一難去って

 闘技場への魔族の襲撃事件は、敵の首領・ダリアを追い返して決着を迎えた。魔物の残党も殲滅、一般人の負傷者はほとんどゼロという理想的な結果となった。

 が、勇者たちのほうは全員無事というわけではなく、協会付属の診療所は野戦病院のように人でごった返している。


「ハァ~~イ終了! 一晩寝とけばぁ、バッチリ全快してるから!」


 折れた腕をあっという間に治療したアンナは、バチッとウィンクを決めて勇者を見送る。その独特のテンションに、勇者はあいまいなリアクションだけを残して出ていった。


「ふい~~。これでひと段落かな~」


 一通り治療を済ませたアンナは大きく伸びをしてから、ふらりと病床のほうへ顔を出す。


「やっぴ~~! みんなお元気?」


 その場違いなほど明るく陽気な声は、鉛のような静寂のなかに虚しく溶けていった。病床に伏せている者、彼らを見守る者、その誰もが深刻な表情を顔に貼りつけている。


「……お葬式?」


「滅多なこと言うんじゃないわよ」


 空気を読まないアンナの頭に、カミルが軽くチョップする。


 3つの病床を埋めているうちの1人、ガルフリッドは頭部の外傷を受けたが後遺症もなく回復し、意識も戻っている。が、付き添いのレイは何か思い詰めたようにうつむいていて、ガルフリッドもかける言葉もなく同じように沈黙している。


 その隣にいるヤーラは錬金術の酷使による影響か、高熱にうなされている。傍にいるレオニードたち3人は、普段の賑やかさが嘘のようにピリピリした空気の中で静かに佇んでいた。


 もう起き上がれるくらいに回復しているクルトですら、今は目を伏せて大人しくしている。そのことにアンナも疑問を持った。


「クルちゃんも元気ないね~。お腹すいてんの?」


「無理もないわ。ほら」


 カミルが煙草で示した方向に、クルトのすぐそばで異様な威圧感を放っているスターシャが立っている。


「命令違反……勝手な行動はしないようにと、普段から口酸っぱく言っているはずよね……」


「や、だって。スターシャが危ないと思ったら、身体が勝手に……」


「言い訳はしないで」


「スミマセン」


 しゅんと縮んでいくクルトは小柄なスターシャよりも小さく見える。見かねたアンナが空気を読まずに割り込んだ。


「でもでもぉ、クルちゃんはスタちゃん助けよーとしてくれたってわけでしょ?」


「それで全員助かるならいいけれど……あのときは敵の狙いがクルトに向いて状況が悪化したわ。動けないときは無理に動かないこと。いいわね?」


「たぶんクルちゃんは同じ状況になったらまた同じことすると思うよ」


「……スミマセン」


 アンナの発言を肯定するかのようにクルトが謝罪の言葉を重ね、いよいよスターシャの圧が増していく――かに見えたが一転、矛を収めるように一息ついた。


「そうね。そもそも、二度も魔人に捕まったのは私の落ち度です。危険な目に遭わせてしまって、本当に申し訳ありませんでした」


「え? いえいえこちらこそ、まことにゴメンナサイ?」


 深々と頭を下げるスターシャに、クルトもなぜか畏まっている。その不思議な光景にアンナは笑い出し、傍観していたガルフリッドは唖然としていた。


「随分変わったな。お前が人に頭下げるなんてよ」


「私は何も変わらないわ。ガルフリッド・ナイトレイ、あなたこそ随分子供に優しくなったのね」


「……」


 カウンターを食らったガルフリッドは、反論するでもなく押し黙る。逃げるように反らした視線の先にいるレイは、そんなやりとりなど聞こえていないかのように、先ほどからずっと同じ姿勢で床を睨んでいる。


 再び静寂に戻りかけた室内に、ノックの音が響いた。

 無遠慮に入ってきたのは協会職員らしき男だった。この場にいる誰も面識がないようで、突然の来訪者にいぶかるような視線が集まる。


「ヤロスラーフ・イロフスキーはここにいますか」


 前置きもなく用件を投げる職員の男の態度に、レオニードの目つきが一層鋭くなる。


「うちのヤーラに何か用か?」


「勇者ゼクの件で、事情聴取を行います」


 その名が出た瞬間、ピンと糸を引っ張るように空気が張り詰める。ゼクが魔族だと、疑惑ではなく事実として知れたまさにそのことが、この空間に重苦しさをもたらしている元凶だった。


 そうなれば当然ゼクの仲間にも共犯の疑いが降りかかる。高熱で寝込んでいるヤーラも例外ではない。そんな状況に気の短いレオニードが我慢できるはずもなく、椅子を倒す勢いで立ち上がる。


「あのよぉ、兄さん。見ての通りヤーラは熱でぶっ倒れてンだけど、どうやって事情聴取とやらをやるんだ?」


「別室へ移動してもらいます。簡単な質問に答えていただくだけですので、すぐに済みます」


「目ン玉腐ってんのか? 会話だってろくにできる状態じゃねぇってんだよ、おい」


 息もかかるような距離でレオニードが眼力を込めて凄むが、職員の男は眉ひとつ動かさない。


「あなたたちが確認したいことって~……要するに、『ヤーラが協会にとって敵かどうか』ってことよねぇ?」


 ふーっ、と大仰に煙を吐いたラムラが、わざと間延びした声で間に入る。


「それなら明確に『NO』よ。この子は魔族に捕まった勇者たちを助けてこうなったんだから」


「そうだそうだぁ! ヤーラがいなけりゃ、オレたち一歩も動けなかったんだぜぇ!!」


 ラムラとゲンナジーの加勢もあったものの、職員の男は冷たい無表情のままだった。


「必要なのは本人の証言です。勇者ゼクが魔族であったことを知りつつ隠蔽していたのかどうかも含めてね」


「肝心の本人は寝てるっつってんだろ。出直してこい、木っ端役人が」


「すぐに証言が得られなければ、勇者――いや、魔族ゼクへの処遇は厳しいものになるでしょう」


「ああ!?」


 再燃したレオニードは男の胸ぐらを掴み上げる。爆発する一歩手前のところで、冷然とした声が凛と響いた。


「客観的な証言が必要だというのなら、私がご説明いたします」


 スターシャは何事もなかったかのように、掴みかかられている男のそばにつかつかと歩み寄る。


「私はアナスタシア・スヴェトキナ。父のこともご存じなのではないかしら?」


 そこで初めて、男の顔に冷や汗が浮かんだ。


「じ、人事部長の……」


「ええ。襲撃時には臨時パーティのリーダーを務めました。<ゼータ>の動向もある程度把握しています。証言は多いほうが確実性も高まるでしょう」


「……わかりました」


 職員の男は手のひらを返すように大人しくスターシャの提案に従う。肩書に屈する浅ましさに、レオニードは侮蔑の眼差しを向ける。

 職員がスターシャを連れて出ていこうとすると、2人を呼び止める声が上がった。


「オレも行かせてくれ」


 ずっと顔を伏せて黙っていたレイが、決意を固めたように2人を見据えている。


「オレはゼクの兄貴と一緒に戦ってたんだ。頼む」


「しかし――」


「傍にいた人間の証言は貴重だわ。彼女にも同行してもらいましょう」


 職員は渋っていたが、スターシャの言うことには逆らえずにそのまま受け入れる。

 3人が退室するのを、部屋に残った者たちが何とはなしに見送って、再び静寂が訪れた頃。


「……あの」


 か細く消え入りそうな声が、ベッドのほうから漏れ出てくる。掛け布団をめくったヤーラが、見るからに辛そうな顔を覗かせていた。気を張っていたレオニードも、肩をすくめて笑いかける。


「お前はなんも気にしねぇで休んでろよ。さっきみたいなクソが来たら、俺がぶん殴って追い出してやる」


 やや乱暴な心強い言葉をかけるが、少年の不安げな表情は消えていない。


「……エステルさん、は――」


 彼は何よりも、敬愛する自分のリーダーの身を案じているらしい。代わりに答えたのは、ガルフリッドだった。


「あのお嬢ちゃんが上から糾弾されたとしても、上が無事じゃ済まねぇだろうよ」


「違ぇねぇや」


 レオニードたちに笑顔が戻り、空気が少し和らいだ。あとはエステルたちや彼らの味方を信じて待つだけだと、そこにいる誰もが現状を受け入れた。

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