後衛の要
真っ先に動いたのは、言うまでもなくレオニードさんだ。動いたというより、私の目からすれば消えたと言ったほうが正しい。
それでもマリオさんの切れ長の瞳はそれを捉えたようで、間髪入れずに横に一歩踏み出した。途端にいくつもの刃の筋が、マリオさんの身体を巻き込んで走り抜ける。いつの間にその後ろまで通り抜けていたレオニードさんが、ナイフを握ったまま横目で振り返った。
『開始1秒も経たないうちに、もうレオニードが攻撃を仕掛けている!!』
しかし、レオニードさんの目は徐々に大きく見開かれる。今さっき切り刻んだはずのマリオさんには傷ひとつなく、スーツのあちこちに引っ掻いたような跡が残っているだけだった。
そう、これは試合のために用意された防刃仕様の特注品。誰がこしらえたものか、レオニードさんも悟ったようだ。
「……なんだお前、いいスーツ着てるじゃねぇか」
「ありがとう」
そこからのレオニードさんの猛攻はとても目では追えなかったが、マリオさんは完全に見切っているようで、攻撃を通さぬよう見事に捌いていた。
そこに割り込むすさまじい衝突音。見れば、ゼクさんとゲンナジーさんが剣と拳をぶつけ合っていた。
「ぬらぁ~~!! だぁれだおめぇ~~~!!」
「テメェ、酒抜けてねぇじゃねーか!!」
ゲンナジーさんは酔ったままのようだけど、そのほうが強いみたいで、ゼクさんの剣に素手で対抗している。
『レオニードとマリオのスピード対決に、ゲンナジーとゼクのパワー対決! どちらも今のところは互角!』
『もーそろそろ、あっちが動き出しそーだね~』
アンナちゃんが言ったのはおそらくラムラさんのことだろう。彼女はいつもの煙管ではなく紙煙草をくわえ、傍観を決め込んでいると見せかけているが――
「ゼクさん、来てます!!」
「おう!!」
ヤーラ君の警告で、ゼクさんが素早くその場を離れる。
「……あらぁ、やっぱりバレてたのね~」
知らん顔をしていたラムラさんが、深く煙を吐き出した。
『い、今のは……?』
『ラム姉のぉ、相手の力を奪っちゃう魔法だよ。錬金術師は魔力が目で見えるらしーから、ヤーきゅんがラム姉の魔法見破ってぜっくんを助けたってワケ』
『なるほど。ヤーラは非戦闘員だが、こういう役目もあるわけだ』
『そだねー。今回、意外と重要ポジかもよ?』
そのヤーラ君の真横に、土煙を巻き上げながらマリオさんが転がってくる。反射的に飛びのいて視線を上げたその先には、ナイフを装備していないレオニードさんが立っていた。
「切れないなら、ブン殴ればいい……だろ?」
『レオニード、刃物が通じないと見るやいなや物理攻撃で攻略! シンプルながら、効果はデカイ!』
『レオ兄のスピードでなぐられたら、そりゃーメチャ痛いよね~。マーくんのスペシャルスーツ、防御力高いのはいいけど、いつもよりビミョーに動きにくそうだし?』
『そ、そうなの?』
幸いにしてそこまでダメージを受けていないマリオさんはゆっくりと立ち上がり、右手の人差し指だけをヤーラ君に突き出した。
「あれを出そう」
「了解です」
短いやり取りの直後、ヤーラ君は薬品の入った試験管を前方に放り投げた。ガラスが割れると同時に、紫色の煙がぶわっと一面に広がる。
「煙幕か! だが……」
レオニードさんはその煙の中を一瞬で駆け抜け、マリオさんに肉薄する。
「逃がさねぇよ!!」
右の拳をまさに叩き込もうとしたレオニードさんだったが、それが届くことはなかった。
その足が何かに引っ張られて前につんのめり、勢いあまって二転三転しながら地面を転がった。
間違いなく、マリオさんの糸だ。でも、真っ平なこの場所でどこに糸を引っかけたのだろう――と、よく目を凝らせば、地面に小さいフック状の突起が距離を置いて2つ並んでいて、その間から糸状の光が反射した。
『おぉ~。錬金術で地形ちょろっといじくって、糸引っかける場所作ったんね~』
『あの煙幕は仕掛けを隠すためだったのか。思ったより、マリオとヤーラの相性がいいみたいだな』
倒れているレオニードさんに、すかさずマリオさんがナイフを投げる。横転して間一髪かわしたレオニードさんだが、その上にさっきの煙幕が被さっていった。
「クソ……!!」
紫の煙に覆われながら、レオニードさんが歯噛みする。すかさずマリオさんが煙の中に飛び込んだ。
一方では、先ほどから雷鳴みたいに繰り返し響いていた轟音が鳴りやんでいた。ゼクさんがあのゲンナジーさんの巨体を片腕で持ち上げていたのだ。
「うおおぉぉ!? オレ、空飛んでるぅ!」
「調子狂うなオイ」
ゼクさんはぼやきながらも剣を構え、無抵抗でおそらく状況すら把握できていないゲンナジーさんに狙いを定める。
『レオニードとゲンナジーが追い詰められた!! 勝負あったか!?』
『それはどーかな~?』
突如、フィールド上に巨大な砂の渦が現れた。柔らかい砂はその上に立っている人間の足を沈め、ゆっくりと中心部へ流れていく。
「うお!?」
足を取られたゼクさんは、ゲンナジーさんを掴んでいた手を離してしまった。よろめくゲンナジーさんと、煙から脱出したレオニードさんの足元に、堅い岩のような足場が出現する。
大きな砂の円の外で、ポトリと紙煙草が落ちる。ヒールで火を消した魔術師は、砂に飲まれるゼクさんたちを優雅に見下ろしていた。
『これはまさか、ラムラの魔術か!?』
『ラム姉、こーゆー土? 砂? の魔法も使えるんよね~』
レオニードさんとゲンナジーさんは岩を伝って脱出したが、ゼクさんたちは徐々に渦に引きずり込まれていくだけだ。
「ヤーラ!! お前の錬金術でなんとかできねぇのか!!」
「今やってます!!」
砂の中に突っ込んだヤーラ君の手から、魔法陣が展開する。流砂が徐々に固まっていき、流れは完全に止まった。
動けるようになったゼクさんは砂から乱暴に足を引き抜いて、燃えるような赤い瞳でラムラさんを射すくめる。
「こんのアマ……!!」
「あら~、怖い顔。ゲンナジー、助けてちょうだい」
「よーし! よくわかんねぇが、かかってこぉい!!」
ゼクさんがゲンナジーさんに突進し、再び会場全体を揺るがす轟音が鳴る。レオニードさんもナイフを構えて走り出し、マリオさんと交戦再開――するかに見えた。
マリオさんが、脱力したように膝をついたのだ。その場にへたりこみ、両腕を垂らしたまま動かない。
「マリオさん!?」
「……こっちに来たかぁ」
やっと呟いたその言葉で、私は不気味な笑みをたたえるラムラさんの意図に気づいた。
『わあ、ラム姉マジヤバ~! あの砂の魔法は、ヤーきゅんの目をそらすためのものだったんね~!』
『なんつー抜け目のなさだよ……。お、女って怖ぇ……』
『アンナはコワクないよぉ?』
抜け目のなさでいったらアンナちゃんも相当だと思うけれど、そんなことを言ってる場合じゃない。レオニードさんがぐるりと踵を返して、背後からゼクさんに襲い掛かったのだ。
「!」
ゼクさんは横っ飛びにその不意打ちを逃れたが、なおもレオニードさんは攻撃の手を休めない。そこにゲンナジーさんも加わって、2対1に持ち込まれてしまった。
『2人でゼクを攻撃するのか! 俺はてっきり動けないマリオを先に片づけるもんかと』
『ぜっくんの背後取れるチャンスが今しかなかったからかな? 不意打ちはよけられちったけど』
前後からの攻撃に、ゼクさんは身を守るのに手いっぱいの様子だ。
でも、それで終わるゼクさんじゃない。
「うっとうしいんだよ!!」
大剣の武骨な刃が大きく一回転して旋風を起こす。レオニードさんとゲンナジーさんは同時に飛びすさったが、どちらも浅い切創を受けた。
『さすがはゼク、2対1の不利をたやすく覆した!!』
「やっべ……!」
体勢を崩したレオニードさんに、ゼクさんは容赦なく追撃をかける。
――その、一歩だった。一歩を踏み込んだところで、地面が崩れた。
「……は?」
ゼクさんの両足が、崩落する地面に吸い込まれていく。
そのときにはすでにレオニードさんの姿は消えていて――ゼクさんの首に、大きな切れ目が入っていた。
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