ファイナルマッチ

「うはぁ~~、やべ~~~っ!!」


 どこか楽しげな悲鳴は、ホムンクルスから逃げ回っているダリアから発せられたもので、力を失ってもやっていることは変わらなかった。


 とはいえ、こちらにはもうまともに戦える味方はいない。レイは利き手を負傷してしまい、ガルフリッドさんは依然意識不明で、ヤーラ君は眠ったままだ。ダリアがホムンクルスに夢中になってくれている間はいいけれど、矛先がこちらに向いたら……。


「誰か助け呼べねぇのか?」


「あ、そうか」


 レイの提案で、本陣にいるトマスさんに連絡できることを思い出した。この状況も報告しないといけない。私はここから離れて身を隠そうとして――


「どこ行くんだよぉ」


 無邪気なようで無機質なその声に呼び止められ、ピタリと動けなくなる。


「お前は逃げちゃだめだぞ~。逃がしたら怒られちまうんだから」


 声はあっさりした調子なのに、心臓を掴まれたかのような恐ろしさに縛られる。

 近づいてくるダリアの前に、レイがするりと割り込んだ。その手には、折れた剣のかわりにガルフリッドさんの斧が握りしめられている。


「どけよ、弱っちいの」


「どかしてみろよ」


 そう挑発しながら、レイは横目で私を一瞥する。逃げろ、と言ってるみたいに。私が数歩後ずさると、すかさずダリアが鋭い視線を刺してくる。

 固く握りしめた拳を弓みたいに引いて、本気の一撃を放った。


 レイは斧を盾に受け止める姿勢を取っていたが、それはフェイクで――殺人的な拳をギリギリのところでかわす。

 ダリアは勢い余って前につんのめり、その隙を逃さずレイが斧を叩き込む。が、ダリアは踏ん張らずにそのまま地面に転がり、斧の軌道から逃れる。


 追撃にかかろうとしたレイだが、振り下ろした斧がダリアの両の手のひらで挟まれてしまう。ダリアは両手で斧を止めたまま、足を突き出してレイの小柄を蹴っ飛ばした。


「ぐうっ!!」


 起き上がったダリアは奪った斧を放り捨てて、痛みにうずくまるレイを見下ろす。


「だぁから言ったじゃんよ~。ま、ちょっとは認めてやってもいいけどな~」


「……」


 怒るでも悔しがるでもなく、レイはふぅと大きく息を吐いた。それから、じわじわと口元に笑みを広げていく。

 その意味が私もわかっていたから、ここから動くのをやめた。もう、逃げる必要はなくなったからだ。


 少ししてから、ダリアも気づいたらしい。遠く向こうから響いてくる、力強い足音に。それと、徐々に大きくなっていく声に。


「……ぉぉぉおおおおおおお!!」


「あっ!」


 ダリアは喜色満面に、自分に殴りかかろうとしている彼を出迎えた。

 その顔面に向かって、岩みたいな拳が叩き込まれる。咄嗟に腕でガードしたダリアだが、その凄まじいパワーで後方に吹っ飛び、床を抉りながらどうにか両足で踏ん張っていた。


 顔を上げたダリアに、びしっと太い指が向けられる。


「ようやくテメェをぶっ殺せるなぁ、このクソボケェ!!」


「イエ~~~~~イ!! 待ってましたぁ~~~!!」


 怒り狂っているゼクさんと、喜び勇んでいるダリアとで、なんともちぐはぐな大声の応酬になった。

 ともかく、ゼクさんが来てくれた。他の仲間もおそらく動けるようになっただろう。全部、ヤーラ君のお陰だ。


 ゼクさんはぐるりと辺りを見回して、いったん状況を確かめる。何があったのか察しがついたようで、まずはレイに声をかけた。


「お前が1人で持たせてくれたのか。やるじゃねぇか」


「……へへ」


 そのねぎらいを受けて、レイは疲労の滲み出た顔に照れ臭そうな笑みを浮かべる。


「で……一応聞いとくが、あれはどうすりゃいいんだ?」


 ゼクさんが指さしたのはホムンクルスで、さっきまで暴れていたのが今はなぜか大人しくじっとしている。


「たぶん、放っておいて大丈夫だと思います」


「あたしにしか攻撃してこないしな!」


「お前普通に話に入ってくんじゃねぇ」


 ダリアの能天気さを見ていると、時折敵であることを忘れそうになってしまう。


「とりあえず、チビとジジイどけて下がってろ。こいつはぶっ殺してやらなきゃ気が済まねぇ」


「あ、準備要る感じ? いいよー、待ってっから」


「……」


 ダリアはそのまま床にすとんと腰を下ろし、存分に戦える状態になるまで待つつもりらしかった。このマイペースさに私は気が抜けてしまったが、ゼクさんは逆に苛立ちを募らせているようだ。


 そんな微妙な空気の中、慌ただしい足音が近づいてくる。私が振り向こうとしたその横を突風が駆け抜けて、もう一度前を向いたときにはすでにゼクさんの横に立っていた。


「助太刀に来たぜ!!」


 ナイフを構えて威勢よく言い放ったレオニードさんは――ちょこんと座っている敵の親玉を見て、しばしフリーズしていた。


「お! あんときのヨッパライ君じゃ~~ん。お前も混ざる?」


「レオニードぉー!! 待ってくれよぉー!!」


「ツレも来てんじゃん、みんなでバトろうぜ!!」


 ゲンナジーさんとその肩に座っているラムラさんが合流してきて、ダリアのテンションはますます上がり、レオニードさんの困惑は加速する。


「えーと、ゼクの兄貴よぅ……」


「もうあれにまともに付き合うな。あいつは俺がぶっ飛ばす。お前らはそのへんの奴らをどっかにやっといてくれ」


「うぃす」


 レオニードさんは戦うつもりで来てくれたのだろうけど、このぐだぐだな雰囲気ですっかり気勢が削がれてしまったようだ。まあ、彼は背中を怪我していたはずなので、きっとそのほうがいい。


「んん? オレたちは何すりゃいいんだぁ?」


「あんたはとりあえずガルフリッドさんの救助ね~。なにげに重傷よ~」


「おお、そうかぁ」


 ラムラさんの指示を受けて、ゲンナジーさんが意識不明のままのガルフリッドさんを担ぎ上げる。それをレイが心配そうに見ていたのを、ラムラさんは見逃さなかった。


「……ま、向こうにはヒーラーが十分残ってるし。死ぬことはないでしょうね~」


 その言葉で、レイの強張った顔が少し緩んだ。一方で、レオニードさんが眠っているヤーラ君の傍に屈みこむ。


「やっぱりお前は天才だよ」


 誇らしげな笑みで賞賛を送り、レオニードさんはヤーラ君を背負って立ち上がる。


「レイ、行くぞ」


「……」


 レオニードさんに呼びかけられても、レイはまだ未練が残っているかのようにその場を動こうとしない。ゼクさんはそれに気づいてちらりと振り返る。


「俺を誰だと思ってやがる。さっさと行け」


「……っす」


 何か言いたそうなのを飲み込むようにレイが頷いて、レオニードさんの後ろにつく。


「エステルはいいのかぁ?」


「いいんだよ、エステルだから」


「それもそうかぁ。じゃ、ホムンクルスがついてくんのは?」


「いいんだよ、知らねぇけど」


 レオニードさんとゲンナジーさんの問答がゆっくりと遠ざかっていく。ホムンクルスも彼らの後ろを少し距離を置いて大人しく辿っていった。

 ここに残ったのは、私とゼクさんと、ダリアだけ。


「あーあ。みんなで楽しく大乱闘できると思ったのによ~」


「テメェなんざ俺一人で十分だっつってんだ、アホ」


 準備は整ったはずだが、ダリアは立ち上がろうともせず、頬杖をついたまま不思議そうにゼクさんを見上げている。


「ゼカリヤ兄さぁ……」


「あん?」


「なんか、楽しそうだよな」


 まったく意想外の発言だったのか、ゼクさんは魂が抜けたみたいに固まってしまった。


「あっちいたときはキレてばっかだったからさ~。よっぽど人間界が楽しいんだな? わかるわかる、メシは美味いし人間も結構強ぇもんな~」


 ダリアはへらへら頬を緩めながら一人で納得している。ゼクさんは片目をすがめて睨んでいたが、やがて結んでいた口を開いた。


「確かに、あのクソみてぇな魔界よりはるかにマシだが……今のお前じゃ、一生わかんねぇだろうよ」


「え~? まーいいや。人間界があたしらのもんになりゃ、いくらでも楽しめるもんな!」


「……だから、わかんねぇっつってんだよ。立て」


 ドスの利いた低い声に促されて、ダリアが嬉しそうに拳を叩く。

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