第25話

 真っ先に動いたのはトビーの背後、転んだままの魔王だった。

「トビー、これを使え」

 ボロ布となった黒の羽織の内側から一振りのナイフを取り出し、トビーへと投げ渡す。それをトビーは反射的に掴み取り、馴染む感触に目を見張った。

「使い方は言わずとも分かるな」

「当然ゴフ! こいつとも暫く一緒だったゴフな!」


 トビーは受け取ったナイフを構えてそう言う。

 渡されたのは、禍々しい装飾の魔剣『ストルーク』だった。破壊の力を内包するその魔剣は、かつて勇者を倒そうと奔走した繰り返しの世界で振るった覚えがあった。

 久しぶりの出会いにトビーは驚いたが、魔剣の力を考えれば不思議ではない。

 魔剣『ストルーク』には魔王の魔力が込められている。神への対抗手段としては申し分なく、弱った神ならば十二分に致命の武器だ。


 トビーが戦闘の姿勢を取るのを見て、魔王はその背に声を掛ける。

 発する言葉は考えた。約束を反故にしてすまない、我輩が守るべきなのに、そんな言葉が刹那、魔王の脳裏を過ぎったがそれらは消した。

 今、言うべき言葉。それは簡潔で良いと思ったのだ。


「任せたぞ、トビー」

 その声に、トビーは振り向かずに一言で答える。

「任せろゴフ!」


 向かい合う神とゴブリン。荒れ果てた魔王城の跡地、遠くには喧騒が聞こえてくる。

 雑音をトビーは無視し、真っ直ぐにナレアスを見た。身体は崩壊寸前、感じられる力も最初に比べれば薄弱。それでも、自身と比べれば圧倒的。

 思考を加速させ、総身を昂ぶらせる。常に全力全開で挑まなければ、ゴブリンの力では神へは届かない。手を抜く暇など在りはしない。


 先手を取ったのは、ナレアスだった。

「消えろ」

 ただ一言を呟き、崩れかけの右手を前に出す。その手から放たれるは神の力。掠れば存在を消し飛ばす、白色の汚泥の如きナニカ。

 神々しいとは真逆の、昆虫の足を彷彿とさせる動きをした力の塊は、触手のように伸びてトビーへと襲い掛かる。

 侮っているのか、魔王の時とは違いその数は一本。それを見て、トビーは身体に技を命じた。


「オルド流【戦舞】神立ゴフ!」

 迎え撃つように魔剣を振りかぶり、一閃。魔剣は空気すら喰らい尽くしながら振り下ろされ、神の力と激突する。

 瞬間、パチュンと音がした。澄んだ水面を叩いたように、ナニカは飛沫を上げてその力を霧散させる。後には何も残らず、トビーとナレアスの視線が交差するのみ。


 トビーは目論見が成功し、心の中で一息吐いた。力の大部分を失った神ならば、破壊の魔剣で対抗できると予測していたのだ。

 魔剣があれば放たれるナニカを対処可能。その答えは、切れる手札の少ないトビーにとっては最高の結論だ。


 ナレアスは自身の力を破壊されたと知り、忌々しげな声を出す。

「魔王の魔剣か、面倒な。けど、こうすれば消えるだろう?」

 今度は両の手を前へと出し、白の光を出現させる。生み出された汚泥の数は十数本。一斉にトビーを叩き潰すように暴れ出した。

 即死の波を見たトビーは、しかし慌てず己の武技を信じて魔剣を振るう。


「なら、オルド流【戦舞】銀竹、霧雨ゴフッ! 続けて五月雨、速雨ゴフ!」

 迫り来るナニカへ、下からの切り上げ、回転しつつの切り払いを放ち、体勢を整えつつ振り下ろしからの連続切り、最後には最速の突きを立て続けにお見舞いする。

 水の塊が弾けるような音が断続して鳴ったが、音などトビーの耳には入っていない。

 目星アイズの輝きを目に宿し、接近する物を片っ端から切り裂く。余計な考えなど必要なく、ただひたすらに魔剣と身体を一体化させて跳ね回る。


 息すら吸えぬ時間を越え、トビーは立つ。目の前には何もない。放たれた暴力の数々は、全てが打ち払われた。

 漸く短い呼吸。瞬きを一度。視線はナレアスから逸らさない。

 一瞬でも気を抜けば即ち死。その考えが身体を僅かに鈍らせるが、気合でそれを超克する。足は健在、腕は付いている。ならば、戦い続けるのに不足はないと。


 真正面へと魔剣を構え、トビーは相対する敵を深く観察する。

 神はそこに居る。だが、その力は明らかに減少していた。只でさえ魔王に致命の一撃を入れられた後だ、先程の乱打は相応に力の消耗を早めた。

 このまま力を削り続ければ、撃ち放たれる力を消し続ければ、ナレアスはいずれ疲弊してこの場に顕現する力を失うだろう。


 時間稼ぎは己の最も得意とする戦いだと、トビーは心の中で思う。

 試練のダンジョン、武闘大会、尖兵との戦い。それらの中で、常にトビーは好機を狙って立ち回った。ゴブリンは弱者だ、必勝の切り札が無い者にはそれなりの戦い方があるのだ。


 それは今も変わらない。時間を稼げば、次第に神は力を失う。

 魔王の最強の一撃は、命を奪えずとも神の大部分を叩き壊した。その割れ目だけが、トビーが神に勝つ唯一の手段となった。

 神を相手に勝ち目がある。僅かばかりの可能性だとしても、挑戦する価値はある。


 不意に口角が上がった気がした。ニヤリと笑っていると、それから気づく。

 楽しいわけではない。気が狂って笑ったわけでもない。

 ただ、嬉しいのだ。矮小なゴブリンだとしても、こうして戦う事が出来るのが。誰かを守れると、そう証明出来るのが。


 トビーが笑みを浮かべていると知ったナレアスは、その表情を歪める。

「塵屑が、ボクを見て笑う? ……冗談じゃない。ボクは神だ、絶対の力を持つ存在だ。そのボクを、笑うだって。ふざけた真似をするなよ、ゴブリン」

 白い砂を零れさせながら、ナレアスは右手を横へ上げる。

「消し飛ばしてやる」

 その瞬間、ナレアスの右手が吹き飛んだ。


 手首から先が消失し、代わりに淀んだ白の光が剣となって出現する。身体から直接に武器を生やしたナレアスは、足も動かさずに前進する。

 光の剣、と言えば簡単だ。だがその剣は、今まで使っていたナニカの力を凝縮した高濃度の神気の塊だった。存在だけで世界を揺さぶる神剣。


 破壊の魔剣より、遥かに強い。見た瞬間にそれを感じ、トビーは剣を握る手に力を込める。まともな打ち合いをすれば、一刀で両断されてしまう。

 剣を携えたナレアスは、覇気を出す事も無くゆるりと振りかぶる。


 刹那、トビーの眼前に白の刃が現れた。

「御形、ゴフッ!」

 身を捻りつつオルド流の受け流しを敢行。魔剣は神剣の腹を捉え、唸りを上げて力を横へ逸らす。握りを持つ手に嫌な痺れを感じつつも、成功。

 逸れた神剣は宙を裂いた。

 遅れて、剣先の空間を二つに割った。


 謁見の間の跡地に、綺麗な断面の割れ目が生まれる。神剣が持つエネルギーは、直接に触れなくとも威力を発揮し、瓦礫など果実より柔らかく切り裂いたのだ。

 ナレアスはその現象を気にも留めず、続けて剣を振るう。


 音すら殺す剣戟だった。ナレアスの剣に技は無い。安直にただ振るわれるだけ。

 それでも、トビーは死を回避するのに精一杯だ。触れずとも死を与える神剣を、掠りすら許さずに捌ききるのは並大抵の事ではない。

 息など出来ない。瞬きなどすれば消し飛ばされる。

 乾き充血した目を必死に開き、空になった肺は唾を飲み込んで蓋をして、トビーは無我夢中で剣を振るい続ける。


 空を切った神剣は全てを断ち切った。残骸となった柱をズルリと撫で、撒き散らされた瓦礫は塵すら残さず、上を切れば雲が裂ける。

 万物を障害としない至高の剣。それはきっと、神剣の事を言うのだろう。

 ナレアスが剣を止めた時には、辺りは荒野となっていた。


「しぶとい奴め……」

 目を細め、面倒臭そうにナレアスが吐き捨てるように言う。トビーは息を整え、見上げて口を開いた。

「お前の剣には心が無いゴフ。そんなのには負けないゴフな!」

 トビーの中には数々の思い出がある。ティーアと共に技を高めあった日々が、オルドンを打倒するために自らを磨き続けた世界の記憶が。

 その結晶と比べれば、ナレアスの剣など児戯に等しかった。力では比較にならなくとも、心に宿す思いの量は桁違いだ。


「心? そんなもので、ボクの力が負けるはずが無い!」

 ナレアスは跳び退り、まだ形を保っている左手に光を生む。そのまま乱雑に手を掲げ、濁った光の球としてナニカを放った。

 球は拡散し、夕立のように光の雨が降り注ぐ。トビーを狙って向きを変える光の粒は、さながら死骸に集るハエのようだった。


 自分に向かって来ると分かったトビーは、風魔法で加速してその場を離れる。留まっていては背後の魔王に流れ弾が当たる可能性がある。それに、速く奔る事にかけてはゴブリンとしての自信があった。


 障害物は先程の剣戟で粗方が消滅している。ちょこまかと走り、履いている魔道具『風雷蹴り』の能力も合わせて風に乗って疾駆した。

 追いかける光の雨は、次第にその数を減らす。問題なく対処できたとトビーが思った、その時。ナレアスは言った。


「大切な魔王を置いて良かったのかな?」

 身動きの取れない魔王の傍に、ナレアスが立っていた。手には神剣、その輝きを今まさに、魔王の身体へと振り下ろそうとしている。

 それを見て、トビーは笑った。

「どうせそんな事だろうと思ったゴフ!」

 トビーは風に命じる。爆ぜろ、と。


 魔王の影に隠れていた風の球がふわりと浮かび、ナレアスの顔面直前で破裂する。耳障りな音を発しながら、ついでに球の中に閉じ込めていた砂利を撒き散らした。

 ナレアスの顔に砂が付着する。それに対し、冷静でいられるほどナレアスの心は広くなかった。


「この、ゴブリンがッ!」

「不意打ちはゴブリンの得意技ゴフ! 大体、お前に言われたくないゴフな!」

 風で加速し、一気にナレアスへと距離を縮める。魔王から離れさせるためにも、魔剣を胸へと、白濁した球体を突き刺すように放つ。

「くっ、力さえあれば、こんな塵屑なんかにッ!」

 慌ててナレアスは下がり、トビーから距離を取る。左手で胸の穴を隠し、存在の核を守って引き下がった。


「神のことは知らんゴフが、やっぱりそれが弱点ゴフな」

「ゴブリンが、知ったような口を利くなッ! 力が、力があればこんなゴミ、一息で消せるはずなのに……」

 顔を歪めてナレアスは呪詛のように呟く。トビーはニヤリとして返した。

「負け惜しみにしか聞こえないゴフ! 今のお前はオレが戦えるくらいに弱い、それが事実ゴフな!」


 ナレアスは苦しげな顔をする。本来の力を発揮できないもどかしさと、比較にもならない格下に侮られた屈辱で、身体の内側を掻き毟りたくなる感情が渦巻く。

 それを見て、トビーは思う。どうして、そこまで力に固執するのだろうと。

 今の弱った状態でも、力の総量は世界最上位。万全ならば魔王を凌駕する存在。


 それなのに、自分の邪魔になるかもしれないと、ただそれだけで魔王を狙い、今は反撃に遭い苦しんでいる。ある意味で滑稽な姿だろう。

 何もしなければ、ただ世界を見守る存在であれば、この状況は生まれていない。

 力を持たぬゴブリンだから、力を持つ者の考えは理解できなかった。


「ナレアス、どうして戦うゴフ。魔王様が邪魔なのは分かったゴフ。でも、最初から静かに暮らす事は出来なかったゴフ?」

 トビーはナレアスに問い掛ける。分からないから聞く、ただそれだけの事。

 ナレアスは怒気を孕んだ声色で言う。

「たかがゴブリンが、このボクを諭す気か。言ったはずだよ、世界は面白可笑しくあればいいと、このボクが楽しめればそれでいい」

「オレには分からないゴフ。ゴブリンは、ただ森の中で静かに暮らせれば幸せゴフ。仲間がいて、家族がいて、それでご飯があれば十分ゴフ。神は何が足りないゴフ?」


 ゴブリンに比べれば、神は満ち足りた存在だ。力に溢れ、食料にも困らず、やる気になれば世界中の者と会える。完全無欠のはずなのだ。

 そんな力を持った神、ナレアスは即答する。

「足りないね、全部足りない。楽しいは尽きない、世界は終わらない。ボクがボクである為には、ボクが楽しい、それだけが必要だ」


 その言葉に、トビーは頷けなかった。楽しいのが一番は分かる。けれど、苦しい事だって沢山ある。色々な事を乗り越えるからこそ、その先が幸せなのだ。今までの経験から、トビーはそう思っている。

 だから、ナレアスの考えに賛同は出来ない。考えが根本から違っている。


「分かったゴフな。オレとお前は仲良くなれない、どうやっても敵同士ゴフ」

 トビーは両手にナイフを構えた。右手には魔剣『ストルーク』を、そして左手にはお守り代わりのボロボロナイフ。

 そうしてから、トビーは左手を持ち上げる。宣言するなら、魔剣ではなくボロのナイフだとトビーは思った。

 自分に良く似た、力の無い物。だからこそ、心に刻めると。


「魔王様も、仲間も、世界も、オレが守るゴフ。もうお前の好きにはさせないゴフな」

 トビーは宣言する。

「オレが勝つゴフ。それが、長かった繰り返しの終わりゴフ」

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