毒手

「今現在、ロゼールとマリオがセト、ゼクがダリアと交戦中で――捕まってない人間だけがここに避難してきたってことだな」


 本陣でレオニードたちと合流したトマスが、端的に現状をまとめる。


「とりあえず、ここにいるヒーラーはスターシャの指示に従って負傷者の対応。リナとタバサ、それから<BCDエクスカリバー>の3人はここで待機」


「ンだよ皇子。そこの嬢ちゃんらはともかく、俺らまだ全然やれるぜ?」


 堂々と豪語するレオニードの背中を、トマスは無遠慮に叩く。


「っでぇ!!」


「戦闘は<ゼータ>に任せて、大人しく休んでろアホ。……ところで、例のホムンクルスはどうした?」


「途中までついてきてたけど、いつの間にかいなくなっちまった。今さら勝手に暴れるってことはないと思うぜ」


「そうか」


 ヤーラと付き合いの長いレオニードが言うのなら、とトマスはいったんその言葉を信じることにして、話を進める。


「動ける人員はそれなりに残っているが、やはり全員の解放を急ぐべきだな。スレイン」


「ロゼールたちに加勢、ですね」


「話が早くて助かる」


 命を受けたスレインは兜を被り直し、颯爽と元来た道へ駆け出した。ロゼールもマリオもすぐにやられることはないだろうが、主力勇者を1人で封じているセトは速やかに片づけなければならない。


 周囲への警戒を配りつつ、スレインは駿馬のごとく長い廊下を駆け抜ける。

 その軌道を遮るように、道のど真ん中に誰かが仁王立ちで待ち構えていた。


「!」


 足を踏ん張って急ブレーキをかけ、目の前の人物を睨む。広い縁を折り曲げた帽子の下に、鳥の嘴のように鼻の辺りが尖った仮面。マントで体型は隠れているが、背格好からして男だと思われる。


「誰だ」


 スレインは鋭い声で問いつつ、素早く剣を抜いた。仮面の隙間から放たれる眼光に、友好的な態度は微塵も感じられない。返答はなく、かわりにマントの中から爪を剥き出しにした腕が出てきた。


 魔人。それがわかった瞬間、スレインの眼光が研ぎ澄まされていく。

 敵はダリアとセト、ミカルの3人だけではない。協会に潜入している魔族がいるという話があった。この男にちがいない。切っ先を男に向けると、彼は姿勢を低めて構えをとる。


「敵ならば容赦はしない」


 それが、開戦の合図となった。



  ◆



 囚われの身となったヘルミーナを遥か後方に残し、ロゼールとマリオは何事もなかったかのような笑みをたたえてその元凶と対峙する。セトは不気味な2人を警戒しつつ、内心を悟られぬよう険しい顔を繕った。


「『タネが割れた』と言ったな、オマエ。ずっととっ捕まってたはず。どうせハッタリ」


「どうかしらねぇ? ……ほら、説明してやんなさい」


 自信たっぷりだったロゼールは、隣のマリオを肘で小突いている。


「うん。その黒い影の魔法はね、物理攻撃や魔法のエネルギーを吸い取るとか、受け流す効果があると思うんだ。捕まった後に攻撃が通らないのはそのせいだね。でも、捕まえる前だとその能力は発動しない。違うかい?」


 ぴくり、とセトの眉がわずかに動いたのをマリオは見逃さない。

 事実、最初に<ゼータ>が捕まったときにはスレインが最初の一撃を剣で弾いていたが、その後絡みついた黒い触手には攻撃が通らなかった。


「あ~、そういうこと」


 ロゼールの今初めて知ったような反応に、セトはさらに追い打ちを食らう。


「で、肝心なのは……その黒い魔法そのものに、攻撃力はないってこと。相手を捕縛するだけで、仕留めるには自分でやらないといけない。そうでなければ、ヘルミーナを捕まえた時点で攻撃して動きを封じていたはずだよ。彼女は生き残ってると厄介だからね」


 よくもまあ自分を好いている相手をそこまで言えたものね、とロゼールは辟易するが、言っていることはもっともだった。


「だから、捕まる前に黒いのを避けてこっちの攻撃を通せば、君を殺せるはずなんだよね」


 人懐こい笑顔でさらりと殺意を口にするマリオに、ロゼールは顔を背けて密かにしかめ面を作った。自分の戦い方を暴露されたセトは、元の険相のまま黙っている。


「図星っぽいね」


 にっこりと曲線を描く目から、殺し屋の瞳が露わになる。

 同時に、セトが背後に隠していた漆黒の塊から、幾筋もの黒い蛇が放射状に飛び出した。


 マリオに向かって飛び込んでくる黒い影は、壁から天井から突き出した氷によってすべて阻まれる。その氷が同じように細長い蛇となって、今度はセトへ伸びていく。すかさず次なる黒蛇を繰り出して、影と氷の筋が交差する。


 縦横無尽に飛び回る蛇たちに埋め尽くされた空間で、マリオがその隙間を鮮やかにすり抜けて、セトの背後に回っていた。手の側面からわずかにはみ出るナイフの刃が、魔人の首を掻き切ろうと滑り込む。


 が、小さな刃はするりと首の表面をなぞっただけで空振りに終わる。魔人の首には黒い影が包帯のように巻かれていて、それが全身を埋め尽くしていた。


「なるほどねー。その魔法で自分を包めば、君は無敵なんだ。でも、それじゃあ君のほうからも攻撃できないよ」


 マリオはずっと同じ笑みを保ったまま指摘する。

 直後、セトの身体が氷のドームに覆われた。薄い膜は触れることなく魔人を丸ごと閉じ込めている。巻きつく影の隙間から膜を睨む赤眼が露わになる。


 漆黒に包まれた腕の先に光が灯る。剥き出しになった爪が薄い氷を十字に切り裂き、ドームを破壊した。間髪入れずに背から立ち上った黒蛇の群れが、前後に分かれて降り注ぐ。


 が、その群れはことごとく透明の壁にぶつかって霧散した。セトが見開いた目を凝らす。氷のドームの外側にはさらに薄い壁が立っており、ロゼールとマリオを的確に守っていた。


 透明な壁越しにマリオが腕を振るえば、糸の束が投網のようにセトに降りかかる。攻撃態勢に入っていたため、黒い影のエネルギーを受け流す能力は発動していない。細い糸は瞬く間に魔人の身体を拘束した。


 動きを封じられたセトの頭上から、氷の槍が突き出してくる。天井から生え伸びたそれは鋭利な穂先で頭部を穿とうとしていた。

 が、穂先が頭頂部に届く直前で、槍の動きがピタリと止まる。


「……!!」


 氷を操っていたロゼールは、自分の足元の違和感にようやく気づいた。床一面の漆黒に紛れ込んでいた影が、氷壁の下をすり抜けて迫っていたらしく、両足に絡みついていたのだ。魔力の流れをせき止められたロゼールはなすすべもなく、全身を黒に覆われていく。


「ああ、もう。これ気持ち悪いから嫌い」


 ロゼールは焦る素振りも見せず、ため息交じりの愚痴を吐くだけだ。セトもそんな反応には慣れたのか、すぐに自分の纏っている影の能力を発動させ、縛りつける糸を無力化する。


 ぱっぱっと埃でも落とすように糸を払ったセトは、残った1人であるマリオに焦点を合わせる。そうして再び影のヒュドラを放射状に広げ、標的に飛び込ませた。


 マリオは踵を返して迫りくる蛇の群れから逃げ出す。一方で、セト自身もくるりと身を反転させ、ロゼールのほうに駆け出した。


「まずは、オマエから」


 低い声で宣告し、剥き出しにした腕を振り上げるセトを前にして――ロゼールは、ぷっと噴き出した。


「馬鹿ねぇ。あの無感情男が、私が殺されて慌てるとでも思った? 私はあいつにとって、釣り餌にすぎないのよ」


 ピン、と床に近いところで糸が張る。その糸はセトの足首に巻き付いていて、攻撃態勢を取っていた彼を見事に転倒させた。

 それを仕掛けた犯人は、すでに逃走をやめてセトのすぐ後ろに控えている。


「なっ……!?」


「足元を狙われる気分がわかったかしら?」


 再び影が右腕を守る前に、殺し屋が目にもとまらぬ速さで手の甲に注射器を突き立てる。


 針を刺された腕に、ぼこぼこと泡立つがごとく血管が浮かび上がっていく。それに比例して苦痛が身体中を巡っていき、セトの顔に表出する。


「ぬ、ぐ、おおおぉぉぉ……!!」


「毒ならその魔術でも無効化できないよね。友達になろう。君が死んじゃう前に」


 事実上の死を宣告したマリオは、同じ調子でセトの手を取り握手を交わす。


「キサマ……!!」


 血走った眼をひん剥いて、セトはこのふざけた人間への最後の殺意を露わにする。取られた手を力一杯握り返し、そこから影の魔術を侵食させていく。


「君が死んだらこれも消えるんでしょ? 持って十数分だと思うよ」


「黙れ」


 たった十数分でも奴らの動きを止めることに意味がある。セトは死の痛みを押さえつけ、拘束したロゼールとマリオを残してふらふらとその場を去っていった。

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