優しい魔族

 出立は大事を取って早朝となり、まだ薄暗いぼやけた空の下で、ヨブさんたちはわざわざ見送りまでしてくれた。


「本当に、ありがとうございました」


「お礼を言うのはこちらですよ」


 そう言っても、ヨブさんはなかなか頭を上げようとしてくれなかった。


「あの……私たち、人間にこんなに親切にしていただいたの初めてで……。私からも、お礼を申し上げます」


 続いて奥さんまで腰を屈めるものだから、参ってしまう。本当に、礼儀正しくて真面目なご夫婦なのだろう。よくわかっていないエミュナちゃんも、両親の真似をしてぺこりと一礼した。


「安心するのはまだ早い。あなたがたは速やかにここを離れて、別の隠れ家を見つけなければならない」


「わかっています」


 スレインさんの言う通り、まだすべてが解決したわけじゃない。私たちはヨブさんたちのことがバレないよう、村の人たちや協会に嘘の報告をしなくてはならない。


「れーちゃん、もういっちゃうの?」


 寂しそうに問いかけるエミュナちゃんの頭に、レイはそっと手を乗せる。


「またすぐ会えるからさ。エミュナはお父さんとお母さんの言うこと聞いて、いい子にしてるんだぞ」


「……ん」


「よし!」


 レイは満面の笑みを作って、エミュナちゃんを元気づけている。


「どうかお気をつけて。この時間は魔物もあまり活動しませんが、危険なことに変わりはありませんから」


「ええ。お達者で」


 まだ明け残った星々の下、私たちはふもとを目指して山道を下り始めた。



  ◇



 出たときには顔も見せていなかった太陽は、村に到着する頃には空のど真ん中に堂々と姿を晒して、私たちを勇者として華々しく演出してくれていた。

 気をもんでいたであろう村人たちは、私たちが到着した途端に一斉に家から飛び出し、魔人騒動の顛末を待ち望んでいた。


 嘘をつくのが下手な私の代わりに、ゼクさんが聴衆の前に立った。


「聞け!! 山の中にいたとかいう魔人は、俺たちがきっちりぶっ殺した!!」


 村人たちはそれぞれ目を見合わせる。感情の昂ぶりが顔に上ってきて、それは歓声に変わった。


「うおおおおーーーっ!!」


「さすが勇者様だ!!」


「これで魔族に怯えずに済む!」


 山の魔物たちは討伐したのでまるっきり嘘というわけではないのだけど、やはりこの人たちを騙す形になるのは心が痛む。


「油断はするな! 山の魔物はすべて退けたわけではない。絶対に山には近づくな」


 スレインさんが鋭く警告を発し、浮かれ気味だった村人たちを引き締める。ヨブさんたちのほうに村人が近づかないよう牽制する狙いなのだろう。


「でも、もう魔人はいないんだろ?」


「ちょっとの魔物程度、俺たちなら――」


「だめだ。素人が手を出していい相手ではない。しばらく山には入るな」


 スレインさんの厳しい口調に、村人たちも少し不満げになってくる。


 その後も魔人や魔物についてあれこれと聞かれたりして、どうにか話をごまかしつつも、魔人は退けたということで村人たちも満足してくれたらしい。これ以上ボロが出る前にと、スレインさんの作戦通り「魔人はいなかった」と報告すべく、私たちは早めに帝都に戻ることにした。


 が、どうも馬車の手配が遅れているようで、村から少し離れたところで足止めを食うことになってしまった。仕方なく私たちは川のほとりで野営をしつつ、待ち時間を潰していた。


 ヨブさんたちは無事に逃げられただろうか。つい気になって、彼らがいた山のほうをちらちらと振り返る。ふと気づくとレイも同じことをしていて、私はふふっと笑いをこぼしてしまった。


「……ンだよ、こっち見んな」


「ごめんごめん。……大丈夫。ヨブさんたちは、無事に逃げられるよ」


 ぶすっと頬を膨らませていたレイは、再び山のほうを向く。不幸な魔人の一家を案じているようでもあり、何か別のものを見据えているようでもある。


「――魔族も人間も、あんま変わんねぇのかな」


 誰にともなく、レイが呟く。準備中の夕食をつまみ食いしていたゼクさんが、ふっと手を止めた。


「兄貴が魔族かもって話が出たとき、絶対そんなわけねーって信じなかったけど……でも、もしそれが本当だったら、じゃあ魔族って悪い奴ばっかじゃねぇんだなって思って。結局あれは嘘だったけど、ヨブのおっさんたちとかも普通にいい人だったし……」


 まだ考えがまとまりきっていないような言い方だったけれど、言いたいことはわかるし、私も大いに共感できる。人間が正義で魔族が悪、なんてことはなくて、人間も魔族もいい人とよくない人がいる。そこに大きな違いはないのだ、きっと。


 ゼクさんはレイを見ながら柔らかく微笑んでいたが、私の視線に気づいてすぐに表情を改めた。


「……ともあれ、魔王だけはクソだからな。きっちりぶちのめしてやる」


 そう言いながら、ゼクさんはまな板から盗んできたベーコンを噛みちぎっている。


「ゼクさん、優しいですよね」


「は?」


 本心からの不可解を表明した赤眼がこちらを向く。


「だって、仮に魔族だとしてもいい人だってレイに思われるくらい、優しいってことじゃないんですか?」


 その眼と同じくらい、顔が赤くなっていく。


「なっ……に言ってんだ、アホかテメェ!!」


「そうっすよ!! 兄貴は優しくてかっこいいっす!!」


「話乗ってくんじゃねぇ!!」


 その反応があまりにもわかりやすくて、私はつい笑ってしまった。ゼクさんは言葉遣いは乱暴でも、優しくて仲間想いで、ちょっとだけ照れ屋さんなのだ。


「……ったく。レイ、お前もあのアホリーダーみてぇに誰かれ構わず信用してっと、足元すくわれるぞ」


「別に、全員を信用してるわけじゃないっすよ。クソみてぇな人間がいるのだって……わかってるっす」


「……どういうこと?」


 嫌悪を露わにするレイの言い方が気になって、つい聞いてしまった。


「うちの親父が、酔って子供殴るようなクズだったんだよ。小さい弟や妹も構わず殴りやがった。でも、村を魔物から守る衛兵みてぇな仕事してたから、外ではそれなりに尊敬されてて、それが余計ムカついた」


 頬杖をついて目を細めるレイは、初めて会ったときのような刺々しい顔を思い出させた。


「結局親父は魔物に殺されて、オレはせいせいしたけど、周りは大げさに悲しんでて……英雄が死んだみたいに。それが無性にムカついて、魔物ぐらいオレだって倒せるって思って……」


「それで、勇者になったの?」


「そう」


 ああ、そういうことなんだ。絡まった糸がするりと解けたような感覚。

 初対面のときの、誰も寄せつけないようなささくれ立った態度。力量差も構わず強敵に向かっていく無謀さ。それらのわけが、すとんと胸に落ちた。


 自分の弱さに耐えられない、と以前ロゼールさんがレイを評していた。父親という圧倒的な存在に抵抗できなくて、幼い弟妹も守れなくて、そんな無力感と悔しさが根っこにあるのかもしれない。


 だから、ゼクさんを慕ってるんだ。ゼクさんは信じられないくらい強いから、彼の前では弱くていい。むしろ、尊敬する相手が強ければ強いほど嬉しいものだろう。


 じゃあ、ガルフリッドさんは――?


 夕食を済ませ、寝袋にくるまりながら、私はそんなことをうとうと考えていた。

 が、その思考はトントンと肩を叩かれる感覚でストップした。目を開けると外はまだ暗闇だったけれど、他の仲間たちも起きて動いている気配があった。


 私を起こしたのはマリオさんで、彼の山なりに曲がった細い両目がすぐ目の前に浮かんでいた。


「おはよう、エステル。今、村が燃えてるみたいなんだけど」


 その言葉の意味を認識した瞬間、私は寝袋から飛び出した。

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