乱入者
黒い影が消え去った闘技場の内装を、仮面の男はじっと見回していた。彼のすぐ前では、傷だらけのスレインが息を荒くしながらも剣を構えている。
この男は強い。ただの魔族ではない。おそらく今は足止め程度のつもりだろうが、本気で戦っていたらスレインは立っていられたかもわからない。
にわかに男が背を向けた。用は済んだと言わんばかりにこの場を去ろうとする。
「待て」
スレインはその背に刃を突きつけるように呼び止める。
「逃がすつもりはない」
「……」
どれだけ傷を受けようとも決して折れぬ意志が眼光に宿り、魔人を貫く。仮面の男の眼窩は影に覆われたまま、しばらく睨み合いが続いたが――影から赤い光が閃いた瞬間、スレインの身に異変が起こった。
「――っ!?」
背後から殴りつけられたように、底知れぬ恐怖が湧き上がっていったのだ。それは瞬く間に全身を巡り、石のように硬直させる。息の仕方も忘れるほどのおぞましさに、屈強な意志は容易くへし折られ、剣がその手から滑り落ちる。
わけもわからぬまま呆然とするスレインに、仮面の男は今度こそ背を向けた。待て、と呼び止めようにも声が喉の辺りでせき止められて、わずかな息が漏れるだけに終わる。
結局、スレインはその場に立ちすくんだまま、遠ざかっていく男の背中を見送ることしかできなかった。
◇
魔人2人による破壊と粉砕のオーケストラは激しさを増し、私の耳もそろそろしんどくなってきた。柱はもう3、4本ほど犠牲になり、壁は穴やヒビのない部分を探すほうが難しくなっている。
こんなに暴れまわっても2人は疲れた様子も一切なく、このまま永遠に戦い続けるんじゃないかとさえ思えてくる。
「いい加減、くたばれボケが!!」
「やーだね~っ!」
ゼクさんが振り下ろした大剣を、ダリアが両手でキャッチする。
「離せ、アホ!」
「や~~だね~~~っ!!」
剛力2人の手に掴まれた剣は、無理な引っ張り合いの末にとうとう亀裂が入る。さんざん無茶に付き合わされてきた剣は、とうとう音を立ててへし折れてしまった。
ゼクさんは折れた剣を一瞥したが、すぐにそれを放り捨てて目の前の憎むべき相手に向き直り、次の一撃に移る。ダリアも同じタイミングで迎撃に入り、2人の拳がお互いの頬に突き刺さった。衝撃を堪えきれず、両者は同時に磁石が反発するように吹っ飛び合う。
「いてぇなクソが!!」
「やべ~~っ!!」
ゼクさんは口内の血をペッと吐き出し、ダリアは片方の鼻を押さえてフンと血を噴き出す。それだけで何事もなく起き上がった2人は、お互いのほうに迷いなく踏み込んでいく。
まずはゼクさんが2、3発殴りかかるが、ダリアはそれをひょいひょいとかわし、突き出た腕を軽く撫でるように爪で裂いた。ひるんだ隙にさらに回し蹴りをかまし、ゼクさんはやむなく切られた腕でガードする。ダリアは流れるように鋭い爪をひと薙ぎし、腕のガードに傷を増やす。
「この……っ!!」
「へへっ」
そうか。ゼクさんは普段は人間の姿でいることが多いから、魔人の特性である尖った爪を使うのに慣れてないんだ。人間でいえば素手対ナイフくらいの差があることになる。武器を失ったのが、ここにきてじわじわと響いてくる。
増えていく創傷に痺れを切らしたゼクさんは、襲い来る爪の一撃をよけるでも防ぐでもなく、素手で掴んだ。
「うお!?」
当然、鋭利な爪はゼクさんの手のひらに食い込んでいる。が、痛みなどまるでないかのようにダリアの手をがっちりと掴んだゼクさんは、そのまま身体ごと上に持ち上げて、地面に叩きつけた。
地面にクレーターみたいな穴ができるほどの衝撃が起こったが、ダリアの手を両手で握り直したゼクさんは身体を引っ張り上げてぐるぐると振り回すこと数回転、ハンマー投げの要領で思いっきりぶん投げた。
「おわあぁ~~~っ!!」
吹っ飛んだダリアは綺麗な放物線を描いて星に……なるわけでもなく、まだ無事だった壁に突き刺さった。穴からだらりと両足を垂らしているダリアは、そこから微動だにしない。
「……やった? やりました?」
「馬鹿、そういうセリフ吐いたときは大抵――」
バコンと壁の穴が広がって、ゆらりと立ち上がる黒い影。その顔には変わらず子供みたいな笑顔がある。
「今のは効いたぜ~~っ! 今度はこっちの番だ。とうっ!」
掛け声とともに壁の穴から跳躍したダリアは、信じられないほどの距離を跳んで近くの柱に接近する。足場があるわけでもないその柱に、強烈な足刀が炸裂した。
柱の蹴られた部分は爆薬で吹っ飛ばされたように粉砕し、魔人の脚力に耐え切れずに倒壊する。倒れゆく直線状には、唖然とした顔のゼクさんがいる。
「ばっ、マジかよお前!!」
再びの柱の襲撃。しかし、今は武器もない。ゼクさんは全速力で走り、最後はスライディングでどうにか迫りくる柱から回避した。
だが、それだけでは終わらない。かなりの高所から難なく着地したダリアは、倒れた柱に狙いをつけて、サッカーのシュートを決めるときみたいに右足を振り上げている。
「食らえ~~っ!!」
その足が触れた瞬間、巨大な石の塊が、とてつもない速度でゼクさんに猛進していった。とても避けられるスピードではなく、ゼクさんは覚悟を決めてその場に止まる。
「この大馬鹿がァ――ッ!!」
持てるすべての力を込めた拳で、飛び込んでくる柱を突貫する。柱はさらに2つに割れ、後方で壁に激突して新しい穴を拵えていた。人知を超えた力と力のぶつかり合い。しかし――
「……ぐっ」
柱を粉砕した拳はとうとう限界を迎えてしまったようで、ところどころ出血してボロボロになっている。彼はまた1つ、貴重な武器を失ってしまったのだ。
今まで互角に戦っていたダリア相手には相当の痛手にちがいない。なのに――
ゼクさんは、私を一瞥してニヤリと牙を光らせた。
相変わらず元気なダリアは体力が無尽蔵なのか、飼い主に飛びつく犬みたいにゼクさんに真っすぐ走っていく。
そこからは組んず解れつの格闘が続き、腕から足から頭から、使えるすべてを動員してお互い攻撃し合っていた。それでも拳ひとつの差がじわじわと開き始め、だんだんゼクさんが受け身に回っていく。
「守ってばっかじゃ、勝てない、ぜっ!!」
左、右とワンツーパンチでガードをさせて、そのうえから渾身の跳び蹴り。突出した足はハンマーのようにゼクさんの両腕を打ちつけて、そのすさまじい威力で彼の巨体を後方に吹っ飛ばした。
ゼクさんはごろごろと地面を転がり、仰向けのまま顔だけ起こす。ダリアはすぐに駆け出して追撃にかかる。
「ゼカリヤ兄~! まだ動けるよなぁ~~!!」
「バァーカ。もう終わりだよ」
ドスン、と。ダリアの進路を大きな瓦礫が遮る。
「お?」
天井を見上げた瞬間、それは幾筋もの亀裂を走らせて崩壊した。魔人2人の人間離れした戦いによるダメージを蓄積した建物自体が、すでに限界を超えていたのだ。
「周りが見えてねぇから、お前は馬鹿なんだよ」
ゼクさんは捨て台詞を残し、飛び起きざまに走り出してあっという間に私を抱え上げ、その場から脱出する。反応の遅れたダリアは、崩落する建物の残骸に飲み込まれていった。
やがて崩壊が収まった頃には、元々ダリアがいたところに瓦礫の山ができあがっていた。
「い……生きてますかね?」
「生きてる。あの馬鹿は簡単にくたばりゃしねぇ。動けるかは知らねぇがな」
ゼクさんは私をその辺に雑に下ろし、瓦礫の山に向かっていく。
「だから、今ここで確実にトドメを刺しに行く」
ガラ、と瓦礫がうごめく音に私たちの警戒心が跳ね上がった。その音は山の奥からてっぺんのほうへ移動している。誰かが歩いてきているみたいに。
頂上から姿を現したのは、ダリアではなかった。いや、正確に言えば確かに彼女もいるのだが――
そこに立っているのは、傷だらけのダリアを抱え上げた、仮面の男。
縁の長い帽子で髪型はよくわからず、全身を覆うマントで体型もわからない。が、ところどころ千切れた布は、彼が戦闘を終えてきたことを物語っている。
「……あれぇ? レメク兄」
ダリアが、仮面をつけた肉親の名前を呼んだ。
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