叱咤激励

 レイとガルフリッドさんが攻撃をしのぎ、ホムンクルスが思い出したように一撃を入れる。その一連の流れが何度か繰り返される。すぐにやられそうなわけでもないが、すぐにダリアを倒せるわけでもない、膠着状態。


 そんな中で、ヤーラ君は周囲のことなど目に入っていないかのように内側の世界に閉じこもってしまっている。


 どう声をかけてあげればいいのだろう。そう思い悩んでいると、本陣との連絡用の<伝水晶>が光を発した。トマスさんからだ。


『派手な音がこっちまで聞こえるぞ。ダリアと交戦中か?』


「そうなんですけど……あのホムンクルスも、一応味方になってます」


『倒せそうか』


「まだ、そこまでは」


『だろうな。……そこに、ヤーラもいるよな?』


「いますけど……」


 トマスさんがヤーラ君に何の用だろう。理由を聞く前にトマスさんは水晶から離れてしまったようで、遠くで誰かとやり取りする声と何か物音が聞こえた。

 その直後、大音声が鳴り渡った。


『おいコラ、ヤーラぁ!! 何ボケっとしてんだ、このアホンダラ!!』


 突然すぎるレオニードさんの叱咤の声に、ヤーラ君は驚いて爪を噛むのもやめていた。

 私が見たときにはぐったりとして息も絶え絶えだったはずのレオニードさんは、どこにそんな体力が残っているのか、膝を抱え込んでいたヤーラ君に<伝水晶>越しに畳みかける。


『よお、愛しのエステルちゃんを狙ってる敵がそこにいるんだって? なにグズグズしてんだ。お前が守ってやらなくてどうすんだよ』


「で、でも……僕には、何も……」


『「何もできません」ってか? バカ言えよ。俺たちと戦ったときのお前はどこ行ったんだ? ロケットパンチ拵えた天才錬金術師は幻だったのか?』


「……」


 うつむいて黙りこくっていたヤーラ君は、びくびくと怯えた目を動かす。今まさに戦っている、恐るべきホムンクルスに。


「む……無理です。あんな……っ」


『ホムンクルスか』


 頷く声すらも震えて言葉にならない。それでもレオニードさんにはしっかり伝わっていた。


『ちゃんと見るのは初めてか。だよなぁ。俺らも初見はクソビビったからな』


 へへっ、と武勇伝を語るみたいに笑って、彼はひとつ質問を投げかける。


『お前、あれ何に見える? 弟か』


 ヤーラ君は再びあの得体のしれない怪物を仰ぎ見る。意思も目的も持たず、敵味方の区別もなく、ただ暴れ狂うだけの存在。幾度となく殺戮を繰り返し、大切な人を傷つけたもの。


「あれは――」


 細められた眼は次第に光を失いつつも、見えない糸で繋がってるみたいに、あの生命体から離れることはない。


「あれは、きっと……僕、です。何もかもわからなくなっているときの、僕――」


 前にも、同じようなことを言っていたのを思い出した。自分は醜い人喰いの化物だ、と。嫌悪と悲哀の混じった眼差しは、あの化物を通して自分に向いているのかもしれない。


 レオニードさんは何も言わず、長い深呼吸の音だけが水晶から漏れ聞こえる。そして。


『アホかお前』


 ぷつん、と見えない糸が切れる。


『ホムンクルスは、ただのホムンクルスだろうが! それ以上でもそれ以下でもねぇ。な~に自己投影してんだ、詩人気取りか?』


 レオニードさんのほとんど暴論に近い言葉に、虚を突かれたヤーラ君は声の主を凝視する。からかうような声は、次第に力強さを帯びて少年の背を叩く。


『ただのホムンクルスなら、天才錬金術師サマがビビるこたぁねぇ! 暴れん坊のじゃじゃ馬を御してやれよ!』


 彼らしい、前向きな激励の言葉。ヤーラ君の両目は一度光を取り戻しかけたが、再び真っ黒な床に沈んでいく。


「……僕が――」


『おん?』


「僕がまた、正気を失いそうになったら……どうすればいいですか」


 顔は見えなくても、レオニードさんの表情はわかる。そんな簡単なこと、と言わんばかりの。


『エステルがお前を呼び戻してくれる。そうだろ』


 足元からゆっくり浮上していくその瞳が、私と交わった。大丈夫、と励ますように笑顔を送る。


『信じてやれよ。守ってやれよ。惚れた女だろ?』


「……一言、余計なんですよ」


 冗談を飛ばしたレオニードさんはゲラゲラ笑って、笑い声の途中でヤーラ君がうんざりしたように通信を切った。もう何度も見慣れた2人のやり取り。敵地にいるのに、家に帰ってきたかのような気分になる。


 ヤーラ君は立ち上がって、長い長い深呼吸をする。さっきよりはいくらか落ち着いたように見えても、その面差しには消えない不安の影がちらついている。


「エステルさん」


「うん」


 両の眼をホムンクルスから外さず、眉根に緊張感を湛えたままの彼に、私はなるべく普段通りの調子で返答する。


「僕が、どこかに行きそうになったら……名前、呼んでくれませんか。エステルさんの声が、一番よく聞こえるから……」


「任せて」


 安堵したような微笑みが一瞬だけその横顔に浮かんで、ヤーラ君は歩き出した。


「お、なんだ。お前も混ざるのか~?」


「おい、危ないから下がってろよ」


 戦いの場にふらっと足を踏み入れたヤーラ君を、ダリアは嬉々として歓迎し、レイは慌てて制止している。ヤーラ君はそんな2人の言葉など耳に入っていないかのように、ホムンクルスの目の前に立った。


 不定形の巨体を縦に割くように開いた口から、血の臭気が漂ってくる。どこに目があるかもわからない生物を、ヤーラ君はじっと真っすぐ見つめていた。


 すぐ近くでは戦闘が続いているのに、そこだけ外とはまったく別の時間が流れているみたいだった。彼らはじっと向き合ったまま、永遠に近いほどの時間を過ごしているようにさえ思えた。


 かすかに聞こえる呼吸の音以外、耳に触れるものは何もない。言葉ではない言葉を、声ではない声に乗せてやり取りしている――そんなふうに見える。


 にわかに、その世界がひび割れる。ヤーラ君が、頭を抱えてよろめいた。


「いっ……!」


 激しい頭痛に襲われたかのように苦しみ出す少年を、ホムンクルスは冷酷に見下ろす。地獄の裂け目みたいな口がぐわっと広がって、そのまま――


「ヤーラ君!!」


 食われてしまうかもしれないと恐怖して、思わず叫んだ。ヤーラ君は沈みそうになる頭を抗うように持ち上げて、ホムンクルスから目を離すまいと見上げ続ける。


 苦痛に歪んでいた顔が、少しずつ緩んでいった。


「……そうだね。ここから出よう」


 ホムンクルスが、ずりずりと向きを変える。遥か遠かった戦場に、のろい足取りで戻っていく。

 ひどい汗を流しているヤーラ君は大きく息を吐いて、色の薄れかかった眼でホムンクルスの背を見送った。


「お、来た来た♪」


 接近してくるホムンクルスに気づいたダリアは、ヒュウと口笛を鳴らす。取っ組み合っていたレイを軽く突き飛ばし、戻ってきたおもちゃを出迎える態勢に入った。


「かかってこい!」


 さっきまで腕を振り回すだけの単調な攻撃を繰り返していたホムンクルスは、両の腕を突き出してタックルをかました。身構えていたダリアも、その腕を受け止めながら床を削るように後退させられている。


「うは! 強ぇ~っ!」


 怪力と怪力の押し合いが続くが、数の有利を生かしてガルフリッドさんがダリアの背を取る。背後から斧を振り上げた瞬間に、ダリアの赤眼がぎょろりと回った。


「させ、るか、よぅ!!」


 ダリアはホムンクルスの両腕をがっちりと掴んだまま持ち上げて、攻撃を仕掛けようとしていたガルフリッドさん目掛けてぶん投げた。粘性の巨体に覆い被せられて、彼の姿はすっかり隠されてしまう。


「ジジイ!!」


 レイが咄嗟に叫ぶが、下敷きにされていたガルフリッドさんはすぐに床から這い出てきた。大した傷はなさそうだ。

 しかし、彼のすぐそばには敵味方の区別なく襲いかかるホムンクルスがいる。


 ガルフリッドさんは即座に盾を構えて警戒した。怪物の低いうなり声が底のほうから響いてくる。獲物を前に、威嚇しているようにも聞こえた。


「だめだよ」


 ヤーラ君が静かに制した。その声が届いたのか、ホムンクルスは威圧的な気配を消して、再びダリアのほうに寄っていく。


 制御に成功している。今まででは考えられない進歩だった。

 ただし、ヤーラ君は高熱にうなされているみたいに顔色が悪くなっていて、今にも倒れそうだ。


「ん~、ちょっちメンドーだなぁ」


 それまで能天気に戦闘を楽しんでいたダリアが、初めて顔を歪める。それはすぐに、不気味な笑顔に塗り替わった。

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