最終話
紗利奈、ベルチェ、ティーアの後に続き、トビーは移動する。
連れてこられたのは、屋敷の庭に生えている木の下。以前に登ってティーアの動向を探るのにも使った場所だった。
トビーの前に三人は並び、示し合わせていたのか紗利奈が一歩出て口を開く。
「私ね、元の世界には戻らなくていいって思ってる。帰りたくない訳じゃない。残してきた家族とか、友達とか、言わなきゃいけないことはあるから、話をしに行きたい。でも、最後にはこっちの世界に居たいって思うんだ」
「そう、なんゴフか。えと、こっちの方が良いゴフ?」
「うん、って言っても住んでて楽な訳じゃないけどね。電気もスマホも無いし、不便なことばっか。でもね、こっちの世界じゃなきゃ駄目なんだ」
紗利奈は一呼吸置き、言う。
「トビーがいるから。トビーと一緒に居たいから、私はここで生きる。そう決めた」
真っ直ぐに、紗利奈の黒の瞳はトビーを見つめていた。揺らぎは一切無く、迷いは欠片も有らず、紗利奈はそう口にした。
そして、徐々にその頬を、耳を赤く染めつつ、続きを言おうとする。
「で、でね、あの、あの時言った『好き』の意味なんだけど、それは――、」
言葉が口から漏れ出す、その瞬間。
「待った!! 紗利奈、その先はアタシが言う約束でしょ! 順番は決めたじゃない!」
バッとベルチェが紗利奈の前に出て、声を大にして妨げた。ビクリと紗利奈の肩が震え、けれど構わずにベルチェは言う。
「ほら、紗利奈とティアはちょっと下がってて。アタシが一番なんだから!」
「う、ご、ごめんベル。つい言いたくなっちゃって……」
「仕方ないです。でもベルさんが言ったら次はわたしですっ! 決めましたです!」
悔しそうな視線を残し、紗利奈とティーアが少し離れる。その場に残されたのはトビーとベルチェ。互いに向き合い、見合わせる。
「……二人で話すのって最近は無かったわね。忙しかったし」
「確かにゴフ。色々とあったゴフな」
そう言葉を交わすと、少しだけ無言の時が流れる。ベルチェの顔はみるみる赤くなり、二つ結びの髪や手足の先で揺れる火が激しく燃え出す。
何を言われるのだろうか。トビーには見当も付かない。だから、待つしかない。
ベルチェは、その強気な瞳を紅に煌かせ、口を開いた。
「トビー、アタシはトビーが好き。大好き。世界で一番好きよ」
「う、うんゴフ」
「その好きの意味、トビーには伝わらないと思うから、ちゃんと言うわね」
ベルチェは大きく息を吸う。少し溜め、内に秘めた気持ちと共に、言葉にする。
「アタシ、トビーと結婚したい。ずっと、アタシと一緒にいてくれませんか?」
その瞬間、トビーは呼吸を忘れた。
あまりにも真剣なベルチェの声に、その意味を知る。
彼女の言う『好き』は、とても大切な『好き』なのだと、分かった。
仲間だからとか、優しいからとか、そんな意味を大幅に超えた、最大限の好き。
一生を共にしようという、種族など関係の無い唯一の意味だと、真に理解する。
「け、結婚ゴフ。え、ベルが、オレと、ゴフ?」
「そうよ、そういう好きなの。トビーでも分かるでしょ?」
「わ、分かるゴフ。や、け、結婚ゴフ。『好き』って、そういう事だったゴフか」
思わずトビーは何度も結婚と繰り返した。
母親から早くしろと急かされた事もあるが、トビーは全く考えていなかった。自分が誰かと一生を添い遂げるなど、早いと思っていたから。
けれど、こうして純粋に思いを伝えられると、トビーは考えてしまう。
自分はベルチェと結婚したいのだろうか。その意味で、好きなのだろうかと。
とても大切な仲間だ。可愛くて、優しくて、一緒に居て楽しい少女だ。
ずっと一緒に居る事、それは悪くない、寧ろ嬉しい事のように思える。毎日を共に過ごし、本を読んで、魔法を練習して、あのアパートで生活する。それはきっと、幸せな日常になるだろうと確信できる。
「オレ、ベルと一緒になるの嬉しいゴフ。でも、……結婚なんて考えてなくて、どう言えばいいか分からないゴフ……」
トビーは素直に、自分の考えを吐露した。正直に答えなければならないと思った。
それを聞き、ベルチェは微笑む。うん、と言って頷いた。
「知ってるわ。嬉しいって言ってくれただけで、アタシは幸せよ」
可愛らしく笑みを浮かべ、ベルチェはトビーを見つめる。
そして、こう言った。
「じゃ、次はティアね」
はた、とトビーの思考が停止する。
「……次、ゴフ?」
「当たり前じゃない。好きって言ったの、全員でしょ?」
ベルチェは下がり、代わりにティーアが前に出た。
普段は静かな雰囲気の彼女だが、今日は異様に気合が入っているように見える。
「トビーさん、好きの意味は分かってくれたです?」
「分かったゴフが……え、ティア、まさかゴフ」
「はいです」
ティーアは青の瞳を一直線にトビーへ向け、そして言う。
「わたし、トビーさんと結婚したいです。いえ、結婚しましょうです。ずっと、わたしと一緒にいましょう、です!」
「ご、ゴフッ!?」
あまりにも正直なその言葉に、トビーは面食らってしまう。
ベルチェに続き、ティーアにも結婚を申し込まれてしまった。その事実は一介のゴブリンには大きすぎて、後頭部を全力で殴りつけられた気分だ。
ティーアと結婚。それはきっと幸せだ。強く可憐で、包み込む優しさを持った少女だ。毎日は楽しく、一緒に修行して、料理を作って、安心できる日々となるだろう。
そんな事をふと想像しつつ、いや現実的に考えなければと思いなおす。
ただのゴブリンが二人と結婚など前代未聞だ。族長ならば良いが、トビー自身は一般的なゴブリン。父のオビーだって結婚相手は母だけなのだから。
つまりは、どちらかを選ばなければならない。そんな事、突然に言われてはトビーに判断など出来やしない。
「う、嬉しいゴフ。ティアと一緒は幸せゴフ。け、けど同時に結婚は出来ないゴフから、でもそんなのオレには――、」
「嬉しいです!? やったです! それじゃあ、紗利奈さん、どうぞです!」
トビーの言葉を最後まで聞かず、ティーアは紗利奈と交代してしまった。
慌てるトビーだが、しかし目の前に現れた紗利奈は緊張の面持ち。思わず口を閉じ、身体を硬直させた。
「……つまりね、まあそういう事なんだけど」
「ご、ゴフ」
紗利奈は頬を緩め、真っ赤な顔をして言う。
「トビー、結婚しよ。私、トビーが居てくれればそれでいい。人間とゴブリンだけど、問題ない。私、トビーと一緒なら何でも乗り越えられるから」
「ゴフぅッ!?」
トビーは脳内が大爆発した気がした。魔王城が吹き飛んだ時よりも、更に強く。地を穿つような爆撃が、頭の中を襲来したのだ。
紗利奈と、結婚。いや紗利奈も、結婚を申し込んできた。
紗利奈と一緒ならば、それは楽しいだろう。勇者の頃は思いもしなかったが、素の紗利奈は天然だ。思いもよらない事を言い、そして行動する。毎日笑顔の連続だろう。
だが、その前に紗利奈は異世界の人ではないか。いや魔族と人間だ。そもそも三人から同時に結婚を言われてしまったのはどういう事か。
知恵の実を食べようとも、トビーの脳は処理限界となった。
ぐるりぐるりと脳細胞が回転し、頭の天辺から煙が上がる感覚。口などずっと開きっぱなしで、傍から見れば間抜け面に違いない。
そんなトビーを見て、紗利奈は声を漏らす。
「あー、やっぱり。もうなんにも考えられないみたい」
紗利奈がチラリと背後に視線を向けると、ベルチェとティーアが苦笑いで近寄る。
「予想通りって感じよ。トビーだものね」
「トビーさん、大丈夫です? クラクラしてるです」
そんな声を遠くに聞きつつ、トビーの頭は処理を続けようと必死だ。
結婚とは、好きとは、自分でいいのか、何をすればいいのか、延々と巡る。
そこへ、紗利奈は助け舟を出した。
「トビー、一つ良い事があるの。聞こえてる?」
「い、良い事、ゴフ?」
「そう、良い事。トビーの悩みを一つ消してあげるね」
ニコッと紗利奈は微笑みかける。それを見て、トビーも不器用に笑った。
悩みを一つ消す。それは今のトビーにとって僥倖だ。何せ考えが多すぎて、どこから手を付けるべきか迷走中なのだから。
そんなトビーへの舟は、こんな言葉だった。
「魔王が言ってたんだけど、魔王って重婚アリなんだって」
「じゅ、ジュウコン、ゴフ?」
「あ、意味が分かんないか。つまり、こういうこと」
ケホンッ、と紗利奈は咳を一つ。
そして、満面の笑みでこう言った。
「三人全員と結婚していいの。誰かを選ばなくても大丈夫!」
「…………………………ゴフ?」
ピシリ、と。トビーは身体が石になるのを実感した。きっと今の自分の瞳は、点どころか真っ白になっているとさえ思えた。
ギシリギシリと全身を軋ませつつ、トビーは聞く。
「さ、三人と一緒に結婚、ゴフ?」
「そう。嬉しくないの?」
「え、や、待つゴフ待つゴフ! そんなのいいゴフ!? ベルもティアも、納得してるゴフか!?」
結婚について深く考えたことの無いトビーだが、唯一将来そうなるだろうなと予想していた事はある。それは、誰か一人と一緒になること。族長ではないのだから、誰かを選んで二人で一緒になるだろうなと、そう思っていたのだ。
トビーは大慌てでベルチェとティーアを見るが、二人は頬を赤くして言う。
「そ、そりゃあアタシとだけが良いけど、魔王になるかもでしょ。そしたら、やっぱり独り占めは難しいかなって、ね」
「そうです。それに、皆でお話したです。紗利奈さんも、ベルさんも、とてもトビーさんが好きってわかったです。だから、皆で幸せになりましょうです!」
うんうん、と頷く三人の少女。それから、三人は喋りだす。
「誰かに取られるのは嫌だけど、ベルとティアだったら幸せになってほしいんだよね。で、重婚していいなら、そういう結婚もありかなって思っちゃった」
「それはそうね。二人だったら理解できるし、アタシも嫌って感じじゃないわ」
「ですです。お二人とも良い人です。わたしも賛成です」
わいわいと姦しく会話する三人。それを見て、トビーは遠い目をした。
何か、自分の知らない間に物凄く話が進んでいる気がする。想定外を飛び越え、空の彼方まで飛び立ってしまったような。自分の事だと分かってはいるが、何処か他人事のようにさえ思えてきた。
トビーが呆然としていると、三人の目がすっと一斉に一つを見る。言うまでも無く、トビーに向けてだ。
「それでなんだけど、トビーには一個だけ決めて欲しい事があるの」
「大切な事よ。トビー、ちゃんと聞いてね」
「トビーさん、お願いしますです」
「ま、まだあるゴフ? オレ、もう限界ゴフ……」
口から生気が抜け出しそうな表情をしながらトビーは言う。しかし構わず、三人の少女たちは口を開いた。
「魔王は重婚できるけど、所謂『正妻』と『側室』があるんだって」
「簡単に言えば、『一番の奥さん』と『それ以外の奥さん』って感じね」
「トビーさん、誰が一番です?」
「………………え、ゴフ」
それは、もう完全にトビーの脳みそを超えた質問だった。
「だから、誰を一番にするか決めてほしいの」
結婚という想定外の未来。それに加え、大切な仲間の全員が結婚相手。
「トビー、アタシじゃ駄目、かな」
神を倒し、繰り返しを超え、その先に待っていた現実。
「わ、わたし、頑張るです! トビーさん、どうです?」
トビーは常に諦めない。絶対にめげず、進み続けた。
「「「誰が一番好き?」」」
だからこそ、トビーは決める。己の進む道を、新たに迎える日々の行く末を。
俯いたトビーは声を漏らす。
「う、」
「「「う?」」」
紗利奈、ベルチェ、ティーアがトビーの顔を覗き込む。身長差があるので、屈みながらに少女たちが見ると、そこには煌く瞳があった。
決めた事は絶対にやり遂げる、不屈の瞳。数々の偉業を達成した、不滅の炎。
トビーは一言だけ、簡潔に叫ぶ。
「
瞬間、トビーは風になった。
少女たちの前から消え去り、遥か遠くへ一足で飛び立つ。
トビーは選んだのだ。
とりあえず今は逃げよう! 選ばない事も、一つの選択なのだ!
この踏み出す一歩は、勇気ある撤退の為の大切な一歩なのだ! と。
魔王の言葉をトビーは思い出す。大切な時に踏み出す一歩こそ、真の魔法だと。
つまり、トビーにとって今がその時だった。
刹那で風と共に消え去ったトビーを見て、三人の少女は唖然とする。
しかし、それも束の間。真っ先に声を上げたのはベルチェだった。
「トビーが逃げたわ!」
続いて紗利奈が声を上げる。
「大丈夫、どうせ魔力を全部使うから、そう遠くまで逃げられない!」
最後にティーアがふんすと意気込んで言った。
「流石は紗利奈さんです! 追いかけましょうですっ!」
最初の森から数え、三一日目。その日は春の陽気が漂う暖かな日だった。
空には雲一つ無く快晴、肌を撫でる風も心地良く、花も咲き乱れる春真っ盛り。
その日を境に、城下町では不思議な噂が流れ始める。
曰く、ゴブリンとそれを追いかける三人の少女が現れると、妙に笑みが零れると。
何故ならば、ゴブリンも少女たちも、笑っているから。若干ゴブリンは必死な形相なのだが、楽しそうに駆け回っているのだ。
そうして日々は過ぎていく。繰り返しなど無い、毎日が初めての一歩。
ゴブリンの冒険譚は、また新たに一節を書き加え始めたのだった。
やっぱりゴブリンは勇者を殺せないのだろうか
~Fin~
やっぱりゴブリンは勇者を殺せないのだろうか? 月下ミト @tukishitamito
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