Case 1-4.Her request

「諦めさせてください」


 夕月ゆづきに連れられて天文部の部室にやってきた女子生徒は、控えめに、しかし確かな意思を持ってそう言った。

 が、その後の言葉が続かなかったようで、


「えっと、それで。その……」

「まあまあ。とりあえずそこの椅子にでも座ってちょうだい? 晴人はるとくん」

「わかってますよ」


 俺は返事をしながら、さっき部長に作ったのと同じ要領で電気ケトルのスイッチを入れてお湯を沸かし、ココアを作る。『依頼人』が来たときに、いつもやっていることだ。


「熱いので気を付けてくださいね」

「あ、ありがとうございます」


 パイプ椅子に座りつつも依然としてそわそわした様子。不安と緊張のはらんだ顔でぺこぺこと小さく二度お辞儀すると、二年生を示す緑のリボンが揺れる。


「いただきます」


 そう言うと、先輩の女子生徒はマグカップを両手で持ち上げ、一口。

 瞬間、彼女の表情は少しだけ柔らかいものになった。


『まずは温かい飲み物を飲んでもらって落ち着いてもらいましょう。ここを訪れる人は皆、きっと心を硬くして緊張しているだろうから。』


 部長がいつも言っていることだ。なら自分でやればいいのに。


「落ち着いた?」


 さっきまで窓際で座っていた部長は、机を挟んで女子生徒の対面に席を移動していた。


「は、はい」


 マグカップに目線が落ち、ボブヘアーに切りそろえられた茶髪が微かに揺れた。髪型といいうっすらとした化粧といい、いかにも今時の女子高生という第一印象だった。夕月が連れてきたってことは、同じ陸上部の人なんだろうか。


「それじゃあ、先に自己紹介をしておくわ。私は二年の東雲しののめとばり。こっちは一年生の宵山よいやま晴人くんよ」


 部長の言葉に続けて俺は軽く頭を下げた。


「さて、まずはあなたの名前を――」

「あ、あの」


 すると、マグカップを持ったまま、女子生徒はまだ硬さの残る表情で部長の言葉を遮った。


「その前にひとつ、いいですか……?」

「どうぞ」


 部長が微笑んで促すと、おそるおそる、口を開く。

「本当、なんですよね? ここに来れば諦められるって……」


 まだ半信半疑。そりゃそうだ、『この活動』は天文部の正式な活動でもなければ、学校内で大っぴらに宣伝して行っているわけでもない。言い換えれば、ここへやってくる人は、生徒の間でひっそりと囁かれる噂や誰かの紹介を頼りにして、訪れる。


 自分ではどうにもならないと思ったことを、本当になんとかしてくれるのだろうか。そんな不安を拭いきれずに。


「もちろん」


 だけど、そんな疑問や不安を寄せ付けずに、部長は、東雲とばりは答える。明朗に、たった一言で。そして、こう付け加える。


「ただし、私たちはあくまであなたの手伝いをするだけ。最後に諦めるのは、あなた自身よ」


 通称『諦め屋』。それが生徒の間でひっそりと噂されている天文部のもう一つの名であり、東雲とばりが行っている『ある活動』の正体だった。目の前の女子生徒を含めると、この一学期で三人目の依頼人となる。


 訪れる人たちは何かを『諦めたくて』この部屋のドアを開き、『諦めたい』という意思を明確に告げる。


「ここはそういう場所だけど、それでもいい?」


 確かめるように、部長が訊く。それはまるで最後通告のように。ここから先は、後戻りができないと念押しするように。


「……はい」


 小さく、だけどもう覚悟は決まっていると主張するように、彼女はうなずいた。


「それじゃあ、短い間だけどよろしくね」


 部長がにっこり笑うと、緊張がさらにほぐれたのか、ゆっくりと話し始めた。

桜庭さくらばまひる、といいます。ここのことは、同じ部活の夕月ちゃんから教えてもらって。……なんとかしてもらえるだろうって」


 やっぱり夕月と同じ陸上部だったのか。というか、あいつ勝手に『諦め屋』のことを広めてるのか。俺としては、依頼人が来ることをできるだけ避けたいから人に話さないようにしてるっていうのに。


「それにしても、本当にあったんですね。私てっきり夕月ちゃんが冗談で言ってるのかなって思ってたので」


 正直な心情を吐露する桜庭さんに、部長は少しばかり拗ねた様子で、


「あら、せっかく依頼を聞こうと思ってたのに」

「す、すみません。そんなつもりじゃ」

「ふふ、冗談よ」


 くすくす笑って桜庭さんをからかう。部長はこうして話をするのが好きなのか、依頼人が来てはからかったりしている。俺もしょっちゅう標的にされているが。


「話が逸れちゃったわね。それで、桜庭さんはどんなことを『諦めたい』の?」


 今一度、部長が訊く。

 すると、桜庭先輩はさっきまでの柔らかめの笑みから一転、表情に陰りが見え隠れする。そして一瞬目を伏せた後、ポケットから一枚の写真を取り出して、机に置いた。


「これは……」

「猫、ですよね」


 野生なぞ忘れ去ったみたいに仏頂面をしてふんぞり返る姿が、そこにはあった。ふさふさした長い毛は、白と黒のツートンカラー。その間から少しだけ見える赤い首輪。猫には詳しくないので品種はさっぱりだけど。


「ラガマフィンね」

「え、部長わかるんですか」

「これくらい普通でしょ」


 むしろ何故知らないのだといった表情。俺が知らないだけで、猫の種類は必修科目にでもなっているとでもいうのか。


「はい、うちで飼ってる猫で、ソフィーっていうんです……愛想悪くて、あんまり懐いてくれてない感じなんですけどね。でもなんだかんだでかわいくって」


 言葉だけなら飼い主の親バカともとれるが、桜庭先輩の笑いは、どこか乾いている。その乾きの正体は、続く言葉で明らかになった。


「いなくなっちゃったんです……一か月半くらい、前から」

「……」


 この時、桜庭先輩の依頼内容をなんとなく悟った。

 その推測は、直後確信に変わる。


「それからずっと、探してるんです……。でも、見つからなくて……」


 言葉が止まる。まるで崖から飛び降りる最後の一歩を踏み出す前にためらうみたいに。


 だけど、もう後戻りはできない。そのことを桜庭先輩も承知しているようで、きゅっと唇を引き結んでから、言った。


「この子を探すことを、諦めさせてください」

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