出陣式
人間界と魔界を行き来するための巨大なゲートがある<黒き谷の遺跡>。それを封じ込めている結界が破られたと、<勇者協会>の賢者たちが察知した。いよいよ決戦が始まるということだ。
魔界からの大侵攻。勇者たちが総出でそれを食い止め、最も強い勇者パーティが魔界へ乗り込む。
――そこに、私たち<ゼータ>はいない。
協会の建物から帝都を見下ろせば、みんな勇者たちを送り出す準備に忙しく走り回っている。決戦があるときは毎回帝都に住む人々が総出で盛大な出陣式を行う。私が見るのは、これで2回目になる。
本当は、私たちも送り出される側に立っていたはずだった。今も仲間たちは薄暗い地下牢にいる。もう、戦いに向かう勇者たちの無事を祈ることしか、私にできることはない。
「大通りがよく見える。いい場所だね」
穏やかな声が耳に触れる。なにとはなく振り向いて、私は目を疑った。
「あっ……アル――」
「し――っ!」
名前を呼ぼうとして、口を塞がれてしまう。間違いなくアルフレートさんだ。兜は、被っていない。
「な、何してるんですか?」
「せっかくだから、挨拶に来たんだけど」
「はぁ……ありがとうございます」
今目の前にいるのは、これから決戦に赴く英雄とは思えない、川べりでいつも見ている平凡な青年の姿だった。よく見ると、後ろに釣り竿を背負っている。
挨拶に来た、という割にはアルフレートさんはやけに寡黙で、口元は微笑んでいてもどことなく寂しそうな気配があった。
「準備とか、いいんですか?」
「まあ、俺たちがやることはもうそんなにないし。当日は意外と暇なんだよ」
「そう、なんですか」
アルフレートさんは私の隣に来て、窓から街を見下ろす。いつもより少し浮ついた雰囲気の漂う帝都。あのときと、同じ。
「懐かしいね。前もこんなふうに、お祭りみたいな感じだった。昼間からお酒飲んでる人とかいてさ」
「そうでしたっけ。私、あんまり周りのこと見てなかったかも」
「君はそれどころじゃなかったもんね」
「……今日は、泣きませんから」
「あはは」
子供を相手にしているような笑い方だった。でも、私は幾分か本気で誓ったつもりだ。
「あのときは……お兄ちゃんが、もう帰ってこないんじゃないかと思ったんです」
アルフレートさんの笑みが薄らいだ。
私でも知っていることだ。魔界へ行った勇者が無事に帰ってくるのは稀なことで、たいていは向こうで命を散らせてしまう。お兄ちゃんも……。
「でも、今はそんなふうに思ってません」
遠い街並みに落とされていた彼の瞳が、こちらに戻ってくる。
「本当は一緒に戦いたかったけど……できなくなっちゃったので。ここで祈ってます。無事に帰ってこれますように、って」
「それは心強いね。本当に」
そう言って、アルフレートさんは窓から数歩離れていく。
「俺は、エリックさんに憧れて勇者になったんだ。だから、俺があの人の遺志を継ぐ」
去り際の横顔は、平凡な青年から世界を救う英雄のものに変わっていた。
◇
昼過ぎになる頃には、帝都の大通りが人で埋め尽くされていた。中心の一本道だけを残して、その両脇は動ける隙間もないくらいに人々で溢れかえり、通りに面している家々の窓からも数人がまとまって身を乗り出している。
ラッパの音が高らかに鳴って、人々の歓声が沸き上がった。その声の波が徐々に近づいてきて、出立する勇者たちの姿がここからも見えてくる。
先頭に立っているのは、トマスさんたち<AXストラテジー>だった。トマスさんは国民からの支持も厚く、大きな期待を受けて凛々しい笑顔で手を振っている。
その後ろにいるノエリアさんも同様に手を振り、炎魔法で派手な花火を上げて人々をわっと沸かせた。影に隠れるように肩身の狭そうなヘルミーナさんが続いて、背の高いシグルドさんは素知らぬ顔で黄色い声援を浴びている。
その声援の中に野太い大声が混じる。娘を見送りに来たグラント将軍だ。ただ、当のミアちゃんはシグルドさんにおんぶされてすやすや眠っていた。鼓膜の破れそうなお父さんの声にも起きる気配はない。
そして、ロキさんは当然のように姿が見えない。
次に見えたのはレオニードさんたち<BCDエクスカリバー>だ。ただ、今日はいつもと違って3人とも気が引き締まっている。普段なら喜びそうな応援の大合唱に目もくれず、黙って機械的に歩いている。その気持ちも、私にはなんとなく理解できる。
<クレセントムーン>はいつも通り、マーレさんは明るい笑顔で観衆に応え、エルナさんは強気な面持ちで堂々としている。背の低いリナちゃんはぴょんぴょん跳ねながら愛嬌を振りまき、ただ一人タバサちゃんだけ緊張からかゾンビみたいな顔色になっていた。
それから何人か勇者が通り過ぎるのを見送って――その中に背の低いスターシャさんが埋もれているのをうっかり見逃すところだった。彼女は平素の涼やかな顔で淡々と歩いている。
クルトさんがいない、と思ったら観衆の人ごみの中から押し出されるように出てくるのが見えた。両手には溢れそうなほど食べ物を抱えている。スターシャさんと合流した彼は冷たい眼差しを食らって萎縮していた。
列の最後のほうには<エデンズ・ナイト>の2人がいる。今日は一段と鋭い眼をギラギラさせているレイと、どっしりと落ち着いているガルフリッドさん。不安がないわけではないのだろう。でも、もう以前の2人じゃない。大丈夫。
最後に、今日一番の歓声が響き渡った。
颯爽と現れた3人の英雄たち。<スターエース>は威風堂々と帝都の中心を歩いていく。割れんばかりの声援、平和を願う人々の期待を一身に背負って。
その去り際、兜を被ったアルフレートさんは一瞬だけこちらを振り返り、マントをはためかせて再び背を向ける。
頑張れ。去り行くみんなの背中に、心の中でエールを送る。今の私にできるのは、それだけだ。
◆
帝都を出立して行軍を続けていた勇者たちは、戦場となる<黒き谷の遺跡>への道中で野営を張った。偵察に向かった先遣隊の報告を待ち、準備に取り掛かるためだ。
戦いの要となる<スターエース>は、中央の天幕の中に控えている。決戦を前にして、静かに英気を養っているのだろう――と、外部にいる勇者たちは思っていた。
「はい上がり~~!! オーブリー弱すぎて笑えるんだけど」
「おめぇ、普通ちょっと飛び出してるカードがババだと思うじゃんかよぉ! 悪女め!」
実際には、彼らは天幕の中でトランプに興じていた。ババを引かされたオーブリーは普段の厳めしい重戦士の面影もなくひっくり返り、いち早く抜けたアルフレートはケラケラと笑っている。仲間をやりこめたローラは散らかったカードを片付け始めた。
「そういえばさー……アル、出発前にエステルちゃんと何話してたの?」
「えっ! なんだよお前それ! なんだよ!」
「いやなんで知ってんの!?」
ローラとオーブリーの謎の圧を受けて、アルフレートは狼狽する。
「まあほら、いろいろあって一緒に戦えなくなっちゃったし……挨拶しとこうかなって」
「それは本当にただの挨拶ですかァ~? 『この戦いが終わったら、俺と』……みてぇなさぁ!!」
「え――っ!? 嘘、どういうこと!?」
「話ややこしくすんなよもう!!」
羽目を外すオーブリーは大声で笑い、真に受けたローラはやたら真剣な顔でアルフレートに問いただし、天幕内は混沌と化す。アルフレートは大仰な咳払いでそれを跳ねのけた。
「おほん! ともかく、今は敵を蹴散らして魔界に行く! いいですね、皆さん集中してください」
「へぇ~~い先生」
「何この遠足のノリ」
そこでオーブリーがニヤニヤしながらアルフレートの肩に手を回す。
「ま、憧れのエリックの妹ちゃんに託されたとあっちゃ、気合も入るってもんだよなぁ? アルフレート先生?」
「もー、しつこいなー」
2人で戯れている傍ら、ふとローラが真剣な顔つきを覗かせる。
「でも……ほんとに、頑張んなきゃだよね。<ゼータ>のぶんまでさ。きっと、一緒に来れなくて悔しかっただろうし」
その一言に、オーブリーもにやけた顔を改める。アルフレートも力強くそれに応えた。
「もちろん」
<スターエース>はいつもこうだ。どんなにふざけ合って笑っていても、いざ戦いのときには全員が全員「最強」の顔になる。この決戦でも、それは変わらない。
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