ギャングの覚悟
その異常な臭いに、狐の鋭い鼻はすぐさま反応した。役に立たないコックとの会話を打ち切って、弾かれるように外へ飛び出す。
「――……嘘だろ」
どす黒い水たまりに横たわるソルヴェイを前に、狐は絶句する。目を離したほんのわずかの間に、身体中を穴だらけにできる奴がここにいたのだ。もう、周囲にそいつの気配はない。
「い、生きてる、よな……?」
狐はおそるおそる彼女の身体を抱き起こす。血の混じった泥水がべっとりと両腕を濡らした。かすかな体温と呼吸をみとめたが、いつ消えてもおかしくないほど弱々しかった。
「代わってください」
混乱に陥りかけている狐の耳に、ひどく冷静な少女の声が響く。
「ソルヴェイさんの手袋で応急手当をします。狐さんはあの店主を追ってください。今さっき逃げました」
「え、なん……?」
「あの店主はおそらく犯人とグルだったんス。こっちは商会のガードマンを連れてきているのでご心配なく。<ウェスタン・ギャング>のエースなら、魔族は無理でも人間ならすぐ捕まえられるでしょう?」
「あ……ああ!」
やるべきことを自覚した狐は、目の色を変えて雨を吹き飛ばす勢いで走り出す。
ルゥルゥは手袋を両手にはめて、先ほど目を通した説明書の内容を頭の中に呼び起こしながら治療を始める。
「こうなることを見越してこの手袋をよこしたのだとしたら……あなたは本当に天才ッスよ、ソルヴェイさん」
◇
ソルヴェイさんが襲われたという知らせを受けて――支部の中は、よりいっそう重苦しい空気がのしかかっている。ルゥルゥさんがすぐに手当てをしてくれたのと、致命傷をうまく避けるという犯人の手口のお陰で、どうにか一命はとりとめたようだ。けれど、いまだに意識は戻らない。
それで、休憩室で私とアイーダさんが現場に居合わせた狐さんとルゥルゥさんの話を聞くことになり、そのときの状況をおおまかに説明してもらったところなのだけど……。
「クソォ……クソッ!! クソッ!! 俺が、もっと早く犯人に気づいてりゃあ!!」
狐さんが何度も自分の膝を叩く。普段の気楽な調子からは考えられないほど鬼気迫った表情で、私は声もかけられなかった。
「気づくのは難しかったと思うッスけどね。うちのガードマンもお店を見張ってたはずッスけど、人の気配は微塵もなかったそうッスよ」
ルゥルゥさんは平然と説明しつつ、温かいお茶を啜っている。アイーダさんはその些細な情報も逃さず手帳に書き留めた。
「だとしても……俺が、傍にいたのに!!」
「カリカリしてても仕方ないッスよ。ファースさんたちが手がかりを掴むのを待つしかないんじゃないスか?」
自分たちの仕事はここまでだと言わんばかりに、彼女は他人事を装っている。
「……」
狐さんの悔しさに嚙みしめた牙が砕けそうになるくらいギリギリと軋み、抑えきれない感情がその隙間から漏れ出してくる。
「エステルちゃん」
「は、はい」
「犯人見つけたらさ……やっぱ、教えてくんねぇ?」
思わず唾を飲み込む。その真摯な眼差しに射竦められて、素直に頷くことはできなかった。返事をする前に、割り込んできたノックの音に救われる形になった。
「やあ。尋問終わったよ」
陽気な声で入ってきたのは、返り血で服を汚したマリオさんだった。
狐さんたちが行ったお店の主人が犯人の協力者だったらしく、狐さんが必死の思いで捕まえてきて――ファースさんとギャングの人たちが、その人に話を聞いていたところだった。自分なら嘘がわかるからと、マリオさんも同席して。
彼らがどんな尋問を行ったのか、具体的なことはわからないけれど……平和に終わることはなかったというのは、マリオさんの姿を見ればわかる。
用意された小さな会議室に向かうと、ある程度拭いたり着替えたりしたのだろうけれど、むっと血の臭いが鼻についた。尋問に使った部屋はもっと悲惨なことになっているのだろう。当然というか、捕まった犯人の協力者の姿は見えず、彼がどうなったのかも考えたくはなかった。
机と椅子がいくつか端によけられていて、やや広くなった室内にファースさんとギャングの人たち――赤犬さんと青犬さんの顔が見えた。
「わ~~~い!! エステルちゃん、久しぶりっ!!」
少年のように朗らかな笑顔で挨拶してくれた赤犬さんは、口のまわりに拭いきれていない血の跡をつけていた。
「こんな再会になっちまうなんて、ある意味この街らしいな。臭うかもしれねぇが、我慢してくれ」
壁によりかかって一服している青犬さんにも、ぺこりと会釈をしておいた。
部屋の中央にはファースさんの小さな背がしんと佇立している。冷静に構えているように見えるが、その内側にどれほど恐ろしい感情が閉じ込められているのか、想像に難くない。
「犯人の隠れ家をつきとめました。東の廃教会です」
淡白な声音ながら、ぞっとするような迫力がある。
「罠かもしれませんが、こちらは正面から攻め込むつもりでいます。さしあたって、敵の情報が必要になるのですが……マリオさんは、犯人と面識があるそうですね」
「うん。友達だよ」
「マジかよ……」
犯人への憎悪をみなぎらせていた狐さんが、その事実を聞いて少したじろいだ。当のマリオさんは平然と、その犯人を模した人形をみんなに紹介する。帽子を被り、ギターを抱えた少年の操り人形。
「ジミーっていうんだ」
初めてマリオさんに人形芸を披露してもらったときに見たのが、彼だった。少しおどけた感じで陽気な印象のある子だ。
マリオさんの元仲間で、彼に殺されかけて……どうにか生き延びたのはわかる。でもどうして、今になってこの街で人を殺しているのだろう。仕事だとも思えない。
「……彼は、歳は同じくらいですか?」
「そうだね。もう少し背は伸びてるんじゃないかな」
「プロの殺し屋ですよね?」
「少なくとも、昔はね。今もやってるか知らないけど。ナイフの扱いが上手くて、気配を消して行動するのも得意だったよ」
マリオさんはしれっと説明しているが、聞いている私たちには寒気がするほど深刻に響いた。
「つまり、なんだ。端的に言うと、お前と同じくらい厄介で強ぇってことだな?」
「わはー、楽しみ! 早く戦ってみた~い!!」
青犬さんがこめかみを押さえる一方で、赤犬さんはキャンキャン飛び跳ねている。
「し、しかもよぉ……そいつは魔族の力でパワーアップしてんだろ?」
狐さんが腰の引けた調子でさらなる不安要素を付け足し、青犬さんの頭痛は悪化して赤犬さんの目の輝きは増した。
「問題ない」
どすん、と腹の底に沈み込むような声。
「相手が人間なら、必ず殺せる。うちの人間2人も手ぇかけやがった落とし前、死んでもつけさせてやる」
ファースさんが眼鏡を外せば、苛烈な双眸に一点の曇りもない凄絶な覚悟の光が漲った。何が何でもやりとげるという強い意志が3人の獣人たちに伝播して、彼らの眼にも同じ光を宿らせる。これがきっと、彼がギャングのボスたりえる力なのだろう。
部下たちの意思確認をしたファースさんは、顔をよそ向きの紳士的なものに改めてこちらを振り向いた。
「できればマリオさんにも同行していただきたいですが……エステルさんは、ここで待機してもらったほうがいいかもしれません」
「ぼくはいいけど、エステルは一緒に来たほうが安全だと思うよ」
「え?」
むろん私も行くつもりだったけど、マリオさんの言い方が気になった。
「ジミーはたぶん、次にエステルを狙うと思うんだ」
「……!」
冷たいナイフを首筋に当てられたような怖気が湧き上がってきた。自分が狙われる可能性だって、ないわけなかったのに。
「わかりました。マリオさんはなるべくエステルさんについていてください」
「いいよー」
なんとも気の抜けた返事だが、マリオさんが誰よりも頼りになるのは知っている。
さっそく敵地に乗り込もうとファースさんたちが退室しようとしている傍らで、記録役に徹していたアイーダさんが不安げな視線を送る。
「……帰って来てくださいね。あなたがいないと困ります」
「もちろんですよ。アイーダさんはソルヴェイさんの傍にいてあげてください」
温和な微笑みを返したファースさんは、またすぐに険しい顔つきに戻り、物々しく部屋を出て行った。
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