Call my name

 何をするかと思えば、ダリアはその場にしゃがんで小石を拾い上げる。2、3回ほど片手で放り上げてキャッチするのを繰り返した後。


「ていっ」


 ビッ、と高速で手首を振って石を射出。気の抜けた掛け声からは信じられない速度で、石は砲弾のように風を裂きながら突き進んでいく。その直線上にいるのは――レイだった。


「!?」


 一瞬にして命の危機に晒されたレイはそこで硬直してしまう。どすん、と素早くレイと石の間に割り込んだガルフリッドさんは、盾で弾く構えを取った。


 石の弾丸は厚みのある堅固な鉄板をいとも容易く貫通し、ガルフリッドさんの眉間に直撃した。

 頭から血の飛沫がひとつ弾けて、その大きな身体がぐわりとひっくり返り、背が地面を打つ音が響く。


「わ、そっち当たったか。まあいいや~」


 額に殺人的な投石を食らったガルフリッドさんは、白目を剥いたまま仰向けになっている。彼の構えていた盾には小さな丸い穴が空いている。


 今、ようやくわかった。ダリアは気まぐれで私たちを生かしているだけで、その気になれば私たちなどいつでも倒せる相手なのだ。


「おい、ジジイ!!」


 青ざめたレイが呼び掛けても、返事はない。息をしているようだから死んではいない。けど。

 一番戦闘経験が豊富なガルフリッドさんを失ったことで、一気に状況は悪化した。戦力的にも、心理的にも、彼の支えは必要不可欠だったのに。


「こ、の、野郎……!!」


「お! ますますやる気になったかー?」


 激昂したレイが睨みつけても、ダリアはへらへらと喜ぶだけだ。それが一層レイの怒りを煽って、感情任せに突っ込む悪い癖を出させてしまった。めちゃくちゃに振り回される剣を、ダリアははしゃぎながら軽くいなしていく。


 一方で、かろうじて立っていたヤーラ君がとうとう膝をついた。私はすぐに駆けつけて、その痩身を支える。


「大丈夫?」


「…………」


 ヤーラ君は病人みたいな顔色で浅い呼吸を繰り返していて、私の声が聞こえているかもわからない。ホムンクルスも制御が弱まってきているのか、あてもなくうろうろと動き回っている。

 それでも、私が声をかけ続けなくてはならない。そういう約束だから。


「ヤーラ君。聞こえる? ヤーラ君」


 焦点の定まっていなかった眼だけがようやく動いた。


「ヤーラ君……」


 頑張れとも、大丈夫とも言えない。だから、信じてるよってことだけ伝わるように、名前を呼ぶ。断続的な吐息が、やがて声になった。


「……たす、け……たかったんです。でも、僕が――」


「うん」


「僕が……だめ、だったんです」


 暗い影に引きずり込まれるように、徐々に顔がうつむいていく。濁りかけた瞳が何を見ているのかはわからない。わからなくても、私は伝えなきゃいけない。


「私は、まだ諦めてないよ」


 ――すとん、と。

 何かが落ちたみたいに、ヤーラ君の表情が消えた。


 それまでまとわりついていた暗澹とした気配が、ふっと力が抜けるようになくなって、色彩を失った瞳だけが真っすぐどこかを見据えている。


 私の目の前にいるのが誰なのか、だんだんわからなくなってくる。いや、この子は紛れもなくヤーラ君だ。だけど、今まで見たことのないようなヤーラ君のような気もする。


 少年はゆらりと顔を上げると、さっきまで倒れそうになっていたのが嘘みたいにしっかりとした足取りで、私を残して歩いていった。

 通りがかりに、旧友にそうするみたいにホムンクルスの身体をぽんと軽く叩いた。何とも言い難い、不気味な爽やかさで。


「おっ? どうしたどうした、やる気になったか!」


 ダリアがぱっと顔を輝かせて歓迎する。猫みたいに遊ばれていたレイも、いくらか怒りを忘れてそちらに目を奪われている。


 自然な角度で不自然な笑みを浮かべた少年の口元から、優しい声が漏れた。


「――子供、なんだね」


 きょとん、とダリアが目を真ん丸にする。そうして糸が切れたみたいにぷっと噴き出し、ゲラゲラと声を上げて笑い始めた。


「あははははー!! それ、めっちゃ言われる~!!」


 おかしそうにばんばん手を叩くダリアを、レイは両目を細めて睨んだ。


「てか、お前のほうがガキじゃん! チビのくせによ~!」


 今度はヤーラ君が笑う番だった。クツクツと丸めた肩を震わせて、ときどき堪えきれない声が漏れ出している。


「……おかしいよねぇ」


 一転、囁かれた言葉には得体のしれない恐ろしい響きがあった。焦点の合っていない眼は何も見ていないようでもあり、何もかも見透かしているようでもある。


「ヤーラ君」


 不安になって、もう一度名前を呼んだ。あなたはちゃんとここにいるよね? どこかに行ったりしないよね?


 そっと振り返る横顔は、優しくて、穏やかで、私のよく知っている笑顔だった。


「聞こえてますよ」


 子供をあやすみたいな声音。前に向き直ったときには、その面影は見えなくなった。

 そばに来ていたホムンクルスを、今度は少し強めに叩く。それを合図に、巨大な怪物はダリアに狙いを定め、大口を開けて突進していった。


「うおーっ! 来いやぁ!!」


 ダリアは大喜びで手を叩く。とっくに落ち着きを取り戻していたレイも、すかさずダリアの死角側に潜り込んでいる。


 が、津波のように押し寄せる怪物を、ダリアは身体を一回転させて鞭のように回し蹴りを繰り出し、その肉片を飛び散らせながら跳ね返した。

 回転の勢いそのままにくるりと翻ったダリアの正面には、今にも斬りかからんとしていたレイがいた。


「ワンパターンだってぇ」


 雑に結わえた長髪をふわりと浮かせて、ダリアは流れるように拳を突き出す。それは振り上げられた剣とぶつかって、鉄の刃をバキンとへし折った。


「っ!?」


 砕けた剣を握っていたレイも、ただではすまない。手首に痛みが走ったか、レイは苦痛に顔を歪めた。

 すぐ目の前で、ダリアが牙を剥き出しに笑った。


「お前はやっぱ弱かったなぁ」


 普段なら憤激しそうな言葉を、今のレイは同じく白い歯を見せて返した。


「オレは弱くてもいいんだよ」


 きょとんと左目だけを見開くダリアは気づいていない。ガルフリッドさんが倒れても、依然3対1の状況であることに。

 見えない右目の死角から、少年が亡霊のように忍び寄ってきていたことに。


 ようやく気づいたのは、ダリアが腕をそっと掴まれたときだった。


「んお?」


 気の抜けた声で振り向けば、ぞっとするような強い光を帯びた少年の眼差しがダリアを射抜いている。

 腕を掴んでいた右手に、徐々に力がこめられていく。


「返せよ」


 聞いたこともない、低く凄みのある声を皮切りにして――周囲の空気が、大きくうねり始めるのを感じた。

 何か大きなエネルギーが渦巻き、激しい流れとなって、私たちを取り巻くものすべてを震撼させる。


 やがて建物全体を包んでいる漆黒の影がぶるぶると震え、泡立ち、雲みたいに千切れていく。地震でもないのに辺りは揺れ動き、私たちはその場から動けなくなる。


「おぉ? おおぉぉ~~?」


 さしものダリアも何が起こっているのか理解できず、きょろきょろと首を左右に振っている。


「何が起こってんだよ……?」


 そう言いつつも、この事態を引き起こしたのがヤーラ君だろうとわかっているぶん、レイはまだ落ち着きを残している。


 振動がピークに達した後、風船が破裂するみたいに、この不思議な現象はピタリと収まった。

 同時に、ヤーラ君が力を使い果たしたかのようにその場に倒れてしまった。


「ヤーラ君!!」


 呼んでも返事はない。本当に意識を失ってしまったんだ。なのに、ホムンクルスは依然としてそこにいる。蹴られたところだけが生々しく抉り取られているが、動くのに支障はなさそうだった。


 主人のコントロールから解き放たれたホムンクルスだが、受けた命令を忠実に守り続けているのか、迷いなくダリアを狙っている。腕を横薙ぎに振る単調な一撃。ダリアはそれを受け止めようとするが――


「おぉっ!?」


 腕のガードを貫通して、ダリアが後ろに吹っ飛んだ。水面を跳ねる石みたいに何度も地面に叩きつけられ、土煙を舞い上げながらようやく止まる。


「い~~ってぇ~~! あれぇ? っかしーな……」


 傷だらけで起き上がったダリアは、不思議そうに自分の両手のひらを眺めている。私とレイは顔を見合わせ、同じ事実に行きついたことを悟る。


 ダリアは弱くなっている。勇者たちから吸い上げた力がなくなっている。


 黒がまだらになった床に伏せたままのヤーラ君の様子を確認する。一見すると、穏やかに眠っているだけだ。


 だけど私は、この奇跡のような錬金術師が何をしたのかをすべて理解していた。

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