第27話

 意識が浮上する。それは温かくゆっくりと、静かに登っていく。

 ふと、目を開く。視界に映るのは天井、見知った部屋の光景だった。

「……朝、ゴフ?」

 窓を見れば、空に広がるは青い色。トビーはベッドの中に寝転んでいた。

 オルドンの屋敷、借りている客室だ。何度も何度も過ごしていたのだから間違えるはずも無い。けれど、違った感覚がトビーの中にはあった。


「終わったんゴフな。全部、全部ゴフ」

 最後に覚えているのは、神を倒したあの瞬間。魔王の功績があったからこそだが、ゴブリンの一手は神に届いたのだ。

 あらゆる問題が、全て終わった。駆け回った日々の終着点に到着したのだ。


 心の中に様々な感情が入り混じる。達成感、感動、それと少し空いてしまった空間。全身全霊を賭けて戦った分、ぽっかりと空いた気持ちを感じるのだ。

 間抜けに口を開け、トビーは空を見つめる。

 と、その時。耳に騒々しい声が聞こえてきた。


「紗利奈! 一人で行くなんてずるいでしょ!」

「わ、私はただ言いたい事があるだけだから! 他意はない!」

「そうはいきませんです! トビーさんを起こすのはわたしの役目です!」


 部屋の扉の外、廊下から少女たちの声が賑やかに響く。暫く待っていてもガヤガヤと何かを話し続けていたので、トビーはベッドから出て扉を開けた。

「おはようゴフ。三人とも何してるゴフ?」

 ピタリと少女たちの動きが止まる。紗利奈、ベルチェ、ティーアは互いに顔を見合わせ、その中でも先に紗利奈がコホンと咳をした後に声を発した。


「おはよトビー。……今日は三一日目だよ!」

 ニコリと、満面の笑みで紗利奈は言う。それを聞いてトビーはハッとした。

 神を倒した、全てが終わった。それはつまり、繰り返しを抜け出したという事。

 まだ見ぬ世界、知らない時間へと足を踏み入れたのだ。


「……そうゴフ、やったゴフ!! オレたち、ついに来れたゴフな!」

 胸の奥から心が爆発し、トビーは跳ねて紗利奈に抱きついた。驚いた顔をする紗利奈だが、しかし離す事は無くギュッと抱き締めた。

 永遠の繰り返し、終わりの無い時間の牢獄。それを体験した二人だからこそ、今日この日が訪れた感動を分かち合えるのだ。


 それを隣で見ていたベルチェは、唇を尖らせながらに言う。

「もうっ、しょうがないわね。でも大変だったのよ? 紗利奈ってば日が昇るまで寝れなくて、朝日を見たら大泣きしたんだから」

「ふふっ、仕方ないです。お二人はずっと、今日が来るのを待ってたんです」

「ちょ、ちょっと! それは言わないでって言ったじゃん!」


 顔を真っ赤にして慌てる紗利奈。トビーは紗利奈から離れると、三人を見て言った。

「ベル、ティア、紗利奈、皆ありがとうゴフ。皆がいたから、オレはここまで来れたゴフ。本当に、ありがとうゴフ」

 トビーは三人の顔を順々に見る。


 金髪赤眼、体の端で燃える炎が綺麗な半霊半魔、ベルチェ・フラン。

 ショートの青い髪、温かく優しい小さな巨人族、ティーア・フログマ。

 漆黒の髪と瞳、意外と抜けた所がある異世界人、東雲紗利奈。


 全員、大切な仲間だ。繰り返しの中で手に入れた、輝く宝物。この先、これから将来ずっと一緒に居たいとトビーは心の底から思う。

 三人はトビーの瞳を見て、微笑を浮かべて答える。


「アタシこそ、助けてくれてありがとう。大変だったけど、でもトビーと出会えて幸せよ。きっと、ずっと忘れない」

「わたしも、ありがとうです。一緒に居てくれて、勇気をくれてありがとうです。これからもよろしくお願いしますです」

「うん、本当にありがとう、トビー。ほんと、ありがと……」


 紗利奈はポロポロと涙を零し、それでも綺麗な笑顔で言った。ベルチェとティーアは背を撫で、隣に寄り添う。

 トビーもまた、じわりと瞳が潤む気がした。長い旅だった。多くの試練を越え、一人では決して辿り着けない場所だった。

 それを思うと目頭が熱くなるのだ。本当に、自分は幸せ者だと実感する。


 少しして、気を落ち着かせた紗利奈はこんな事を言う。

「そうだ、魔王が待ってるんだった。トビー、着替えて居間に来てくれる?」

「魔王様、ゴフ?」

「あっ、そうね。その為に起こしに来たんじゃない」

「お話があるって仰ってましたです。トビーさんが寝てる間、色々あったです」


 そう言われ、トビーも理解する。ナレアスを倒した後は、恐らくずっと寝たままだった。戦いは終わったが、それだけで解決とはならないのだろう。

 特に、魔王城は跡形も無く吹き飛んでしまっているのだから。


 急いで寝巻きを脱ぎ、用意してあった着替えに袖を通す。真新しい服で、常にボロを着ていたトビーとしては少し落ち着かなかった。

 三人と共に屋敷の居間へと行くと、そこには茶を啜っている魔王の姿が。いつもと変わらず、黒の羽織をして元気そうである。


「来たかトビー。調子はどうだ?」

「元気ゴフ! 魔王様こそ、怪我は大丈夫ゴフ? 腕とかぐちゃぐちゃだったゴフが」

「心配は無い。あの後、城就きの治癒師が駆けつけたからな。見ての通り、寸分変わらず動かせる。使い果たした力も、暫くすれば元通りだ」


 言いながら魔王は右手を開いたり閉じたりして見せる。再生したての右腕は鱗が妙に真新しかったが、見る分には本調子だろうとトビーは思う。

 魔王に促されてトビーが対面に座ると、話は始まった。


「まずはナレアスを撃破した事、真に大義であった。彼奴も暫くは動けぬはずだ」

「動けないって、え、死んでないゴフ!?」

 その事実はトビーにとって衝撃だ。核を破壊し、神の力を失わせたのだから消滅したと確信していたのだ。

 魔王は頷き、話を続けた。


「あれは腐っても神だ。消失こそすれ、根本的に滅する事はない。だが、それも時間の問題だ。我輩は神の座へと至った。まだ力が身に馴染まぬが、扱いに慣れればナレアスを完全に消滅させよう」

「魔王様が神に、ゴフ。じゃあ問題は無いって事ゴフな」

「然り。今の状態で彼奴が何かしようとも、大した事は行えぬ。その前に我輩がトドメを刺す。確実にな」


 魔王が確信を持って言うのを見て、トビーは安心する。流石にまた戦うことがあると言われれば、あの場を切り抜けた経験があっても死を覚悟しなくてはならない。

 だが、直後に魔王は難しい顔をして、トビーに語りかける。


「……ここからが問題なのだが、トビーよ、聴く準備はいいか?」

「ご、ゴフ? まだ何かあるゴフ?」

 ナレアスのその後は知った。それ以外に何か問題はあるのだろうかとトビーは頭を巡らせる。魔王城が吹っ飛んだ事かな、と思っていると、魔王は口を開く。


「我輩は神になった。魔王から、謂わば魔神へと進化したのだ。そうなると、神の責務を果たさなくてはならぬ。魔王として常に君臨して居られぬのだ」

「え、じゃあ魔王様、魔王様じゃなくなるゴフ!?」

 寝耳に水とはまさにこの事。唖然として口を開いているトビーへ、魔王は答える。

「今すぐにではない。だが、いずれそうなる。その為に、我輩は新たな魔王を決めようと思うのだ。魔王は力ある者が立つ場所、誰でも良い訳ではない」


 その話を聞き、トビーはぽけーっと考えてしまう。現魔王は七〇〇年の太平を作った最強の存在。その後継者とは、どんな魔族がなるのだろうと。

 そうしていると、魔王はこんな事を言う。

「トビーよ、お主には『魔王候補』になってもらいたい。他にも候補者はいるが、その中の一人として、次代の魔王を競ってもらいたいのだ」

「…………ゴフ? すまんゴフ、聞き間違えたゴフ。もう一回頼むゴフ」


 耳の穴をぐりぐりと指で掻き、トビーは改めて魔王の言葉を待つ。

 ふむ、と頷いた魔王はもう一度言った。

「トビー、我輩はお主を魔王候補に推薦した。次の魔王はお主かもしれぬな」

「ご、ゴフうううううううううううッ!?」


 思わず立ち上がってトビーは絶叫する。あわあわと口を震えさせ、それから顔が取れるほどに左右へ振って魔王に言葉の訂正を求める。

「ま、待つゴフ! オレ、ただのゴブリンゴフ! 魔王なんて無理ゴフ!」

「そうか。しかし、お主の仲間はどう言うかな?」

 魔王は視線をトビーの背後、ベルチェ、ティーア、紗利奈へと向ける。

 トビーも追いかけて三人の顔を見ると、順々に口を開いた。


「当然じゃない? だって、トビーって試練のダンジョンを攻略したわよね」

「しかも武闘大会で師匠を破って優勝したです」

「神を倒すなんて、普通の魔族じゃ出来ないでしょ」


 うんうん、と首を縦に振る仲間たち。だがトビーは諦めず、何処かに逃げ道は無いものかと探し出す。

「そ、それ全部、オレだけじゃ出来なかったゴフ! 皆のお陰ゴフ!」

「だがなぁ、お主は我輩の魔法を継承した魔族でもある。ここまで条件が揃えば、少なくとも魔王候補になるのは問題なかろう」


 それは全て、トビーが繰り返しで達成した偉業の数々だ。普通のゴブリンでは絶対に不可能な、一般の魔族であっても手の届かない高み。

 魔王は、それに、と付け足してこう言う。

「トビーよ、お主はもうゴブリンではないぞ」

「ゴフ? や、オレはゴブリンゴフ。この緑の体が見えないゴフ?」


 ペタペタと身体を触り、トビーは自分の存在を主張する。

 身体は小さく、肌は緑。髪は生えておらず、釣り目がちな目と尖がった耳が印象的な普通のゴブリンである。集落へ行けば似たような者は多いだろう。

 だが、魔王はじっとトビーを見て言う。

「達成した数々の功績、強者と戦い続けた経験。お主は進化しかけているぞ」

「進化ゴフ!? お、オレ、ホブゴブリンになれるゴフか!」


 唐突に降って来た新事実。まさか自分が進化すると思っていなかったトビーは跳ねて喜ぶ。ホブゴブリンといえば全ゴブリンの憧れの的。力も知恵もあるゴブリンの上位互換なのだ。

 が、魔王は首を横に振る。

 あれ? とトビーが首を傾げていると、こう答えた。


「お主の経験は異常だ。普通の進化は出来ぬであろう」

「ホブゴブリンになれないゴフ!? そんな、じゃあ何になるゴフ?」

「お主の魔力の流れを見るに、変異種だろうな。恐らくだが、姿形はそのまま。内包する力のみ高まる、通常とは違った進化だ」

 魔王は言葉を区切り、そして言う。

「名付けるならば、『英雄ヒーローゴブリン|』と言ったところか。まあ、良かったではないか。お主の、そのままの姿を好んでいる者もいることだしな」


 ガクンとトビーは肩を落とす。正直、進化すると聞いたときは嬉しさが爆発しそうだったのだ。ホブゴブリンは、ゴブリンの憧れなのだから。

 それが、見た目は何も変わらないとの事。背が高くなって強くなる自分を、一瞬でも想像した分だけ落ち込みの落差が半端ではない。


 しょぼんと項垂れるトビーを見て、魔王は笑う。そして立ち上がり、声を掛けた。

「相応に強くなるはずだ、安心すると良い。さて、我輩はそろそろ行く。城の再建や事後処理、やる事は多いからな」

 羽織を翻し、魔王は居間を出て外へと向かう。トビーたちも見送りのためにその後に続き、屋敷の入り口で別れを交わす。


「では、また会おう。すぐに会う事にはなるだろうがな」

「分かったゴフ。魔王様、またゴフ……あ、そうだ忘れる事だったゴフ!」

 ふと意識の中に眠っていた事を思い出し、トビーは急いで口に出す。

「魔王様、神になったならサリナを元の世界に戻せるゴフ?」


 それは重要な案件だった。紗利奈は元々、別世界からナレアスに拉致された存在。帰るべき場所があるのだ。

 それを聞き、魔王はちらりと視線を動かす。しかし刹那で瞳を戻し、トビーへと向けなおした。


「出来るとは思うのだが、何分我輩も力を得たばかりだ。可能になったら知らせるが、少し時間が掛かる。待っていてくれ」

「そうゴフか。でも、帰れるなら安心ゴフな」

「……まあ、帰るかどうかは当人次第だがな」

「ゴフ?」

「ふっ、気にするな。知りたければ直接に聞くと良い。では、またな」

「またゴフ。魔王様、仕事頑張れゴフ!」


 トビーが手を振ると、魔王は軽く手を上げて返す。そして魔王の足元から黒の魔力が立ち上ったかと思うと、一瞬でその姿は消えてしまった。

 ふぅと息を吐いてトビーは気を抜く。色々な話を聞き、将来の事を知り、ぽっかりと空いた心の空白は気付けば埋まっている感覚がした。


 大変になるゴフな、と思いトビーは振り返る。これから様々な事があるだろうが、しかしトビーは悩みはしない。何故ならば、仲間たちがいるからだ。

 如何なる敵も障害も、一緒にいれば越えられる。純粋にそう感じられる。


 そう思って視線を仲間へと向けるトビーだったが、違和感があった。

 何故か、三人ともそわそわとしていたのだ。

 視線を揺らし、髪を指で弄り、心ここにあらずの様子。不思議に思ってトビーは近寄り、先頭にいた紗利奈に声を掛ける。


「そうだサリナ、約束はちゃんとやったゴフ。あのムカつく神の顔面に一発入れてやったゴフな。思いっきりぶっ飛ばしたゴフ」

「そ、そっか。やるじゃん、安心した……はは」


 妙に固い表情で紗利奈は笑う。ははは、と空気に音が乗っただけの声を漏らし、一呼吸。若干の沈黙が流れる。

 それから、ペシリと両の手で紗利奈は自分の頬を叩いた。何度か瞬きをして、そうしてから意を決したように言った。


「トビー、忘れてないよね。あの言葉」

「あの言葉、ゴフ?」

「『好き』の意味教えてくれって、言ったのを」

「忘れてないゴフ! そうゴフな、全部終わったし、ちゃんと教えてほしいゴフ!」


 トビーの脳裏に記憶が蘇る。

 神の尖兵を倒したあの時、三人は『好き』と言っていたのだ。けれど、その言葉はトビーの知っている『好き』と違う気がした。

 その意味を教えてくれと言ったら、全部が終わったらと待たされたのだ。


 改めて、トビーは答えを待つ。今まで感じたことの無い緊張感が胸の中で高鳴り、頭がジンジンするようだった。

 紗利奈は言う。

「ここじゃ場所が変だし、ちょっと場所を移そっか。屋敷の庭でいいかな」

「そ、そうゴフか。分かったゴフ」

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