第一章 怪人カメラ女は爆誕し、魔法少女と闘ってみたりする

第1話 わたし、妊娠した

 平日の呉次郎を、わたしはあんまり好きじゃない。

 朝は慌ただしくて会話どころじゃないし、夜は疲れて虚ろだからだ。とは言え今日わたしに起きた出来事は休日を待つことなんてできないほどの一大事で、だから夜遅くに


『駅に着いた。今から帰るよ』


 というメッセージを受け取ってすぐ、玄関を飛び出した。そして駅までの道の途中で、夢遊病者のような足取りで歩く呉次郎を見つけるなり、飛び付くように手を伸ばした。


「クレジー!」

『久那! わざわざ迎えにきてくれたのか。ありがとう、嬉しいよ』


 とでも言ってくれればいいものを、現実には


「……どうした?」


 と怪訝な顔をする。そればかりか『またよからぬことを言い出すのか? 面倒臭い』という感情を隠そうともしない。わたしは一気に不機嫌になって、伸ばした手で頬をつねった。


「『わざわざ迎えにきてくれてありがとう』でしょ?」

「押しつけがましい……」

「じゃなくても、せめて『夜道を女子ひとりで歩くなんて危険だよ』じゃないの?」

「解ってるなら出歩くなよ……」


 痛い、と呟きながら呉次郎は立ち止まらず歩いていく。わたしは手を離して横に並んだ。


「話があるんだ」

「ああ、うん」


 返事があったけど、呉次郎の目はわたしを見ていない。そりゃ歩いてるんだから前を向いてて当たり前だけど、現実すら見てないように遠い目をしてる。


「大丈夫?」

「ああ、うん」


 生返事にわたしは鳩尾の辺りに短くも細い怒りが稲妻のように発生するのを感じた。押さえ込みながら、試しに違う話題を振ってみる。


「ご飯は食べてきたんだよね?」

「ああ、うん」

「少し夜は涼しくなってきたよね。もう九月も終わるから」

「ああ、うん」

「……わたし、妊娠した」

「ああ、うん」


 わざわざ溜めを作り、声色を震わせて上目遣いをしたのに、呉次郎はそのまま歩いていく。わたしは立ち止まって瞬きをする。次の瞬間、腹を一文字にかっさばくような太い怒りが湧き上がり、眉を吊り上げて口を開きかけた……ら、同時に呉次郎が百八十度上半身を反転させた。


「ええっ!?」


 拳銃の引き金を引く寸前指を押さえられたみたいに、わたしは口を開いたまま止まる。


「い、い、今なんて言った!?」

「……やっと聞いた」息を吐き出し、唇を尖らせる。

「く、久那。ほほ本当なのか。あ、相手は誰だ」


 数歩先へ行っていた呉次郎が一気に距離を詰めてきて、わたしの肩を揺さぶる。わたしはされるがままになりながら、眉をハの字にして半眼で笑った。


「嫌だわ呉次郎さんたら。相手に覚えがないなんて、いけずぅ」


 その台詞に呉次郎は動きを止めて間を作った後、身体中の空気を抜くように脱力した。


「……なんだ、嘘か」

「お前がなにを言っても上の空だから悪いんだ」

「だとしても、心臓に悪い」


 呉次郎はさっきよりさらに疲れた顔になって再び歩き出す。その後もわたしからしつこく話し掛けたけど、もはや半分意識を失ってるような様子の呉次郎が反応することはなかった。

 そして家に着いた途端、手も洗わず自分の部屋に直行し、ベッドに顔面から倒れ込む。


「おい、クレジー」うつぶせになった呉次郎を揺さぶるが、既に目を閉じている。

「やめろぉ、眠らせてくれぇ……」声は既に寝言みたいだ。

「話が、あるんだ、よ」揺さぶり続ける。

「明日にしてくれぇ……」

「どうせ明日だって疲れて帰ってくるんだろ」

「休日にしてくれぇ……」

「一大事なんだ。そんなに待てないんだ」

「ならせめて、朝にしてくれぇ……」


 それきり、わたしがなにを言っても呉次郎は言葉を発しなくなった。わたしは頭を掻きむしり、呉次郎の背中をパーで叩く。それでも無反応だ。


「むかつくぅううっ!」


 舌打ちしながら自分の部屋に駆け込んだ。デスク常備のマイ半田ゴテを手に取り、抱く。


「アグちゃん、聞いてよぉ。クレジーが酷いんだよぅ」

『俺が焼いてやろうか?』自分が出せる一番低い声を出す。

「ううん。こんなことのためにアグちゃんを犯罪者にするわけにはいかないよ」

『犯罪者にはならねえよ。せいぜい凶器さ』

「あ、そっか。てことはわたしが犯罪者になるんじゃん! なに幇助してくれてんのさ」

『ふ、それに気付けるくらいなら大丈夫だ。まあ許してやれ、あいつも仕事で大変なんだ』

「それは解ってるよ? 解ってるけどさあ」

『すまないな。俺にできることはせいぜい、基板と電子部品をドッキングすることくらいだ』

「十分だよ。いつもありがとうぅ」

『ならば奴のことなど忘れて一心不乱に俺を使え。仕掛かり中の基板があっただろう』

「よっしゃ!」


 話はまとまった。わたしは生じた苛立ちから気を逸らすため、アグちゃんのプラグをコンセントにぶっ刺して、十分温まるのを待ってから作りかけのオーディオ基板の半田付けをし始めた。ヘッドホンアンプを自作するキットというのがネットに売ってて、まだ作り始めだった。


 作業に没頭し、気付いたら三十分以上経っていた。半田に限らず、なにかを作る作業というのはとてもいい。頭の中が空っぽにできる。わたしの心はすっかり落ち着きを取り戻していた。

 アグちゃんの電源を抜いてわたしは首を回し、椅子の上で大きく伸びをした。それからリビングに行って麦茶を一杯飲んで、深呼吸した。


 もう一度呉次郎の部屋に入ると、さっきの体勢のままだった。わたしはウエットティッシュで呉次郎の手を拭いた。それから着たままのジャケットを片袖ずつ脱がしてハンガーに掛ける。腰に手を回してベルトを抜き、スラックスの裾を持って脱がせる。ついでに靴下も脱がせた。


「あ……てゆーか」


 頭のほうに回り込むと、思ったとおり眼鏡を掛けたままうつぶせになっていた。よくこれで眠れるな……と呆れながら、片手で頭を支えて片手で眼鏡を抜き取り、枕元のミニテーブルに置く。腰に手を当て、ワイシャツとパンツだけになった呉次郎の背面を見下ろす。


(このままじゃ風邪引くかなあ。季節の変わり目だしなあ)


 身体の下敷きになってるタオルケットを引っ張るけど、びくともしない。諦めて、わたしは自分の部屋のベッドからタオルケットを持ってきて、呉次郎のお腹から下くらいまで被せた。


「これでよし」


 やるべきことをやった、という満足感にわたしは笑みを浮かべる。電気を消して部屋を出た。


(さて、あとはいつもより早くクレジーを起こさないとな。どうするか……)


 考えながらわたしはトイレに寄って、洗面所で手を洗って歯を磨き、自分の部屋に戻る。

 そして当然ながら自分のベッドにタオルケットがないことに気付く。


 数秒腕組みをして目を細めてから、「ああ」と手を打った。

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