犯人の手がかり
遺体と対面して疲れてしまった私は、支部の休憩室を借りて少し休ませてもらうことにした。その間、マリオさんはアイーダさんやソルヴェイさんと過去にあった事件を調べるそうだ。
休憩室では先客の狐さんが青い顔をソファに押しつけて、溶けていた。顔からはみだしたサングラスがすこし曲がっている。
「ううぅ~~、マジで勘弁してほしいぜぇ……。いくらこんな街とはいえ、女の子があんな殺され方してよぉ。旦那はブチキレてるし、みんな殺人鬼に怯えちまってるし……」
「お疲れ様です、狐さん」
「お疲れ様はこっちのセリフだぜ、エステルちゃん。死体見たんだろ? 具合とか平気?」
「平気……とは言えないですけど。早く解決しなきゃ、って思います。次の犠牲者が出る前に」
私がその決意を口にすると、狐さんはのそりと起き上がってサングラスをかけ直す。
「あー、その……勇者ライセンスをお持ちの勇者さんから見て、やっぱり犯人は魔族なわけ?」
「うーん、詳しくは言えないですけど……魔族の力を与えられた人間、というのが私たちの見解です」
「うわぁ、そういうパターンもあんのかよ~。やっぱ、人間かぁ……」
「人間だと、何かまずいことがあるんですか?」
金髪に染めた頭を両手で抱えていた狐さんは、サングラスの隙間ごしに私の顔をちらっと見上げて、話を始めた。
「この事件の犯人が、街の人間じゃないってのはわかる?」
「どうしてですか?」
「<勇者協会>の人間を襲ったからだよ。ファースの旦那は身内に手ぇ出されないように、ちょっかいかけてきた奴を、こう……いわゆる『見せしめ』にしちゃってんのね」
鈍い私でも話が見えてしまった。ファースさんは温厚なホビットではあるけれども、立派にこの街の人間なのだ。
「つまり、俺らギャングや協会の人間を狙った時点で、犯人は自殺志願者か、よっぽどの大アホか、街の外から来た奴のどれかってことになる」
「なるほど。でもそれ、有力な手掛かりですよね」
「まあ、そうなんだろうけど……大事なのは犯人見つけた後なんだよ。あの旦那が、身内を殺した奴を楽に死なせてくれると思うか?」
背筋を嫌な汗が伝った。もしかしたら、その犯人よりもむごたらしい報復をしてしまうのではないか。
「……な? 旦那はやると決めたら徹底的にやる人だ。エステルちゃんたちがぱぱっと犯人見つけて、ぱぱっと始末しちまうのが一番早ぇんだ。頼むよ」
狐さんは両手をぱんと合わせて頭を下げる。
「もちろん、努力はしますけど――」
マリオさんなら犯人を見つけた時点でためらいなく命を奪いにかかるだろう。ただ、敵が魔族の力を持っているという点が厄介だ。
ちょうどそこで休憩室のドアが開き、マリオさんたちが戻ってきた。
「おっ! ソルヴェイちゃんにアイーダちゃん、お疲れ! 俺とお茶しない?」
「じゃー3人分のコーヒー淹れてくれ。93度のお湯を豆の量の15倍用意して3回に分けて注ぐように」
「オッケー! えーと、お湯がきゅうじゅう……?」
急に元気になった狐さんを体よく追い払いつつ、ソルヴェイさんは空いたソファにもたれて一息ついていた。それから隣の席をぽんぽん叩いて、アイーダさんに座るよう促す。
「せっかく会えたのにこんな状況で、ちょっと参っちゃいますよね。お元気でしたか?」
「わかんねぇ」
「ここ数か月の記録によれば、特に体調に大きな変化はございません」
答え方があまりにもこの2人らしくて、少し吹き出しそうになる。特に変わりはないようだ。
「そっちは? ビャルヌとか元気?」
「ソルヴェイさんが帰った後は落ち込んでましたけど……今はいつも通りお仕事頑張ってます」
「へえ、帰りに土産でも持たせようかな」
ソルヴェイさんが穏やかに微笑む後ろで、狐さんが「あっちィ!!」と叫ぶのが聞こえ、マリオさんがふらっと様子を見に行った。
「エステルさんがここの支部長でいらっしゃった期間はかなり短いようですが」
ふと、アイーダさんが手帳に落としていた目をこちらに向ける。
「当時の職員は全員覚えてらっしゃるのですか?」
「え? まあ……今全員の名前を挙げろって言われたら難しいですけど。顔を見れば、どんな人かは思い出せると思います」
「そう、ですか」
アイーダさんの長い睫毛がゆっくりと下りて、その瞳に物憂げな影を落とす。ソルヴェイさんもその心中を察したらしい。
「あんたはそこまでやる必要ないんだよ。この元支部長さんが特別なだけ」
「素晴らしい記憶力をお持ちなのですね」
「いや、そういうわけじゃ……」
アイーダさんは、さっき私が亡くなった職員の人を覚えていたことが気になったのだろう。
「自分の記憶に限界があるのはわかっています。ですが……私のことを知っている方に会うと、どこか安心するんです。たぶん、毎日そうなんです。だから、私も……」
その気持ちは痛いほどわかる。私が同じ立場なら、自分がお世話になっている人たちのことは覚えておきたい。けれど、限りある記憶の中には入りきらないこともある。
「それでも、いいと思いますよ」
「……え?」
「実際に覚えていなくても、覚えようとしてくれるだけで、私は嬉しいです。だから、アイーダさんはそのままでいいと思います」
アイーダさんは右手のペンを顎に添えて、私の言葉を咀嚼しているみたいだった。
「そーそー!」
と、目の前のテーブルに3つのマグカップがゴトンと置かれる。3人分のコーヒーの湯気から、狐さんの陽気な顔がにゅっと出てきた。
「アイーダちゃんはそんなに気にしなくていいんだぜ~? 俺なんて職員の半分くらい顔と名前が一致しねぇもん」
「ぼくは新しく来た人の顔も覚えたよ」
「マリオお前、空気読めや……てか、記憶力すげぇな」
私は一言お礼を述べてからコーヒーを啜る。仕上がりは完璧でコク深い味わいが口の中に広がった。私が見ていた限り、結局マリオさんが全部やっていた気がするけど。
「そういや、捜査のほうはどうなってんのよ? 犯人わかった?」
狐さんが尻尾をぱたぱた揺らしながら尋ねると、コーヒーをゆっくり味わっていたソルヴェイさんが眉間に皺を寄せた。
「そんなすぐわかんねぇよ、ボケ」
「今回の調査でわかったことは、被害者の胃の内容物からこの辺りではあまり見られない食物が検出されたことです。殺される直前、そのような珍しい食品を提供する料理店にいた可能性があります」
アイーダさんが手帳をめくりながら報告すると、狐さんの尻尾がぴんと立つ。
「おお! じゃあワンチャン犯人とメシ食ってた可能性もあるよな?」
「店の特定が先だけどな。まずは<サラーム商会>を当たる」
<サラーム商会>といえば、ルゥルゥさんがいるところだ。優れた情報網を持つかわりに、ほぼ間違いなく対価を要求される。
「あー、なるほどな……って、もしかしてソルヴェイちゃん、一人で行くつもり?」
「おー」
「『おー』じゃないよ!! こんな物騒なご時世に女の子一人で出歩くなんて危ねーって!! 俺も行くよ!」
「えー?」
「『えー?』じゃ……や、確かに俺じゃあ力不足かもしんないけど」
「私もそのほうがいいと思います」
アイーダさんの後押しもあって、ソルヴェイさんは「あー」と渋々了承したようだ。狐さんは急に活力が湧いたみたいに尻尾をぶんぶん振っている。
「よっしゃ! じゃあさっそく聞き込み行こうぜ!!」
「はー……」
ソルヴェイさんは重そうな腰を上げ、やたらはりきっている狐さんについていく。それに続いてアイーダさんも立ち上がった。
「私もファースさんに調査報告をしてきます。ごちそうさまです」
丁寧に私のぶんまでカップを片付けてくれた。こうして3人が出て行った休憩室には、私とマリオさんだけが取り残される。
「マリオさんは、コーヒーいいんですか?」
声をかけてみたけれど、マリオさんはドアのほうを見据えたまま動かなかった。
「犯人ねぇ、ぼくの知り合いかもしれないんだ」
「……え?」
唐突に告げられた言葉に、私は耳を疑った。彼は切れ長の目を動かすことなく、さらに信じられないことを付け足した。
「でもその人、だいぶ前に殺したはずなんだよね」
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