第26話
長い道のりを旅してきた。時間は数え切れず、距離は計り知れない。森の中の小さな集落から、気づけば魔王城で戦っている。
その旅路の果ては今なのだと、トビーは感じた。
目の前には未来があると、繰り返しの先が待っていると、そう思えるのだ。
「星の命の一粒が、よくそんな事を吼えられるな。いいよ、終わらせよう。全部が全部終わらせて、ボクは戻る、神の頂へと帰るんだ」
「もうオレは戻らないゴフ。先に進んで、未来に行くゴフ!」
トビーは身体に命じる。これが最後、そして繰り返しの先への第一歩だと。
魔剣とボロナイフを交差させる。ナレアスが如何な行動をしようとも、何もかもを打ち払う構えだ。薄弱な神の力なら、あと数回を耐えれば地に落ちる。
周りの空気が粘つくようだった。加速した思考が体感時間を遅らせ、風に舞う砂粒すら視認できる境地。
その瞬きすら出来ぬ時間の合間、トビーは見た。
ナレアスの胸の中。白濁した球体の罅割れから、僅かに光が漏れたのを。
残った力を解放する気だと、瞬間的に察知した。既に残滓となった神の力、それを全て閃光に変え、一撃で放つ気だとトビーは思った。
自暴自棄な技。そんな事をすれば、自身の力を磨耗させるだけの自爆技のはず。
だが、それでも実行する気だろう。自身に邪魔な存在を、神の力で消し去る。ナレアスの性格を考えれば、止める理由は無い。
理解に必要な時間は掛からなかった。一目見ただけで把握した。
ならば、行うべきは全力の回避。世界すら破壊する一撃だろうと、避けてしまえば意味は無い。後には抜け殻となった神が残り、トドメを刺す必要すらない。
だが、トビーが選んだのは踏み出す事。右足で、一歩を踏む。
大切な一瞬だった。未来を左右する選択だ。
しかし、悩む事は無かった。
大切な時に一歩踏み出す勇気こそ、真の魔法なのだから。
トビーは魔王からそう教えられたし、ずっと前からそうして来た。
進み続ける事こそ、トビーがトビーとして生きた証明。己の矜持だ。
「
風が吹く、嵐が生まれる、右足に旋風が巻き起こる。新たな風は漂う砂塵を吹き払い、ここに居るのだと高らかに宣言する。
ナレアスはまだ力を解放する寸前、それよりも、一歩踏むほうが断然早い。
ゴブリンは小さな存在だ。背は低く膂力は子供並み。出せる一足は微々たるもの。
それでも、その足に込められた思いは、宿した勇気は絶大な力を持つ。
トビーが右足を強く踏み切る。瞬間、総身は風に変わる。
一陣の風となり、駆ける。神の胸元へ、勝利のその先へと突き進む。
ナイフを突き出す。己の持つ最強の技を、神へと叩き込む。
「我流【戦舞】風華繚乱、ゴフッ!」
自身の魔力を全て加速に変え、叩きつける衝撃を一点に収束させる絶技。ベルチェとティーア、二人が居たからこその力。
数多の繰り返し、その結晶だ。
神の核へ、ナイフは刃を走らせる。風を纏い、音を切り裂き猛進。
そして、
「揃って同じ技か。ボクを何だと思ってるの?」
突き出されたナイフは、白い手に握られた。
刃を無視し、ナレアスはナイフを握り込む。金属の悲鳴が手の中から上がり、その音を楽しみながらナレアスは笑った。
「はは、それが君の限界さ。読めるんだよ、馬鹿の考えなんて。勇気? 矜持? そんなものの為に愚直になるなんて、ボクには理解できないね」
強く握り締め、ナレアスはナイフを握り潰した。手を開けば金属の欠片が零れ落ち、同時に加速を失ったトビーも地に吸い寄せられる。
「オレは言ったゴフ、」
トビーは告げる。
「不意打ちはゴブリンの得意技ゴフ」
突き出していた
自分の全力など、神から見れば遅すぎるとトビーは知っていた。魔王の力があったからこそ、追いきれなかったのだ。
だから、全てを賭けた一撃は囮にした。全身全霊の攻撃ならば、ナレアスは必ず防いでくると考えたから。何も考えず、握り潰してくるだろうと。
何せナレアス自身が言っていたのだ。魔王に対して最強の攻撃を壊してあげる、と。
自らの力を誇り、他者を踏みにじるのは予想出来た。
たかがゴブリンが、自身の全力を以って突撃したのならば何も考えずとも必殺技だ。それが前に見た魔王と同じ技なら、自分の弱点を狙った攻撃ならば尚の事。
囮としては最高の出来栄えだ。
魔剣は走る。ナレアスの腕を縫うように避け、胸の中心へと。
そして、カツンと音を立てた。
剣に込められた魔力が迸る。魔王の魔力が真価を発揮し、触れた物を構わず破壊し尽くす。敵も味方も関係なく、人も神も選別しない、純粋な暴虐。
崩壊しかけの神の根源には、それは十二分すぎた。
砕ける音がする。硝子が粉々になるような、飴を噛み締めた時のような音が。
トビーは核に魔剣を突き立て、急いで離れた。ナレアスの全身が崩れ始め、その内側から白い光が零れ出しているからだ。
干からびた花弁のように、白の身体が表面から徐々に剥離する。ぼろぼろと、乾いた粘土のように形を保てなくなる。
「ゆる、さない、ぜったい、ゆるさない、ぞ」
肉体を、核を崩壊させながらナレアスは呪詛を呟く。力を失いつつある神に他者を呪う力など無い。ただ、酷く人間味に溢れた言葉だった。
それを聞き、トビーは口を開く。
「ナレアス、お前の負けゴフ。もう終わりゴフな」
説明の必要など無い。一刻を待たずとも、ナレアスは消滅するだろう。
ナレアスもそれを理解している。だからこそ、こう言った。
「いつか、ボクは復活する、その時こそ、必ず、消してやる。今度は全部、こんな世界、消し去ってやる」
万全の神の力があれば、可能なのだろうか。それはトビーには分からない。
だから、トビーは言った。
「今日はオレの勝ちゴフ! そんで、最後に一個だけやらせてもらうゴフな」
トビーは少し後退り、それから言う。
「皆を苦しめた分、思い知れゴフッ!」
体に残った力を振り絞って走る。
そして、軽くジャンプ。
振りかぶった右手で、思いきりナレアスの顔面を殴りつけた。
ナレアスの身体が地面を転がる。白い砂を撒き散らし、衝撃で腕や足がもげた。
倒れ伏した神へ、トビーは声を掛ける。
「復活するなら、ゴブリンになるといいゴフ。そしたら、オレが教えてやるゴフな。力が無くても生きられる、弱いやつの生き方を、ゴフ」
その声に返事は無かった。
一瞬、強い風が吹き、トビーは思わず目を瞑る。
目を開けば、もう何も残っていなかった。白い姿も、灰のような欠片も、何もかも。
残されたトビーは軽く息を吐き、それから大きく息を吸う。
そして叫んだ。気持ちに素直に、思いを声に乗せて。
「終わったゴフッ!!」
やりきったと、その感情が胸の奥で爆発し、パタリと仰向けにトビーは倒れる。
走り続けた日々だった。意味も分からず繰り返しに巻き込まれ、ひたすら奔走した。
全ては終わったのだ。それで、漸く始まる。繰り返しの先へ、まだ見ぬ世界へ。
けれど、今は少し休もうとトビーは思った。達成感と共に、疲れがドッと押し寄せてきたからだ。心地よい疲れだが、動く気にはなれない。
目を閉じ、静かに呼吸する。
脳裏を様々な事が過ぎる。長い旅路の思い出が。
幸せばかりではなかった。死の体験なんて二度と御免だ。
それでも、振り返ってみれば、総じて良い記憶たちだった。
願わくばこの先、新たな日々が嬉しい日常でありますように。
そんな事を考えながら、トビーの意識は薄れていく。
ゴブリンの冒険譚、その一節が、今ここに幕を閉じた。
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