#32 魔人の大鍋

影の中へ

 一般客の絶叫と悲鳴が押し寄せてくる中でも、グラント将軍の声はひときわ目立った。将軍は同じことを繰り返し叫んでいる。


 この闘技場に魔物の群れが集まっている。客はすぐに逃げろ。勇者たちはただちに戦闘準備。


 <ゼータ>のみんなはすでに戦闘態勢に入っている。一緒にいたラルカンさんも剣を抜いていた。


「やれやれ、あつらえたようなタイミングだな。どうする? スレイン」


「まずは一般客の避難を優先します。敵の位置を――」


「そんな悠長なことやってる場合か。非常時に備えて近衛騎士を何人か連れてきている。避難誘導は我々に任せろ」


 ラルカンさんははじめから襲撃の可能性を予期していたのだろう。部下の騎士たちにも動揺は見られない。


「お前たちは、魔物を見つけ次第殲滅にかかれ」


「了解」


 同じ兜から鋭い眼光を煌めかせて、騎士の兄妹はそれぞれ別の方向を見据える。

 あらかじめ控えていた近衛騎士の人たちがラルカンさんの前に整列し、騎士団長の合図で一斉に出陣する。


「私たちも行きましょう」


 私は仲間たちの顔を振り返ってから、ラルカンさんたちとは別の出口を目指した。



 外に出ると、真っ先に目に入ったのは上空を飛び回るワイバーンの群れだ。地上ではゴブリンやオークが徒党を組んで跋扈している。悪夢のような光景だが、幸いドラゴンのような上位種は見当たらなかった。


「ザコばっかかよ。一瞬で終わらせてやる」


 ゼクさんは有言実行、大剣を振り回して有象無象の魔物たちをあっという間に血祭にあげた。

 他の魔物たちもまた、一筋の閃光とともに切り裂かれ、あるいは氷の波に飲み込まれ、あるいは見えない糸に捕まってねじ切られ、その数を減らしていく。


 あちらこちらから爆発や破壊の音、吹き飛ぶ魔物が飛び交って、ここと同様に勇者たちが順調に敵を蹴散らしているのがわかった。いくら数が多くても、粒ぞろいの勇者たちにはこんな相手など朝飯前なのだろう。


 魔物の群れをかき分けながら、私たちは一般の人たちの無事を確かめるために闘技場の市街地に近い出口に向かった。

 そこは一面魔物の屍の山で、人の気配どころか生きている敵の気配すらしていなかった。


「すでに避難は終わっているようだな」


 スレインさんはラルカンさんの手際の良さにちょっと誇らしげだ。


「よかった。じゃあ逃げ遅れた人は――」


 私は続く言葉を飲み込む。大きな黒い影が瞬く間に私たちを覆いつくしたからだ。


 上を見れば、巨大な怪鳥が大翼を広げ、日の光を遮っている。仲間たちが身構えると同時、怪鳥はこちらに滑空――する前に、その翼の端から端までに長い直線が走り、その線に沿って巨体が真っ二つに裂けた。


 驚く間もなく、3人の勇者が怪鳥の背から飛び降りてくる。あの高さから綺麗に着地を決めた彼らは、私たちのよく知っている人だ。


「そっちはもう片付いたんだね。さすが<ゼータ>」


「ありがとうございます、アルフレートさん」


 <スターエース>の3人も敵を蹂躙した後といった風で、微笑みをたたえたアルフレートさんの口元もすぐにぐっと引き締まる。


「今のところ敵は雑魚ばかりだが……これは陽動だと考えたほうがいい。奴らをけしかけた黒幕がいるはずだ」


「敵の魔人……ですか?」


「おそらく、ダリアと呼ばれている奴だろうな。いまだに姿を見せていないということは、何か別の狙いがあるはずだ」


 話を聞いている途中で、ダリアをよく知っているゼクさんが胡乱げに眉をひそめる。


「あの馬鹿にそんな知恵があるか?」


「他にも仲間の魔人がいたはずだろう。そいつの作戦かもしれない」


 スレインさんが言っているのは、ダリアと一緒にいた魔人たちのことだ。私とヤーラ君、そしてレオニードさんたちが出くわした魔族の一団。神経質そうな男のセトと、思慮の浅そうな女のミカル。何か企てているとしたら、セトのほうだろう。


 アルフレートさんはやや考え込んでから、再び私たちに向き直る。


「俺たちが狙いなら、この近くで勇者の動向を見張っているかもしれない。君たちは闘技場の内部を調べてくれないか」


「わかりました」



 <スターエース>の3人と別れて、私たちは言われたとおりに闘技場の中へ引き返した。

 中にも当然のように魔物たちがうろついていたが、彼らもまたゼクさんたちが通過すると同時に地に伏す運命となった。ダリアやその仲間らしき魔人の気配は、どこにもない。


「クソどもが、こそこそ隠れやがって!!」


「もうそろそろ、走り回るのも疲れてきたわ」


 ゼクさんとロゼールさんが真逆の調子で不満をこぼす中、マリオさんは冷静に周囲を観察している。


「ヤーラ君。敵の魔力の痕跡みたいなものは残ってないかな」


「そこらじゅうに魔力が漂っていて、判別できませんね……。魔物を操る魔術のたぐいだと思います」


「そっかー。じゃあ、魔族が隠れてそうなところを探そうか。施錠されててめったに人が来ない場所とか」


「そんなところに魔族が入れますかね……?」


「入れるよ」


 マリオさんはやけに確信めいた言い方をした。


「協会の中に魔族が紛れているかもしれない、って話は前にしたよね。その人が隠れ場所を用意したとすれば、可能性は十分ある」


 そうだ。ダリアたち以外にも、別の魔族が私たちの近くにいるかもしれないんだ。


「エステル。隠れ場所になりそうなところ、わかるかい?」


「ええと……」


 私は職員用の闘技場見取り図を取り出し、それらしき場所を探そうとしたが――直後、ヤーラ君が血相を変えて叫んだ。


「気をつけてください! 強い魔力が急激に広がってきています!」


 その声が飛んでくるのと同時、今の今まで闘技場の回廊だった古い石造りの空間が、完全な漆黒へと変貌した。


 敵の攻撃に間違いなかった。ゼクさんたちは即座に応戦の構えをとったが、四方八方を覆いつくす漆黒は泡立つ海面のようにうごめいているだけだ。

 しばらくその動きを注視していると、いよいよ黒い波から長い腕のようなものが飛び出てきて、私たちに襲いかかってきた。


 いち早く反応したスレインさんがその黒い腕を斬り払うが、下から伸びてきた別の腕に足を掴まれてしまう。それを切断しようと振り下ろされた刃が、その黒い物質を空気みたいにすり抜けてカツンと地面に当たった。


「っ!?」


 黒い腕は何重にも束ねられた糸となってスレインさんに絡みつき、身動き一つ許さないまま壁際に押さえつける。

 気がつけば他の仲間も同様に、なすすべなく黒い影に捕まってしまっていた。無事だったのは、私とヤーラ君だけだ。


「何よこれ、気持ち悪い!」


「ボケっとしてんじゃねぇ、逃げろ!!」


「でも……」


 この黒い空間はどこまでも続いていて、どこに逃げればいいのかわからない。ためらう私を落ち着かせてくれたのは、マリオさんだった。


「とりあえず、他に動けそうな人たちと合流したほうがいいよ。入口付近にトマス君たちがいたはずだから、そこを目指して」


「わ、わかりました!」


 言われるままにヤーラ君の手を引いて、トマスさんたちのいるほうへ駆け出す。背後に残した仲間たちの無事を、胸中で祈りながら。



 走れども走れども漆黒に覆われた空間は続く。でも、ゼクさんたちを捕まえたような黒い腕は出現することなく、どうにかトマスさんたちの姿を見つけることができた。


「トマスさん!」


 名前を呼べば、彼の凛然とした瞳がぱっとこちらに移る。よく見ると、彼のほかにはロキさんとヘルミーナさん、それから無事に逃げ延びたらしい勇者たちが何人も集まっていた。


「やっぱり<ゼータ>はお前たち2人か」


「え?」


 まるで、私とヤーラ君だけがここに来るとわかっていたかのような口ぶりだった。


「この黒い影みたいな魔術を使ってる奴は、明らかに特定の人間を狙って捕らえている。ここにいるのは実力的にはDランク以下の勇者、それから非戦闘員だけだ」


 改めて周りにいる人たちを見回すと、確かに上位ランクの勇者はほとんどいなかった。中には知った顔ぶれもある。


 この状況から導き出される結論を、トマスさんは端的に言い放つ。


「つまり、敵は主力級の勇者だけを正確に封じ込めたってわけだ」

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