TENDER
激しい戦闘と暴力の残滓が漂う廃墟の中に踏み込んで来るギャングの人たち。その先頭に立っているファースさんは、ざっと視線を一巡させて、この場の状況を把握したようだ。
「遅くなってすみません。ご無事ですか」
「私は平気です。でもマリオさんは……」
ひと目で重傷だとわかる彼の姿を見て、ファースさんは青犬さんを呼び、応急処置をするように言いつけた。青犬さんはすぐにマリオさんの傍に駆け寄って、負傷の具合をあらためる。
「ひでぇ傷だな、親友。薬は飲めるか」
マリオさんは小さく頷いて、回復薬を貰っていた。
ファースさんは次に狐さんのところへ行って、労うように肩を叩く。
「よくやった、ヴォルフ」
「……ほとんどマリオがやったようなもんっすよ」
ファースさんの後ろについていった赤犬さんは、血みどろになった遺体をまじまじと覗き込んでいた。
「あーあ、僕もヤリたかったのになぁ~。結構強そうだし」
「フレッド、お前にはまだ仕事がある」
「知ってるけどさ~~。死体相手じゃつまんないんだよぅ。てか、これ以上手ぇつけるとこなくない? 顔グチャグチャで判別つかないし」
口を尖らせる赤犬さんをよそに、ファースさんは真摯な面持ちでこちらを向いた。
「お2人とも、ご協力ありがとうございました。危険な目に遭わせてしまったことは申し訳なく思っています。ですが……遺体の処理は、こちらに任せていただけませんか」
処理と聞いて、嫌な想像がよぎった。ファースさんは、彼なりの――ギャングのやり方で、始末をつけようとしている。
「……マリオさんのご友人だというのは、重々承知しておりますが――」
「構わないよ」
マリオさんは、淡々と答えた。拒否する気は最初からなさそうだった。
「私も……マリオさんがそう言うのなら」
「ありがとうございます」
ファースさんは深々と頭を下げると、遺体をつついて遊んでいる赤犬さんをすぐに窘めにかかった。
「あんたらはしばらく外に出ねぇで、傷が治ったらとっとと帝都に帰るといい。立てるか? 親友」
青犬さんはそう助言してマリオさんに肩を貸し、一緒に立ち上がる。足はもう踏ん張りがきかないほどふらふらだったが、青犬さんがしっかり支えてくれているお陰でどうにか歩くことはできた。
「……親友」
歩きながら、マリオさんが少し不思議そうに反芻する。
「お前から言ったんだろ。俺のことふん縛っといて、能天気に『友達になろう』ってよ」
青犬さんはどこか懐かしそうに悪態をついた。私たちが最初にこの街に来たときのことだ。本当に、街が滅びかけるくらいの大騒ぎだった。
「俺みたいなギャングの端くれに、握手求めるなんてよ。今となっちゃ、俺は結構お前のことが気に入ってんだぜ。……死ぬなよ」
「うん」
敷き詰められた瓦礫の上をゆっくり歩く2人の後を追って、私もこの血の臭いのむせ返るような廃墟から抜け出した。
◇
支部に戻って治療を受けたマリオさんは幸い命に別状はなく、刃物で切られた痛々しい傷も数日で綺麗に完治した。ただ、頭部の傷だけはしばらく尾を曳いていて、いまだに痛みが残っているらしかった。
その間にジミーに襲われたソルヴェイさんも意識を取り戻し、自分で自分を治療するという離れ業で早々に回復してしまった。事の顛末を聞いた彼女はマリオさんのことも診てくれるそうで、今日はお言葉に甘えさせてもらっている。
「んー……わかんねぇ」
手早く処置を済ませたソルヴェイさんは、額に残った傷痕をまじまじと見つめながら呟く。いつもの適当にあしらう感じではなくて、これは本当にわからないときの言い方だ。
ベッドで横になっているマリオさんは実験体の動物みたいに大人しくしているが、眉間の辺りに辛そうな感じが現れていて、まだ痛みが潜んでいることをうかがわせる。
「傷はそれほど深くはない……が、何か後遺症が残るかもしれない。もう少し詳しく検査してみないとな」
「ソルヴェイさん。診察はあと15分以内にお願いします」
背後から刺さるアイーダさんの声に、ソルヴェイさんがピシリと固まる。
「……時間、厳しくねぇ?」
「本日の私の仕事はあなたをしっかり休ませることだと、ファースさんから厳命を受けております。定刻になり次第、寝室にお戻りいただきます」
「うげー」
今日のアイーダさんは有無を言わさぬバリバリの仕事モードで、ソルヴェイさんも参っているようだ。回復したとはいえいつも以上にだるそうなのは私にもわかるので、早めに休んでもらったほうがいいだろう。
「……まあいいや。戻ったら帝都の医者にも診てもらえ」
「わかった」
マリオさんの端的な返事を聞いたソルヴェイさんは、大仰な溜息をついてのっそりと立ち上がった。
「もうよろしいのですか?」
「残り10分ちょいでできることねぇよ。あとはエステルに任すわ」
「え、私ですか?」
「あんたが一番適任だろ」
2人が出ていったあと、部屋に残された私は何とはなしにマリオさんのほうを見る。
あの戦い以降ずっと調子が悪そうで、ぼーっとしていることが多くなった。今も心ここにあらずといった様子で雨に煙る窓の外を眺めている。
「……考え事、ですか?」
「……」
返事が来るまで、しばらくの間があった。声が聞こえていないわけではなく、返すべき言葉を探すのに時間を要しているみたいだった。
ずっと降り続いている小雨の音が、さーっと耳を通り過ぎていく。
「いろいろ……思い出すことはあるんだけど、なんて言ったらいいのかな……」
「どんなことを思い出すんですか?」
「……人を、殺したこととか」
それはきっと、マリオさんが今まで気にも留めなかった――いや、留めないようにしていたことだ。
「やっぱり、辛かったんですか?」
「辛い……」
初めて聞いた言葉みたいに、ただ反復する。自分の中にあるものとその言葉が、上手く結びついていないかのように。
「私だったら、人を殺すなんて……辛くてできません。相手が痛いだろうなって、苦しいだろうなって思ったら、私まで辛くなっちゃうから。狐さんも、たぶんそうだったと思います」
あの廃墟でジミーを殴り続けていた狐さんの顔を思い浮かべた。猛獣らしい苛烈な形相でありながら、泣き出しそうなのを堪えているようにも見えたあの顔を。
「ぼくも、そう……なのかな」
「そうですよ、きっと。辛いこととか苦しいこととか、今まで抑えていた感情や痛みが急に戻ってきて、ついていけなくなってるんだと思います」
「なるほど……」
「ちょっとずつ慣れていけばいいんですよ。私も傍についていますから」
再び訪れた沈黙を、静かな雨音がふわりと包み込む。細い雨の筋が、窓ガラスを撫でながら滑り落ちていく。
マリオさんは霧雨に煙る外の街に再び目を向けた。何も映していないかのように見える無表情の下に、どんなものが潜んでいるのだろう。
「ジミーもね、笑いたくもないのに笑ってるような奴だったよ」
「……わかる気がします」
おどけた顔で無邪気に笑いながら、ナイフのように鋭い死を突きつけてくる彼の内側には、なんというか、この世界と自分は永遠に相容れないのだという悲嘆のようなものが沈んでいた気がするのだ。
「ぼくはもう、どうやって笑ってたのかも忘れちゃったよ」
自嘲にも聞こえる、か細い声。虚ろな無表情に、かすかな切なさがにじみ出ている。
「常に笑ってる必要はないですよ。笑顔って、本当に嬉しいときに自然と出てくるものだと思うんです」
「……そう、なんだ」
私の言葉がどう作用したのか、マリオさんは薄い瞳で天井を見上げ、また考え事に耽ってしまった。私はなるべく邪魔しないよう、じっと雨音に耳を澄ませた。
時の経過を淡々と告げるように、雨はいつまでも優しく降り続いていた。
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