輝ける生命
私の目の前では、光と影を象徴するかのように、2人の錬金術師が対峙している。
日の光を背負うヤーラ君の傍には、アレクセイと名付けられたホムンクルスが控えている。ドロドロの怪物だった前の形態とは違って手足があるので、やる気満々なのが姿勢からうかがえる。
相対するプロコーピー博士は、いまだ曇天の下にいるように陰りのある笑顔を浮かべている。その皺だらけの手は、感情を喪失した最愛の妹の肩に添えられている。
「では、まずは小手調べと行こうか」
雪を乱暴に蹴り払うような足音が裏庭のほうから押し寄せてくる。虚ろな目をして生気を失った、博士の弟子たちだ。左右からヤーラ君たちを囲むように迫ってきている。
その亡者たちを見る博士の眼が、怪しく閃いた。
途端、人間だった彼らの身体のところどころが膨張し、あっという間に異形の怪物と化してしまった。
化物の群れに見下ろされているヤーラ君は怯えた様子もなく、むしろ憐れんでいるような眼差しを彼らに注ぐ。
変形した腕が小さな少年に降り下ろされそうになったとき、瞬時に白いリザードマンのような何かが割り込んで、異形の腕を消し飛ばした。アレクセイだ。
腕力の強さは変わらないが、前と大きく違うのはそのスピード。ウサギと似た形状の太くたくましい足は走行・跳躍を軽々とこなし、段違いの俊敏さを発揮している。その速度に相手の攻撃は追いつかず、当たったとしても硬い外殻に弾かれてダメージは通らない。
強い。前から強かったけど、比べ物にならないくらい強くなっている。動きやすい身体を得たから、というだけではないのだろう。
その強さの前に、異形のホムンクルスたちはなすすべなく葬り去られていった。
「見事だ」
手駒が全滅してなお、プロコーピー博士は満足げに微笑んでいる。
「だが、マトリョーナは誰にも傷つけさせん」
少女の額の痣がどす黒い光を放った。私たちを捕まえたときと同じように、その右腕が太い木のような触手へと変貌する。いくつもの枝に分かれたそれは、人間よりわずかに大きい程度のホムンクルスに四方八方から襲いかかる。
アレクセイは自慢の脚力で宙に跳び上がって回避し、硬質の触手は地面に突き刺さって積もった雪の塵を巻き上げた。
直後、黒いエネルギーの塊みたいなものが飛び込んできて、肩の辺りを抉りながら通過する。
「魔法……?」
ぱっとあの女の子のほうに目を移すと、何か黒いオーラのようなものをその身に纏っているのが見えた。これも魔族の力なのか。
「これならもうマトリョーナが襲われる心配をしなくて済むだろう?」
ヤーラ君は眉をぎゅっと寄せて苦い表情を作ったが、すぐに肩を負傷した相棒のほうへ意識を切り替える。
その右目が金色に煌めくと、抉られた肩が即座に修復した。
ひと目見ただけで、ホムンクルスの傷を治してしまう。こんな芸当も、今のヤーラ君なら当たり前のようにできるんだ。
「ほお、これは……一撃で破壊せねばならんということかな?」
魔族の力による黒い塊が、今度は岩みたいな大きさとなっていくつも宙に浮かび上がった。黒い砲弾の一斉掃射を、アレクセイはジグザグに跳びながら躱しきる。
が、その足元にはあの木のような触手が気づかないうちに這い寄っていた。足を掴まれて身動きの取れないアレクセイのもとに、大きな黒い塊が飛び込んでいく。
その塊は、空中で煙のように立ち消えてしまった。
「ほう」
博士はわずかに驚きを見せた。でも、私には見覚えがある。ヤーラ君は見るだけで魔法を消し去ることもできる。
その隙に足に巻きついていたものを切り離したアレクセイは、今度はこっちの番だとばかりに突撃していった。一瞬にして縮まっていく距離。丸太のような腕が、幼い少女に覆いかぶさる。
ブオン、と風を裂く音とともに、雪の波飛沫が砕け散った。
そこに少女の姿はない。いつの間にかアレクセイの背後に回っていた彼女の足は真っ黒に染まっていて、肉食獣の後ろ足のような形に変わっている。
「速く動けるのは君だけではないのだよ」
博士が笑みを深めると同時、2つの場所から噴煙みたいな雪が舞い上がった。
茨の鞭のような触手が走り、交差し、囲い込み、その隙間を黒い塊が縦横無尽に飛び回る。その中に捕らわれたアレクセイは、激しいダンスのように身を翻してその連撃を回避しつつ弾き返すが、身体の大きさが災いして細かい傷が増えていく。
今までと段違いの速度にヤーラ君も目が追いつかなくなってしまったようで、先ほどのように見るだけで傷を修復したり、魔術の攻撃を消し去ったりすることが難しくなってしまった。
超高速の攻撃の応酬が繰り返され、ついにはアレクセイの腕が触手に絡めとられてしまった。特大の黒いエネルギーが囚われた獲物に照準を定める。
しかし、アレクセイは逃げなかった。逆に腕に巻きついている触手をもう片方の手で掴み、思い切り引っ張ったのだ。その触手の根本は少女の右腕だ。したがって、魚が釣りあげられるかのように少女の身体もホムンクルスのもとへ引っ張られ、そこへ黒い塊が降り注ぐ――かに見えた。
塊は、一瞬にしてかき消えた。見れば、プロコーピー博士の眼が険しい光を帯びている。ヤーラ君と同じように、見るだけで魔法を消してしまったんだ。
それでも、アレクセイが少女の手綱を握っているのは変わらない。腕力で圧倒しているホムンクルスは、その小柄を空高く放り投げた。
太陽に背を向けた少女が再び黒い塊を出現させる。アレクセイは彼女を追うように高く跳躍し、瞬時に肉薄。その腕を伸ばしたところで――黒い爆風が2つの生命を飲み込んだ。
日の光が一時的に陰り、強風を浴びて私は両腕で頭を庇う。風が通り過ぎたタイミングで、重たい何かが地面に衝突し、雪の飛沫を高く高く噴き上げた。
その白い幕が下りると、そこだけ土の色が露わになっている場所で、片腕を失ったホムンクルスが横たわっていた。
「そんな……」
アレクセイは残った手の指先をぴくぴく動かしているが、起き上がれそうな気配はない。
咄嗟に主であるヤーラ君のほうを――と思ったが、彼の姿はなくなっていた。すぐに周囲を見回す。
「……!!」
私よりも、博士のほうがよほど驚いていた。
ヤーラ君がいたのは、あの少女のすぐ背後だった。すでに人間らしい姿に戻っている彼女の右手首を掴み、後ろから抱きかかえるようにしている。
初めから、彼女を倒そうとなんてしていなかったんだ。あの激しい戦闘に紛れて、彼女に近づく機会をうかがっていたんだ。
「ごめんね。すぐに解放してあげるから……」
幼い少女に触れる錬金術師の手が、うっすらと光り輝く風を纏い始める。
その光景に、プロコーピー博士は一挙に冷静さを失った。
「やめろ……やめろ!! マトリョーナに触れるな!!」
半狂乱の悲鳴を上げて、老人が少女の元へ駆け寄ろうとする。血走った目玉を剥いて、皺だらけの手を伸ばした。
少女も右手の拘束からするりと抜けて、兄のほうへ手を差し出す。
――その手はたちまち硬質化した触手に変化し、老人の身体を貫いた。
「な……」
真っ赤な鮮血が、白い雪を点々と染めていく。刺さった触手が霧のように消え去ると、胸の辺りに空いた傷口から堰を切ったように血飛沫が噴出した。呆然と半開きになった口元からも、血の筋が垂れている。
老人の身体は血だまりに沈み、血走った両目だけが持ち上げられる。
「離せ……マトリョーナを、返せ……!!」
博士は雪の上を這いずって、血のあぶくとともに呪詛のような言葉を吐き出している。人形のように無抵抗な少女を抱きかかえたままのヤーラ君は、憐憫の情を含んだ瞳で哀れな老人を見下ろしている。
「もう、やめませんか」
「……!」
「わかってるんでしょう? こんなの、妹さんへの愛じゃない。自分のせいで最愛の人が死んでしまったら……そんな恐怖から、目を背けているだけなんです。……僕も、そうでした」
ギリ、と歯噛みする音がしたが、すぐに少女へ伸ばされていた手が脱力したように地面へ落ちた。
「……わ、た……しは――」
枯れゆく老人の横顔に、強い日差しが降り注いだ。そのときだった。
「あれ……?」
小鳥のような、可憐な声がぽとりと雪の上に落ちた。
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