二度目の邂逅

 血だまりの中に倒れ伏すクルトを前に、リナとタバサは絶句した。後から来たスターシャとヘルミーナは落ち着き払った態度で辺りを見回し、ヘルミーナが素早くクルトの傍に寄る。


「だ、だ、だ、大丈夫、ですか……?」


「息はあります」


 タバサが弱々しい声で問いかけると、ヘルミーナは最低限わかることだけを答える。それから術をかけやすいように体勢を仰向けに変えて、慣れた手つきで治療の準備を始めた。


「リナ。この辺りに敵の気配がないか、確認して」


 スターシャは冷静沈着な声音で、棒立ちになっていたリナに指示を出す。


「こんっ……!」


 キッと眉を吊り上げたリナは、吐き出しかけた文句を飲み込んだ。指示通り、注意深く周囲を見て回る。


「……敵はもういないみたいですよ」


「そう。引き続き警戒を」


「……」


 淡泊すぎる言い方にリナはやや不満を感じながらも、口には出さずに我慢する。もちろん警戒は怠らないが、どうしたってクルトのほうに意識を割かれてしまう。


 ちょうど準備を終えたヘルミーナが治癒魔術をかけるところだった。傷口をまばゆい光が覆うと、無残な傷跡はあっという間に薄らいでいった。


 ヒーラーでないリナにも、そのレベルの高さは理解できた。応援を呼びに行ったとき、本陣に逃げ戻ったヘルミーナと合流できたのは幸運だった。


「スターシャさん」


 一通り処置を終えたらしいヘルミーナが声をかける。


「クルトさんは、助かります」


 その一言が届いた瞬間――それまで毅然と構えていた彼女が、短く息をついて肩に張り詰めた緊張をすっと和らげた。

 かすかな安堵の気配を感じ取ったリナは、冷徹非情なリーダーへの印象を改める。


「……では、皇太子殿下に報告を」


 即座に普段のすまし顔に戻ったスターシャは、<伝水晶>を取り出して通信を開始する。


『スターシャか。状況は?』


「先ほどダリアと遭遇した場所で、倒れているクルトを発見しました。ヘルミーナが治療にあたってくれています。ダリアはすでに立ち去った後で、他に敵の気配はありません」


『クルトは無事か?』


「命に別状はないようですが、しばらく戦線に復帰できる状態ではありません。負傷は素手の殴打によるものです。また、周囲にはクルトの雷魔術の痕跡しか見受けられません。以上から、ダリアは武器や魔法を使わず、強化した腕力による格闘術のみを用いるものと見られます」


 来た時の惨状を前にそこまで冷静に観察眼を働かせていたのかと、リナは静かに驚嘆する。タバサも同じことを思っていたのか、「すごい」と独り言をこぼしていた。


『力自慢の近接タイプか。まだやりようはあるな……』


「それと――」


 ごほっ、と咳き込む音で、スターシャは報告を中断した。


「ク、クルトさん! 大丈夫ですか!?」


 意識を取り戻したらしい彼に、タバサが話しかける。小走りで駆け寄ったリナも混ざり、後に続いてスターシャもクルトの傍で膝をつく。息をするのも苦しいようだが、彼はどうにか途切れ途切れの言葉を発した。


「……ゼ…………エス、テ……」


 スターシャはそれだけ聞いて、すぐに<伝水晶>での報告に戻る。


「皇太子殿下。敵の目標は<ゼータ>およびエステル・マスターズです」


『わかった。後でまた連絡する』


 トマスはエステルたちに指示を出すため、いったん通信を切った。最速で意を汲んでくれたリーダーを見て、クルトはほっと笑みを漏らす。


「あなたはこれ以上喋らないで、そのまま安静にしていなさい。いいわね?」


 威圧的に釘を刺すスターシャに、クルトは苦笑いで返す。そこで不満を噴出させたのは、リナだった。


「……スターシャさんはぁ、もう少し言うべきことがあるんじゃないですかぁ?」


「無関係な話をしている場合ではないわ」


「だからぁ~!」


「リナちゃん、落ち着いて……」


 あくまで事務的なスターシャにリナが痺れを切らし、タバサがなんとかなだめているその傍ら――黙って成り行きを見ていたヘルミーナが、何かに気づいたように立ち上がる。

 ただならぬ気配を察知した他の3人も、ヘルミーナの視線の先を追った。


「やっぱり戻ってきてたか、ネズミども」


 神経質そうな男の魔人が、暗闇の向こうからゆらりと現れた。



  ◇



 がりがりがり、と爪を噛む音がひっきりなしに耳を叩く。隣で屈んでいるヤーラ君は、床の一点を見つめたまま動かない。

 そこに2人分の足音が混ざってくる。音の主を察した私は、ひとまず安心を得た。


「おーい!」


「でけぇ声出すな」


 トマスさんの指示で、レイとガルフリッドさんが私たちのところに駆けつけてくれたのだ。2人は私とヤーラ君の姿を確認すると、向こうにいるものへと意識を切り替えた。


「ホムンクルスってのは、あれか」


「はい」


 鋭い眼を外さずに、ガルフリッドさんは確認する。未知の危険生物を前に、レイはぐっと息を呑んだ。


「で……皇子の作戦は、一定の距離を保ってあいつを追うこと。そうだな?」


 私はこくりと頷いた。さっきトマスさんから聞いた話では、敵は私を狙っているという。つまり、敵はいつか私の前に現れるはずで――ホムンクルスの傍にいれば、ダリアとの戦いにぶつけられるかもしれないというわけだ。


 もちろん私とヤーラ君だけでは万一のときに危ないので、再びレイとガルフリッドさんが護衛をしてくれることになっている。


 今は周囲に敵の気配はなく、目下の心配事といえばヤーラ君の不調なのだけど……。レイもホムンクルスを注視しつつ、ちらちらとヤーラ君を気にかけている。


 来るべき敵に備える私たちは、しばらくの間誰ひとり口を開かずその時を待っていた。


 やがて張り詰めた静寂の中から、妙に調子の外れた旋律が響いてくる。

 それは場違いなほどに陽気な鼻歌。音が大きくなればなるほど、私たちの警戒心も高まっていく。


「♪~♪♪~……あ、いた!」


 カブトムシでも見つけた虫取り少年のような声だった。片目が焦げ跡に覆われて塞がっているが、もう一方の童心に満ちた赤い瞳が、まっすぐ私に突き刺さってくる。


「ダリア……!」


 憎むべき相手の姿を認めて、レイは全身に力をこめる。

 当のダリアはそんなことお構いなしに大股でこちらに駆け寄ろうとするが、途中に佇んでいる異様な生物は無視できなかったようだ。


「どっわ!? なんだこれ、キモ!! 魔物か?」


 ホムンクルスを目の前にしたダリアは臆することもなく、その粘性の身体をつついたりしている。あまりにも命知らずな行動だが、案の定ホムンクルスの太い腕が報復攻撃をお見舞いした。


「おわ――っ!!」


 吹っ飛ばされたダリアの背が壁を叩きつけ、放射状のヒビを広げた。崩れた破片とともに地面にべしゃりと落ちたダリアだったが、一寸の間も置くことなく元気に起き上がる。


「強ぇ~~~っ!! そうか、これがセトが言ってたバケモンかぁ! よーし、あたしがぶっ飛ばしてやる!!」


 もはや私たちの存在などなかったかのように、ダリアは新しいおもちゃに夢中になっていた。この隙に、とガルフリッドさんは斧を握りしめ、今にも飛び出しそうなレイを手で制してゆっくりと接近する。


 あと少し――というところで、ダリアが待ってましたと言わんばかりにぐるりと首を回した。


「!!」


「ははーっ! 待ってたぜ、混ざってくんのを――」


 そう言いかけたダリアは、背後からのホムンクルスの一撃を避け損ねて、再び壁に激突する。


 ……私もレイも完全に意識を奪われてしまっていたが、ガルフリッドさんがいち早く追撃にかかる。振り下ろされた斧を、ダリアは咄嗟に転がって回避した。


「っぶね!」


 身体をバネみたいにして立ち上がったダリアが、今度は反撃に転じる。「軽い一撃でも信じられないほどの腕力」とトマスさんから聞いていたので、ガルフリッドさんも盾で受けずに当たらないよう距離を取っている。


 その攻撃の応酬の合間に、レイがダリアの懐に潜り込んでいた。素早く振り上げた刃は肩の辺りを掠めただけに終わる。


「うおう、やるじゃん」


 ダリアは余裕の笑みでレイを見下ろす。この怪物は、2人の人間ではとうてい太刀打ちできないかもしれない。

 だけど、怪物ならこちらにもいる。おそらく鍵を握るのは、ホムンクルスとその主――さっきからずっと俯いて爪を噛んでいる、ヤーラ君だ。

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