴だった。痛くもないし血も出てない。それなのに、窪みってレベルじゃなくて奥まで均一に空いてるみたいだった。


「きっとここに対応メディアを入れることで、撮影した絵が、外部に共有できるんじゃないかと推測してる。今はまだ、わたしがカメラになったっていうのを証明するのは難しいけど……方法が見つかってから謝ったって、わたしの信頼は取り戻せないからな。信じるなら今だぞ」


 真っ直ぐに睨み付けるわたしに、呉次郎は軽く息を吐く。姿勢を戻して真っ直ぐ立った。


「久那……ごめんな」


 眉と眉の間に苦悩を刻み、それからおもむろに抱き締めてくる。


「な、なんだよ……?」


 背中の手に力が込められて、わたしは戸惑う。が、続く言葉はあさっての方角を向いていた。


「忙しくて構ってやれなくて。寂しいんだよな……今度の休日はどっか連れてってやるから」


 わたしにしては相当頑張った、と思う。

 手も洗わず着替えもせず寝こけた呉次郎を少しでも安眠させようとした。朝、話を聞くって約束を忘れてても、シャワーに送り出した。朝ご飯を作って、肩揉みまでしてあげた。


(それなのに)


 わたしの耳の奥で、ふたつの音が響く。

 ひとつは『かしょん』というシャッター音、もうひとつは、なにかが切れる音だ。


 ぷち。


 気付けばわたしの唇からは震える「ふ、ふ、ふ」という笑い声がこぼれていた。


「……久那?」


 呼ばれた瞬間、呉次郎の脇腹を両サイドから思い切り捻り上げた。

 くすぐりに弱い呉次郎は腹を抱えて後ずさる。適度な距離ができた瞬間、続けざまわたしは一切の容赦なく股の間を蹴り上げた。

 呉次郎が声もなく床に沈む。


「散々世話させておきながら、子ども扱いすんなぁああっ!」


 怒鳴りつけるとわたしは悶絶する呉次郎も、テーブルの上の冷めた朝食も無視して部屋に戻り、スクールバッグを肩に掛けてひとりで家を出た。

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