恐怖! ヒト変化ウイルス

沢田和早

恐怖! ヒト変化ウイルス

 ネコ族とヒト族の争いは熾烈を極めていた。

 世界を二分する種族、ネコ族とヒト族。


 ネコ族は基本的に性質は温厚、優美な肉体と卓越した知能を持ち、高度に発達した文明を世界にもたらした。いわばこの世界の指導者といえる種族である。

 一方ヒト族は残忍な性質、屈強な肉体とずる賢い知能を持ち、本能の赴くままに世界を荒らしまわっていた。いわばこの世界の厄介者といえる種族である。


 ふたつの種族の争いがいつから始まったのか、それはもう誰にもわからない。いつの時代も攻め込むのはヒト族であり、ネコ族はただそれを防ぎ、逃げ、蹂躙されるしかなかった。それほどふたつの種族の間には圧倒的な力の差があった。


 それでもヒト族はネコ族を根絶やしにはできなかった。ヒト族は飽きっぽい種族なので勝負の行方が決まってしまうと戦闘をやめてしまうのだ。

 とどめを刺されなかったネコ族は科学力を総動員して被災地を復興させる。それに気づいたヒト族がまた攻め込んで中途半端に戦闘を終える。こんなことがずっと続いているのである。


「にゃんたることにゃ。また村がひとつ滅ぼされたにゃ」


 ネコ族のおさであるニャン太郎は使者の報告を聞いて顔を曇らせた。ここ数年、ヒト族の横暴はいつにも増して激しくなっていた。理由はわかっている。ヒト族の手によって伝説の魔界生物、魔神マタタビが復活したからだ。


「我らネコ族の英雄、三毛上みけのうえのニャニャ麻呂まろ様が100年の時をかけて溜糞ためふん山に魔神マタタビを封じたのが今から1000年前。今になってその封印が解かれようとは、思いもしにゃかったにゃ」


 魔神マタタビはネコ族の天敵である。その尻から発する独特の臭気はネコ族の大脳皮質に直接作用し、瞬時のうちに意識障害、判断力低下、運動機能マヒなどの症状を発生させる。

 これを食らったネコ族は例外なく、

「もうどうなってもいいにゃんにゃん」

 などと言いながらヨダレを垂らして寝てしまうのだ。

 魔神はヒト族と違って中途半端な戦闘はしない。ヤリ始めたらとことんまでヤってしまうヤツである。


「何とかしにゃければ我らネコ族は根絶やしにされるにゃん」


 焦るニャン太郎。そこへネコ族中央病理学研究所から朗報が届いた。対ヒト族生物兵器が完成したというのだ。ニャン太郎は直ちに研究所へ向かい所長から報告を受けた。


「これは新型ウイルスをベースにした生物兵器にゃのであります。我らネコ族にゃらば感染してもただの軽い風邪で済みますが、ヒト族に感染すれば致死率99%。滅亡間違いにゃし。さらに魔神マタタビが感染すれば魔力は消滅し、そこらに生えている植物のマタタビに変化してしまうのでありますにゃ」

「素晴らしいにゃ。直ちに実戦へ投入してくれたまえ」


 新型ウイルス兵器「COVITこびっと22にゃーにゃー」は大量生産され、ヒト族の生息地へばらまかれた。

 凄まじい威力だった。

 高齢だとか基礎疾患だとか慢性病だとかそんな要因には一切関係なく、感染したヒト族はバタバタと命を落としていった。

 事態を重く見たヒト族首脳は緊急事態宣言とか3密を避けようとかGOTOキャンペーン一時停止とか年末年始は家族で過ごそうとかの対策を打ち立てたものの感染の威力は留まるところを知らず、ヒト族滅亡は時間の問題となった。

 当然のことだが魔神マタタビも感染してそこらに生えている植物のマタタビに退化してしまった。


「ついに我らネコ族が世界を掌握する時が来たのにゃん!」


 喜ぶニャン太郎。しかし世の中はそんなに甘くない。大事件が起きた。


「ネコ族から重篤患者が発生しました」


 衝撃だった。新型ウイルス兵器「COVITこびっと22にゃーにゃー」はネコ族に感染しても風邪程度で済むはずだった。それなのにわずかずつではあるが重篤な症状を示すネコ族が出始めたのである。


「変異です。ヒト族の間で大流行しているうちにウイルスが変異したものと思われます」


 悪いことは続く。重篤化したネコ族で命を落とした者はいなかった。しかしある日突然ヒト族に変化するのである。いったいどのような原理でそうなるのかさっぱりわからなかったが、とにかくヒト族に変化するのだから仕方がない。

 そしてヒト族に変化した途端、患者は完全に健康な状態に回復する。ヒト族に変化することで完治しているのだ。


 悪いことはさらに続く。ヒト族に変化したネコ族は他のネコ族を襲って噛みつくという奇妙な行動を取るようになった。そして噛みつかれたネコ族は直ちにウイルスに感染しヒト族に変化する。


「まるで吸血鬼みたいにゃん」


 元々のヒト族はほぼ滅亡状態にあったのでそちらの脅威はなくなった。しかしネコ族がヒト族になってしまうという前代未聞の事実が明らかにされたことによりネコ族はパニックに陥った。


「にゃうー! 噛まれたにゃん。このままではヒト族になってしまう」

「と、父ちゃん! おいらどうすればいいにゃん」

「この猫輪刀ねこりんとうで父ちゃんのシッポを切り落とすにゃん。ヒト族になるくらいなら死んだ方がマシにゃん」

「できにゃいよ。おいらにはできにゃいにゃん」

「やるんだニャン治郎じろう。父ちゃんがヒト族ににゃってもいいのかにゃん」

「う、う、父ちゃん、ごめん。ズバッ!」

「ぐふっ。それでいいのにゃ。母ちゃんと妹のネャ豆子ずこを頼んだにゃん。がくっ」

「とうちゃああーん!」


 このような悲劇がネコ族村のあちこちで発生した。ちなみにネコ族の弱点は尻尾である。ここを切り落とされると数秒で命を落とすことになっている。


 ヒト族化したネコ族は完全にヒト族になるわけではない。かすかではあるがネコ族としての意識を保っている。しかし周期的に凶暴化してネコ族に噛みつくのだ。共存は極めて難しい状態だった。


「ど、どうすればいいのにゃ。このままではネコ族は全てヒト族に変わってしまうにゃ」


 頭を抱えて悩むニャン太郎。だが世の中悪いことがあれば良いこともある。ある日ネコ族中央病理学研究所から朗報が届いた。


「ワクチンが完成しました」

「でかしたにゃん!」


 喜び勇んで研究所へ駆け付けるニャン太郎。しかし所長の顔は暗かった。ニャン太郎は説明を求めた。


「どうしたのにゃ所長。ようやくワクチンができたのに、どうしてそんな、せっかく鯛が釣れたので食べようと思ったら鯛によく似たこいのぼりだったのでガックリ、みたいな暗い顔をしているにゃん」

「はい、実は副作用があるのです」


 所長の説明はこうだった。ワクチンの効果は絶大でこれを接種すれば99%の確率で発病を阻止できる。しかしその副作用として肉体と精神に退化が発生するのだ。


「その退化とはどのようなものなのにゃん」

「体が委縮しそこらの犬や狸くらいの大きさににゃります。全身はビロードのような体毛で覆われ、ヒゲが伸び、耳が三角になり、手に肉球ができます。これが肉体の退化ににゃります。精神の退化はさらに悲惨です。言葉を喋れにゃくにゃります。にゃーにゃーしか言えにゃくにゃります。三ツ星レストランのフルコースにゃどにはまったく興味を示さにゃくにゃり、生肉、生魚、ちゅーるなどを好んで食べるようににゃります。あと、水が嫌いにゃのでお風呂には入りません。以上ですにゃん」

「にゃ、にゃんたることだ」


 所長の報告を聞いたニャン太郎はショックのあまり床にへたり込んでしまった。ウイルスに感染してヒト族になるか、ワクチンを接種して退化した生き物になるか、究極の選択である。


「私の一存では決められないにゃ。ワクチン接種は個々の判断に任せるにゃ」


 情報は全て開示された。99%のネコ族がワクチン接種を希望した。ヒト族になるくらいならアホな生き物になったほうがマシ、ほとんどのネコ族がそう考えたのだ。まったく理解しがたい決断であるが、それくらいヒト族を嫌っていたともいえる。


 こうして元々のヒト族も元々のネコ族も滅亡した。

 今世界に生きているのはネコ族から変化したヒト族―人間と、ネコ族が退化した生き物―猫である。

 人間は元々ネコ族なので高度な文明を築き高い知力を誇っているが、所詮はヒト族なので時々人間同士で戦争したり平気で環境を破壊したりしている。猫は元々ネコ族だがワクチンの副作用でアホになっているのでアホである。


 それでも時々人間を見下すような態度を取るのは、

「わしらはおまえら人間とは違うのにゃん。ワクチンを打ったネコ族の末裔にゃんだからな。もっとわしらを崇めるがよいにゃん」

 と思っているからである。

 人間のほうもイタズラする猫に甘いのは、ヒト族になってしまった自分を恥じる気持ちが無意識の中に潜んでいるからだと言われている。

 なおこの物語の中で仰々ぎょうぎょうしい名前のわりには全然活躍しなかった魔神マタタビは普通のマタタビとしてそこらに繁茂しながら、なんとか元の姿に戻って魔界に帰れないものかとひそかにその方法を探っているらしい。にゃんとも信じがたい話ではあるにゃんにゃん。

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