悪いニュース

 レメク。ゼクさんを除く5人兄弟の2番目の兄で、人間界に居ついているという謎の多い魔人。仮面で表情はわからないが、わずかに覗く眼光は不思議な力強さがあり、私はその場に釘づけになってしまう。


「なんだぁ、レメク兄も参加しに来たの? じゃあ3人で――もがもが」


 まだやるつもりだったらしいダリアの口を、レメクは容赦なく手で塞いだ。その手をどけることなく、すぐそばに黒いゲートを出現させる。


「逃げんのかよ」


 ゼクさんが低い声で呼び止める。帰るつもりで背を向けていたレメクは、再びこちらを見下ろした。


 ――ここで戦っても、お前に勝ち目はない。

 声に出すことはなかったが、威圧的な目つきでそう語っているような気がした。


 確かに、戦闘を終えたゼクさんも無事ではない。魔人との連戦は辛いだろう。彼もそう思っているのか、挑発以上のことをするつもりはなさそうだった。


 レメクは振り返り、ゲートの中に消えていく。ダリアは口を塞がれたまま、笑顔で手を振っていた。最後まで、変な魔族だった。


 敵はいなくなり、破壊された闘技場の残骸だけが積みあがっている。ダリアは去った。他の魔人も死んだ。魔物はまだいるかもしれないが、動けるようになった勇者たちがすぐに片づけてしまうだろう。

 つまり、私たちの勝利だ。


「チッ、興が醒めた」


「いいじゃないですか、勝ったんですから。それより、早く元の姿に戻らないと」


「わーってるよ」


 ゼクさんはくるりと背を向けて、変身を解き始める。

 ああ、終わったんだ……と、私の全身に張り詰めていたものが一気に弛緩していった。みんなが捕まってしまったときはどうなることかと思ったけれど、残った人たちや――ヤーラ君が、本当に頑張ってくれた。


 私が余韻に浸っていると、足音が近づいてくるのが聞こえた。合流してきた仲間の誰かだろうと、何の気なしにそちらを見た。


 ――その人は、仲間の誰でもなかった。驚愕に見開いた両目でこちらを凝視し、ゼクさんに向かって声を張り上げる。


「っ……エステルさんから離れろ、魔族!!」


 私は唖然として、ただ彼の名前を呟いた。


「……メレディス、さん」


 どうしてここに? よりによって、こんなタイミングで。そんな疑問も差し挟む余地はない。

 もうすでに、どんな弁明も通じない決定的状況ができあがってしまっていたのだから。



  ◆



 ゼクがダリアと交戦し、激闘が繰り広げられて闘技場の一部が派手に損壊したらしい、というところでトマスが受けた報告は止まっている。戦闘は続いているのか終わったのか、勝ったのか負けたのか、エステルとゼクは無事なのか――すべて不明なままだ。


 建物の破壊音がやんだので、戦いが終わった可能性が高い。しかし、エステルからの報告がない。不測の事態でもあったのか。いやな想像が頭を巡る。


 今はロキが隠れた魔族を探しにあちこちを回っている。何かあれば連絡があるはずだ。目の前のことに集中しよう、とトマスが頭を切り替えたとき。


 外壁を突き破って、巨大なドラゴンが頭を出した。


「なっ!?」


 魔物は初動の段階であらかた片づけたはずだった。目下の脅威は魔人であり、黒い影が消えた段階で捕まっていた勇者たちを集めるために人員を割いてしまったので、この本陣は手薄だ。しかも、ここには治療中の負傷者たちも集まっている。彼らを捨て置くわけにもいかない。


 悩んでいる間にもドラゴンは壁を無視して踏み込んでくる。ぐるりと小さな人間たちを見渡したあと、ゴォッと息を吸う。


「まずい、ブレスだ! 逃げ――」


 トマスが号令を発する前に、まさにブレスを放とうとしていたドラゴンの首がすっぱりと切断される。

 どすんと落ちてきた首に、パニックになりかけていた勇者たちがはっと我に返る。地面に沈むドラゴンの死体の上に、3人の影が夕陽を背負って立っていた。


「遅れてすまない。もう大丈夫だ」


 煌めく鉄兜の下に頼もしい微笑みをたたえて、アルフレートが一声かける。たったそれだけで、他の勇者たち全員が歓喜に打ち震えた。


「皇太子殿下、状況は?」


 ドラゴンから飛び降りたアルフレートはすぐにトマスに確認する。


「敵の魔人との戦闘はおそらく終わっているが、ここにきて魔物の増援が来たらしい。今は解放された勇者たちをここに集めている最中だ」


「なるほど。俺たちはその増援とやらを掃除しに行ったほうがよさそうだ」


「<スターエース>なら百人力だな。頼んだ」


 方針が決まったところで、アルフレートたちは飛ぶように外へ駆け出した。

 入れ違いに、大勢の足音が本陣に踏み入った。トマスは彼らの姿を確認して、安堵の息を漏らす。


「ようやく戻っ――」


「おーじさま―――っ!!」


 とてつもない速度で飛び跳ねながら突進してきたのは、ミアだった。


「黒いぐるぐるなくなったよ! ミア戦えるよ!」


「ゲホ、ゴホ……。ああ、よかったな」


 トマスが咳き込んでいる間、他の<AXストラテジー>の仲間も集まってくる。


「わたくしたちを拘束するなど、卑怯な敵でしたわね。ヘルミーナ、大丈夫でした?」


「はい。私はそこまで……」


 他人の心配を優先するノエリアの傍らで、シグルドが辺りをきょろきょろと見回す。


「……?」


「シグルド、ロキなら調査に出かけてる。何かあったら連絡寄越すだろうから安心しろ」


 内心を見透かされたことにやや不満そうではあったが、彼は一応納得したように頷く。


 遅れて、捕まっていた勇者のほとんどが本陣に合流してきた。解放されて安堵する者、はぐれた仲間と無事に再会した者、魔族への怒りを露わにする者などなど様々だ。


「リナ、タバサ! 2人とも無事だった?」


 <クレセントムーン>も同じように、マーレとエルナが仲間2人のもとに駆け寄る。


「全然余裕です! リナたち、敵の魔人を1人やっつけたですからね!」


「も、ほんと、死ぬかと思いました……生きててよかったですぅぅ……!」


「とりあえず、2人ともいつも通りね」


 エルナは苦笑し、マーレは2人の労を存分にねぎらった。


「全員、まだ油断はできないぞ! 魔物の増援が残ってるし、敵の魔人もどこかに潜んでいるかもしれない」


 トマスは全員に注意を促す。なぜか背中にミアが張り付いたままではあるが。


「魔物は<スターエース>が先に対処に当たっている。動ける者はその援護に回ってもらう」


「ミアも行く行く!」


「わかったわかった」


 トマスの指示で、魔物の掃討に当たるパーティと本陣の防衛に残るパーティが振り分けられる。掃討組はエリアごとに分担され、それぞれ指定された場所へ出撃していく。


 半数近くの勇者が去った後の本陣で、防衛に回されたレイがやや深刻な顔つきでトマスのもとにやって来た。


「なあ……」


「どうした」


 何か文句があるというわけではなさそうだった。レイはためらいがちに切り出す。


「兄貴――<ゼータ>は、どうなってる?」


 知りたいのはこっちだ、とトマスは心の内で返答する。ダリアが生きていればもっと騒がしくなるはずだから、戦いには勝利したのだろうとは思う。だが、連絡が来ないのは何か問題があったからではないか。


 どう説明したものか答えあぐねていると、ちょうどロキから連絡が入った。トマスはレイに断りを入れ、<伝水晶>を起動する。


『やあ。良いニュースと悪いニュースがあるんだ』


「芝居の脚本みたいな遠回しな言い方はやめろ」


『まず良いニュース。<ゼータ>がダリアを撃破したよ。最後はゲートで逃げられたみたいだけど』


 そこまではトマスの予想通りだった。その後に告げられる知らせを、じっと身構えて待つ。


『で、悪いニュースだけど……ゼクが魔族だっていうのが、協会職員にバレた』


「……は?」


 唐突に告げられた衝撃的な事実に、トマスの思考は一旦ストップする。動き出した頭がまず考えたのは、このことをゼクの身を案ずる少女にどう伝えるかということだった。

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