深淵へ
道もほとんど整備されていないような危険地帯を越えて、私たちは大きな廃墟に辿り着いた。3階建てだが屋根の半分と壁の一部が崩落していて、中の様子が丸見えになっている。あの廃教会よりもひどい有様だ。
入口はどこかわからないので壁の穴から入ると、瓦礫の敷き詰められた危ない床しか通れる場所がなく、転ばないように気をつけながら最上階まで上った。
「こういうゴチャゴチャしたところのほうが、君はやりやすいだろ?」
「そうだけど、いいの?」
「ズルして勝っても面白くないからね。正々堂々やるのがいい」
ジミーのその言葉に偽りはないようで、マリオさんに失くした手袋の代わりまで用意して渡していた。
「で、観覧席はあちらです」
彼が指し示したのは、半分だけ残っている平たい屋根の上。猫みたいにぴょんと飛び乗れればいいが、私の運動神経でそれは不可能に近いので、マリオさんに肩車してもらいながらどうにか上った。大事な勝負の前にぐだついてしまって申し訳ないけれど、確かにここなら中を十分見渡せる。
瓦礫まみれの広々とした部屋――中央に空いた大きな穴を挟んで、2人は向かい合う。
「オイラがコインを投げるから、落ちた音が聞こえたらスタートね」
「オッケー」
本当に、ただの友達同士だとしか思えない和やかそうなやり取り。でも、今から始まるのは――殺し合いだ。
コインを乗せた親指がピンと跳ねて、回転の軌跡を残しながら硬貨が宙を舞う。重力に従って少し大きめの瓦礫に吸い込まれていく。
コツンと音が鳴ったのと、2人が動き出したのは、完璧なほど同じタイミングだった。
もはやいつ走り出したのかわからないほどのスピードで、マリオさんは真正面に直進している。対するジミーはマリオさんが1歩目を踏み出したのと同時に素早くナイフを投げていた。
その矢のような1本の刃物を横跳びに回避したかと思えば、その寸刻の間にジミーは例の魔族の力でいくつものナイフを空中に並べていて、ちょうどマリオさんが避けた方向に射出した。
が、マリオさんは煙のように姿を消し、ナイフの群れは1本残らず地面に激突する。
消えたマリオさんは穴の中に転がり落ちていたのだが、天井の辺りに糸を引っかけていたのか、左腕の糸巻で巻き取って一気に飛び上がる。そのままアーチのような軌道を辿って、最速でジミーの頭上から踊りかかった。
振りかかる糸の束を、ジミーはナイフで一気に切り裂いてやり過ごす。その口角が不敵に持ち上がると、マリオさんの後ろで先ほど避けられたナイフの一団が再び起き上がり、ジミーの手許に引き寄せられる。
背後を取られたマリオさんは、右腕を手前のほうに思い切り引っ張った。途端にジミーの身体がぐらりと揺れて、社交ダンスみたいに2人の立ち位置がくるりと入れ替わる。
「うおお、マジか!」
ジミーは慌てて自分のほうに飛んでくるナイフたちの操作を解除し、すんでのところで地面に落とした。
「やるねぇ!」
「そちらこそ」
笑顔で賞賛の言葉を交わし合った親友2人は、次の瞬間には当たり前のように殺し合いに戻っている。
ヒュッ、と一度に2回刺突しているかのように見えるジミーの素早いナイフ捌きを、マリオさんはひょいひょいと簡単そうにかわす。その間にジミーは床に落ちたナイフを足でサッカーボールみたいに蹴り上げてシュートを放つ。至近距離から飛んでくるナイフを、マリオさんは2本の指でピタリと挟んで止めた。
その瞬間、ジミーの腕が再び糸に引っ張られて、釣り上げられた魚のようにマリオさんのほうに引き寄せられる。すれ違いざまに、マリオさんは止めたナイフを構え直し、一閃。
「いってぇ!!」
仰向けに転がったジミーの腕には赤い線が長々と刻まれていて、血の雫が瓦礫にしみ込んでいる。彼は痛みに顔を歪めつつも、傷の残る腕を動かして自分に巻きついた糸を切断する。
それからキッと燃えるような瞳を上げると、悠長に待ち構えているマリオさんに突進していく。その途中、何もないところで素早くナイフを大振りすると、ぷつりと糸の切れる音がかすかに聞こえた。
「見えてないと思った?」
「よくわかったね」
どうやらマリオさんが糸で仕掛けた罠を、ジミーは看破したようだ。私は今までマリオさんの罠を見破った人をほとんど見たことがない。
間合いを詰めたジミーは目に見えない速度で刃を振るい、銀色の軌跡だけがかろうじて目に映る。
上手く攻撃をかわしていたマリオさんは、隙を見計らってナイフを突き出す。ジミーは上体を後ろに反らして逃れつつ、足で刃先を器用に蹴り上げて、天井があったはずの上空へナイフを舞い上げた。そしてすぐに体勢を立て直すと、その場で高く跳躍して飛ばしたナイフをキャッチする。
着地と同時、銀色の線が2本になって空中を縦横無尽に走り回る。武器が増えてさらに複雑になった攻撃を、マリオさんはもうすんでのところで回避するしかできなくなっていた。
気づけばマリオさんの背後にはあの大穴が待ち構えていて、それ以上後退できないところまで追いつめられる。ジミーはすかさず大振りの一撃を叩き込んだ。
その刃は、マリオさんの数センチほど手前でピタリと止まる。
「……は?」
怪訝そうなジミーの両腕には、幾筋もの糸が食い込んでいた。いったいいつの間に?
よく目を凝らせば、細い糸がナイフの柄に絡みついているのが見える。あの素早いナイフ捌きを利用して、動けば動くほど糸が絡むようにしていたんだ。
ぎゅん、と左手の魔道具が急速に糸を巻き取ると、連動してジミーの身体が奥の方に吹っ飛んでいく。
「やべやべやべっ!!」
身動きが取れず焦っていたものの、落ちていたナイフを1つ魔族の力で操って、自分を拘束する糸をどうにか切断。壁に激突する前に、くるりと一回転して着地を決めた。
すぐさま反撃に転じようとしたジミーだったが、背後の違和感にはっとして振り返る。
ボロボロに朽ちた大きな棚が、まさに倒れようとしているところだった。
マリオさんが糸で棚を操っているのは明白だった。もう逃げる時間はないと悟ってか、ジミーは振り向きざまにナイフを放つ。棚が床に激突して砕ける音が響く中、銀色の矢はマリオさんが糸の操作をしていた左腕に突き刺さった。
下敷きになったジミーがどうなったかはわからない。マリオさんはそちらを注視しつつ、刺さったナイフを表情ひとつ変えることなく抜こうとするが――なぜかいくら引っ張っても、微動だにしない。
その柄の部分から黒い霧が立ちのぼる。壊れた棚の木片の山がガタガタと動き、傷だらけのジミーがしてやったような笑顔を覗かせる。
「へへへ……お返し」
マリオさんの腕に刺さったナイフが自我を持ち始めたかのように動き出し、刃は抜けることなく肉を抉りながら身体ごとどこかへ引っ張っていく。誘導した先には、部屋の中央に空いていた大きな穴がある。
「マリオさん!!」
彼は咄嗟に糸を自分の左腕に巻きつけて、ぐっと引っ張った。何をしているのかと思ったら、食い込んだ糸に血がにじみ出ていて、そこではっと気づいた。自由の利かない腕を切り落とそうとしているんだ。そんなこと、いくらなんでも……。
「ふ――」
見れば、ジミーの顔から笑みが消え去っていて、かわりに憎しみのこもったような怒気が充満している。
「ふざ、けるなよ……!!」
途端にマリオさんの腕に食い込んだナイフが力を増して、食い込んだ糸は振り払われて落ちていった。
もはや抵抗の余地もなく、彼の身体は奈落の底に引きずり込まれてしまった。
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