業火
遠くで燃え盛る炎は、夜闇にあって煌々と存在感を放っていた。火事が起きたとか、そういうレベルではない。戦乱で焼かれているような、暴力的な燃え方だった。
「な、何があったんですか?」
「わからん。魔物の残党が村を襲撃したのか……」
スレインさんは腕を組みながら、炎に包まれた集落を見据えている。
「今すぐ戻るべきだと思うが、それでいいか」
「もちろんです!」
私たちはできうる限りの速度で準備を済ませ、深い夜の中に飛び込んだ。
あてにならない視界は赤く輝く村の一点だけに集中させて、足元の感覚だけで地面を蹴り、暗黒の中を駆け抜ける。
近づけば近づくほどに、荒れ狂う炎の海は大きくなって、悲鳴なのか叫喚なのかわからない音声が弾ける火花に混じり、むせ返るような焦げ臭さが強くなっていく。
この時点である程度の覚悟はしていたが、いざ村の光景を目の当たりにして、恐ろしさが喉を突き上がってきた。
そこは、まさしく地獄だった。村一面が灼熱の波に飲まれて、見るも無残な死体が広がり、動き回っているのはこんなところにいるはずのない魔物ばかり。亡くなった人たちは身体のところどころに深い傷を刻まれていて、ただ焼け死んだのではないことは明らかだった。
「っ……!」
凄惨な光景にたまりかねてか、ヤーラ君が真っ青になって膝をつく。私もこみ上げるおぞましさをぐっと堪えて、ヤーラ君の肩を支えた。
脇のほうからうめき声が聞こえて、そちらに目を移せば、身体の下半分を失った村人が私たちのほうに手を伸ばしていた。それは、勇者に助けを乞うようなポーズではなかった。
「う……うらぎり、もの……」
呪いの言葉を残して、彼は事切れた。
悪い想像が、脳裏を横切る。私たちに何か不手際があって、この村が襲われてしまったのだとしたら……? でも、それじゃあ「裏切り者」の意味がわからない。何があったというのだろう。
「他に生きてんのがいるかは知らねぇが、ともかく魔物どもをぶっ殺すぞ」
ゼクさんが吊り上げた目に怒りをこめて剣を抜き、動ける仲間たちが戦闘準備に入る。
手始めにロゼールさんが、オレンジ色の光に火照った頬を手であおぎながら、そびえ立つ火炎の前に出た。
「いい加減、暑苦しいのよね」
扇代わりの右手をふわりと宙にかざすと、氷の波が大軍のように進攻していく。烈火の海をものともせずに押し返し、覆いつくし、飲み込んでいった。真っ赤な火に染まっていた村はわずかの間に鎮まり、本来の夜の色を取り戻していた。
「私の氷は100年は解けないわよ」
「生存者が巻き込まれたらどうするつもりだ」
「すぐには死なないわよ」
スレインさんの指摘を適当にあしらったロゼールさんも、そうは言いつつ生存者のことはちゃんと配慮しているだろう。今の氷魔法は敵への攻撃というよりは鎮火が主な狙いのようで、威力は抑えてあったのか、魔物たちは平気で中を闊歩している。
これで心置きなく戦えるようになり、ゼクさんが堰を切ったみたいに突進していった。目につく魔物を片っ端から大剣で叩き斬り、あたりの血の臭いが濃くなっていく。
スレインさんは中を駆け回って敵を退けつつ、生存者を探している。ロゼールさんもマイペースに歩いているように見えて、前衛2人を的確にサポートしていた。
マリオさんはいつの間にかいなくなっていて、レイとガルフリッドさんは前と同じく私とヤーラ君の傍にいてくれた。ヤーラ君はまだ調子が悪そうで、しゃがみこんだまま青い顔を俯けている。
ゼクさんたちの姿が見えなくなった頃、マリオさんが火のついた木片を持って私たちのほうに戻って来た。
「出火元を調べたいんだけど……ヤーラ君、これ解析できるかい?」
「お前……まだこいつ、具合悪そうだろ」
レイが苦言を呈するが、ヤーラ君はふらつきながらも立ち上がった。
「大丈夫です。やります」
かなり無理をしている様子だけど、マリオさんに言われた通りに、木片に揺らめく火をじっと観察し始める。
「これは、魔術によるものかな」
「そう……ですね。自然の火じゃないです」
「やっぱりそうだよね。でも、ぼくが見てきた限り――たとえばドラゴンみたいな、火を操る魔物はいなかった」
「え?」
思わず、マリオさんの笑顔を凝視する。
「だから村を焼いたのは、魔術が扱える人間か……もしくは、魔人だね」
魔人。私たちはたぶん、同じような連想をしたはずだ。
「そ……そんなわけ、ねぇだろ」
レイの声は震えていた。だけど、マリオさんはそんなことはお構いなしだ。
「たまたまこの村が悪い魔術師に襲われた、っていうほうが無理があると思うけど」
「うるせぇ!!」
感情が追いつかないのだろう、レイは衝動的に駆け出した。自分の目で確かめるまでは信じたくないのだ。私だって同じだった。今すぐにでも後を追いたいけれど――
「僕は平気です。行ってください」
また座り込んでしまったヤーラ君が、気を遣ってくれた。
「でも……」
「いいんです。エステルさんが行ったほうがいいと思います」
「……ごめん」
私はヤーラ君の言葉を信じて、後をマリオさんに任せ、村の奥のほうへと走っていった。
炎はもうほとんど消えていて、でも立ち込める死臭はますます強烈になっていて、生命の気配らしきものは一向に感じられなかった。激しい戦闘の音も鳴りやんでいて、このまま無事に戦いが終わっていることを心から願った。
……現実は、そんなに甘くなかった。やがてゼクさんたちの姿が見えてきて、誰もその場から動かずにある一点に視線を注いでいた。その先にある、人型のシルエット。
血色のない肌と、夜闇に溶けそうなほどの黒い目。それから、頭部の2本のツノ。まごうことなき魔人の姿。でも、その顔には見覚えがある。
「ヨブさん……?」
惨劇が起こったことが嘘みたいに、静まり返っていた。ぽつりとこぼしたその名前がいやに反響する。
薄暗がりに浮かんだ顔は、何もかもを失ったような虚ろな中に、重苦しい憎悪が横たわっているような、不思議な無表情だった。
「テメェ、どういうこった」
ゼクさんが低い声で問い詰める。ヨブさんの赤い瞳は、地面から離れなかった。
「……これはたぶん、罰なんだと思います」
すべてを諦めたような、投げやりな言い方だった。彼が実は悪人で、私たちを欺いてこの村を襲撃した――というわけではないらしかった。
「逃げ切れると、甘く見ていました。そう単純には行きませんでした。ですが……罰を受けるのは、私1人でよかったはずだ」
空虚な独白の中に、黒い何かが揺らめいた。最後の言葉が妙に引っかかって、それはレイも同じだったらしい。
「……エミュナと奥さん、どうしたんだよ」
「そんなこと、私が知りたい」
深紅の瞳が恐ろしい光を放った。彼がここにいて、村が襲われた理由――その断片が垣間見えた気がした。
レイは一気に青ざめて、恐ろしい想像を振り切るかのように叫んだ。
「じゃあ!! オレが2人を探してくる。だから、そこで大人しく待っとけよ!!」
返事も待たずに、レイは駆け出した。ガルフリッドさんも黙って後を追った。遠のく2人の背を、ヨブさんは少し悲しげな目で見送っていた。
「ゼカリヤ様」
本当の名前を呼ばれて、ゼクさんがぴくりと眉を動かす。
「私のことを、恨んでおいでですか」
「……。お前のこと、思い出したぜ。いつも死人みてぇなツラでぼっ立ちしてた番兵だ。変なツラだと思ったが、お前なんざ恨むほどの存在感もなかったよ」
少なくともあの家で、家族と一緒にいたときは、ゼクさんの言う「死人みたいな顔」には全然見えなかった。今は――
「あのバンダナの少女は、ここには戻ってこないでしょう。私はもう、どこにもいられません。少なくとも、人間の世界には……」
レイが奥さんとエミュナちゃんを連れて、ここまで走ってくることを願った。だけど――いつまで経っても、その願いが現実になることはなかった。
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