金色の右腕

 空へ立ち上る白い光の帯。その根元は、ゼクさんの切り裂かれた首筋。どこからどう見ても、致命傷だった。


『なんという大番狂わせ!! 最初に落ちたのは……<ゼータ>最強のゼクだぁ―――ッ!!』


 そんな、まさか。ゼクさんが真っ先にやられてしまうなんて……。客席の方々からどよめきが沸き、私の焦燥も増していく。


『ラム姉、マジヤバだね。さっきのでっかい砂魔法に紛れて、別の場所に小さい落とし穴もしかけてたっぽい。さっき落としたタバコが罠の場所の目印だったんよ』


『うへぁ、まじこわ~』


 よく目を凝らせば、ゼクさんの足が取られた場所にラムラさんの煙草が落ちている。最初からゼクさんをそこに追い込む作戦だったんだ。


『残ったマリオも動けないまま! ヤーラは戦えないし、今度こそ勝負あったか!?』


 ラムラさんの魔術を食らったマリオさんは、依然へたりこんで身動きが取れない。レオニードさんとゲンナジーさんが、すかさずその隙を狙いに行く。


 ナイフと拳が、無防備なマリオさんに覆いかぶさった。


 が、それらの攻撃は何にも当たることなく、虚しく空を通り抜ける。2人の目の前にいたマリオさんは忽然と姿を消していて、空ぶった腕は同時に何かに引っ張られて、2人は地面に転ばされる。


「なっ!?」


 レオニードさんが振り返ると、へたりこんでいたはずのマリオさんが堂々とその立ち姿を見せている。両手にはうっすらと、巻き付かれた糸の細い光が照っている。


「なんでコイツが動いてんだ!? おい、ラム――」


 仲間の名を呼ぼうとしたレオニードさんは、当の彼女を見て絶句した。

 ラムラさんの喉元に、深々とナイフが突き刺さっている。


『あれはマリオの投げナイフか!? いったいどうやって!?』


『マーくんの糸ってぇ、手で触んなくても自分の意思で動かせるよーになってんだよね』


『い……糸だけ操作してナイフ投げて、首に当てたのか。変態じゃねーか』


 ラムラさんに攻撃したことで魔術からはとっくに解放されていたけど、レオニードさんとゲンナジーさんを誘い込むために動けないフリをしていたんだ。その戦法がバレないように、ヤーラ君はあえてマリオさんを助けに行かなかったのだろう。


 マリオさんがぐっと手を引くと、地面に転がされた2人に巻き付いていた糸がそれに合わせて食い込んだ。とどめを刺しに行く動きだ。


「ふぬ……おおおおおおおおっ!!!」


 獣のような雄叫びを上げたゲンナジーさんの全身の筋肉が隆起して、胸を突き出すと同時にブチッと糸が千切れた。


『ゲンナジー、自分に絡んだ糸をパワーで消し飛ばした!!』


「ヤロォ、ぶっ飛ばしてやる!!」


「待てゲンナジー! 俺の糸も切れ!」


 酔ったゲンナジーさんにレオニードさんの声は届かず、暴走機関車のごとくマリオさんに突進していく。スピードがないぶん糸を絡ませるのは簡単だが、人間離れしたパワーですぐに引き裂かれてしまう。かといって、ゲンナジーさんの攻撃はマリオさんの動きに追いつけない。


「くぬやろぉ、チョロチョロしやがってぇ……!」


「だぁら、俺の糸切れっつってんだよ!!」


「なるほどぉ、糸が切れるまでやりゃあいいんだな!」


「ちげーよアホゴリラ!!」


 戦闘中とは思えないやり取りに、解説席からアンナちゃんの笑い声が漏れてくる。そんなゆるい空気を、1本の糸が断ち切った。

 ゲンナジーさんの首筋に、細い線状のへこみができる。


「おぉ……!?」


『首に糸を巻き付けた!! ここなら千切られないとの判断か!!』


 糸の食い込みは深くなっていき、ゲンナジーさんの顔が青ざめていく。が、彼の太い指が空中の何かを捕まえると、苦痛に歪んでいた口元に笑みが浮かぶ。


「これ、かぁ……!!」


 糸を掴んだ手を思いきり引き戻した途端、マリオさんが左腕から引っ張り上げられて空中に投げ出される。マリオさんの身体はゲンナジーさんの意のままに叩きつけられ、引きずられ、また宙を舞った。


 途中でマリオさんが自ら糸を切って解放されたが、特注のスーツは擦り切れてボロボロになってしまった。ゲンナジーさんも首元の緩んだ糸を放り捨て、状況は振り出しに戻る。


『マリオの糸は通らねぇし、ゲンナジーの攻撃は当たんねぇし、堂々巡りって感じだな。レオニードが参加できれば有利取れそうだが』


『ゆーて、<ゼータ>にはまだヤーきゅんがいるかんね~』


 ちょうどマリオさんも、ヤーラ君に協力を頼む気になったらしい。袖の埃を払いながら、切れ長の目だけを小さな錬金術師に向ける。


「ヤーラ君。あれ、使ってもらってもいいかな」


「……わかりました」


 少し曇った表情で、ヤーラ君が試験管を取り出す。マリオさんが駆け出した直後にそれを放り投げると、パリンと砕けて苔みたいな緑色の煙がもうもうと噴出した。


「……!」


 ゲンナジーさんは、咄嗟に傍に転がっていたレオニードさんを蹴っ飛ばし、煙から退避させた。自分が逃げる暇はなく、その大きな体躯があっという間に緑の塊に飲まれていく。


『これは、煙幕……では、ないようだが……?』


 辺り一面に広がった煙が少し薄まると、中の様子がくっきり見えてくる。膝をついたゲンナジーさんが、喉元を押さえながら顔を歪めている。その苦しみようは、さっきの比ではない。


『毒ガスか!』


 その緑の靄の中にマリオさんが飛び込むと、会場全体がどよめいた。


『な、何やってんだ!? 毒の中に突っ込んだぞ!?』


『マーくんはねぇ、特別な訓練を受けてるので毒が効かないんですね~。良い子はマネしちゃだめだよ』


 動けないゲンナジーさんの背後で、マリオさんは細い針を構えた。


「ゲンナジー!!」


 蹴り飛ばされたお陰か糸から脱出したレオニードさんが叫ぶ。あの毒の中へ助けに行くのは、もはや不可能だろう。


 無情にも、針が太い首に突き立てられた。間違いなく、急所だった。


 しかし、ゲンナジーさんもタダでは倒れない。最期の力を振り絞って、腕を後ろに振り回す。それがマリオさんの右手を弾き飛ばして、鈍い音を響かせた。


『ここでゲンナジーが脱落!! だが、散り際の一撃で右手を奪った!!』


 マリオさんの手の指が、それぞれねじ切られたみたいに曲がっている。見るからに痛々しく、使いものにならないのは明らかだった。


 残る相手はレオニードさんだけだが、今までとは明らかに雰囲気が変わっていた。静かな怒りをふつふつと沸かせているような感じだ。その怒りは、明確にマリオさんに向けられている。


「テメェ……よくもあいつに、あんなもん使わせやがったな……!?」


 すぅ、と息を吸った彼は、まばたき1つする間に姿を消し、マリオさんに掴みかかったまま煙から飛び出している。マリオさんは残った左手で、投げナイフを構えるが――


「遅ぇよ」


 銀色の直線が、マリオさんの首に走る。


『どっ……怒涛の一撃!! レオニードが一瞬にしてマリオを切り捨てた!!』


『さすがに片手でレオ兄攻略はムリかぁ~』


 そして、戦場には2人だけが残った。

 レオニードさんはゆっくり振り返り、自分がこの場に誘った後輩を見つめる。


「……悪いが、もう容赦はしねぇぞ」


 たぶん彼は――いや、彼らは、ヤーラ君を倒すのは最後にしようと決めていたのだろう。だから、今まで攻撃の対象にしなかった。誘った側の礼儀として。


 でも、あとはヤーラ君1人。他に仲間はいない。勝ち目はもう、ほとんどない。

 だけど、少年の顔はひとかけらの絶望も映していなかった。私を振り返ったその瞳には、凪のように静かな覚悟が宿っている。


 大丈夫、わかってるよ。私は心の中でそう応えて、再び戦いに臨む彼を見送った。


「僕たちはまだ、諦めてませんよ」


 意表を突かれたように固まったレオニードさんの顔は、徐々に溢れんばかりの笑顔に変わっていく。


「じゃあ、行くぜ」


 一瞬の後、ヤーラ君が地面に押し倒される。レオニードさんは左手でヤーラ君を押さえつけて、右手を振り上げる。

 金属の手に煌めく刃。弧の線を描いて落ちていくそれは、急所を庇った右の手のひらを貫いた。


 そこから、魔法陣が黄金色の光を放った。


「!?」


 レオニードさんの肘から先――刃も義手も消失して、途切れた腕だけが残る。

 消えた金属は、小さな錬金術師の手によって、身体の内部を貫く大きな剣に変わっていた。

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