懺悔

 魔人とはいえ他人の家にお世話になるというのに、仲間たちは驚くほどこの家に馴染んでいた。


 ゼクさんはガルフリッドさんを巻き込んで勝手に酒盛りを始め、ロゼールさんは薄暗い外の庭に散歩に出てしまい、マリオさんは奥さんに断ってキッチンを借りて料理を始め、ヤーラ君が手伝いを申し出てそこに加わった。


 スレインさんは外に見回りに出てくれていたが、帰って来たところでロゼールさんに捕まっていた。それから、レイは――


「きゃーっ! たかぁい!」


「おいエミュナ、あんま暴れんなよー!」


 意外というかなんというか、ヨブさんの娘さんを肩車して遊んであげている。娘さん――エミュナちゃんは楽しそうにはしゃいでいて、それを見守るレイの眼差しもどこか温かい。


「すみません、娘まで……」


「いえいえ」


 ヨブさんは申し訳なさそうにしているけど、私たちのほうが泊めていただいている身だし……むしろ可愛い娘さんを見せてもらって、お礼を言いたいくらいだ。

 エミュナちゃんはまだ人間に擬態する術がうまく使えないらしく、見た目は魔族そのもの。それでも、子供らしいあどけなさは人間と変わらない。


「おとおさんも、たかいのやって!」


 エミュナちゃんは今度は父親に肩車をせがんでいる。冷めたような無表情の多いヨブさんも、このときばかりは頬を柔らかく緩めて娘の要望に応えた。


「レイは、小さい子供が好きなの?」


「……別に。弟とか妹とかいるから、慣れてるだけだよ」


 不愛想を装っているが、レイがいいお姉ちゃんなのだろうことはすぐに察しがつく。肩車から降りてきたエミュナちゃんを撫でに行ったところを見ても、それは明白だった。


「エミュナ、おとおさんだいすき。れーちゃんは、おとおさんすき?」


「んー? まあ、いい人だと思うよ。会ったばっかなのに、家入れてくれてさ」


「ちがうー。あっちの」


 エミュナちゃんの小さい指の先には、ガルフリッドさんがいた。


「いっ……⁉ あのジジ……おっさんは、オレの親父じゃねぇから!」


「じゃあ、だれー?」


「あー…………部下?」


 レイのほうがリーダーだから、間違ってはいないのかもしれないけど……。「仲間」という言葉は使いたくなかったらしい。エミュナちゃんはよくわかっていないようで、首をかしげている。


 一方、部下呼ばわりされたガルフリッドさんの隣では、すでに酔いが回りきっているらしいゼクさんが豪快に笑っていた。


「オヤジよお、随分な言われようだなぁ?」


「うるせぇな……。お前だって、あのお嬢ちゃんの言いなりじゃねぇか」


「あぁ?」


「昔のお前なら、魔族なんざ目に入っただけでぶっ殺しにかかってたろ。それがどうだ、あのお嬢ちゃんが言い出すまでもなく見逃してやがる。俺は正直たまげたよ。どういう風の吹き回しだ?」


 確かに。以前のゼクさんからすれば考えられないほど、魔族にも優しくなった。もちろん、魔族への恨みは完全に消え去ったわけではないのだろうけど……今は、私に合わせてくれている。

 ゼクさんはお酒の入った赤ら顔のまま、眉間に皺を寄せた。


「……うるせぇな。牢屋ぶち込まれたせいで、あのアホに付き合ってやるしかなかったんだよ」


「それにしちゃあ、えらく聞き分けがいいな」


「るせぇってんだよ、クソジジイ!」


「ふふっ」


「何笑ってんだコラァ!!」


 思わず噴き出してしまったのを咎められても、怖くないどころかますます笑いそうになってしまう。そんな私たちを、ヨブさんは不思議そうな目で眺めていた。


 そのうちにキッチンからマリオさんがひょっこりと顔を出して夕食の支度ができたことを告げると、ゼクさんの不機嫌は一瞬で吹っ飛んで、料理の香ばしい匂いのするほうに引き寄せられていた。



 大人数をまかないきれる設備のないこの家では、食事といっても屋内でキャンプをしているような恰好になってしまう。テーブルと椅子はもはや邪魔なので脇によけてもらい、全員で床に座って食べるという雑然とした光景が広がっていた。


「すみません、狭くて……」


「いえ、こちらこそお邪魔しちゃって」


 申し訳なさそうに背を丸めているヨブさんの膝の上で、エミュナちゃんが普段と違った状況にキャッキャとはしゃいでいる。


 かくいう私も、この雑多な食事風景を楽しんでいる1人でもある。人が大勢いて、それぞれが好き好きに寛いでいるこの空間に、どことない居心地のよさを感じる。


 ……ただ、レイのところからなぜか射るような視線がたびたび飛んできて、そのときだけは妙に居づらくなる。ゼクさんには懐いても、私はまだ嫌われてるんだろうか。唯一椅子に座っているロゼールさんがクスクス笑っているから、深刻なものではなさそうだけど。


「おい」


 レイから視線だけでなく低い声まで飛んでくる。明らかに不機嫌そうだ。


「な、なに?」


「お前、なんで勇者やってんの?」


「なんでって……最初は、<ゼータ>の監視役みたいなのを任されて――」


「そういう話じゃねぇよ! こう、魔王をぶっ殺してやりたいとか、家族を守りたいとか……」


 経緯というより、意気込みのようなものを聞きたいらしい。それなら、答えはすぐに浮かぶ。


「お兄ちゃんが勇者だったの。本当に強くて、本気で魔王を倒そうとしてた。それで、私もそういう人たちの力になりたくて……。戦う力はないけど、少しでも役に立てたらいいなって思ってるよ」


「……ふーん」


 そっけない返事だけど、レイは一応は納得してくれたみたい。


「そいつがヘッポコでも、魔王は俺がぶっ殺してやるから安心しろい」


 いまだアルコールを摂取し続けているゼクさんが、呂律の怪しい喋り方で頼もしいことを言ってくれた。


「……魔王様は、恐ろしい方です」


 ヨブさんがぽつりと、それでいて重々しい言葉を落とす。


「あの方は他に類を見ないほど強く、知恵が回り、そして……残酷です。あの方がいなければ、我々も魔界に帰れるかもしれませんが……」


「じゃあ、あと2回引っ越しが必要だな」


 ゼクさんは得意げに鼻を鳴らすが、ヨブさんは表情を曇らせたままだ。


「私は――魔界では、王城の牢屋番をしておりました。そこは連れ去られてきた人間が収監される場所で、大勢の人間たちがそこで血と涙を流し、果てていくのを見ました」


 心地よい賑わいはいつの間にか消え去って、淡々と紡がれるヨブさんの言葉を邪魔しないよう、他の全員が沈黙していた。


「今でも記憶に残っているのは――白髪の美しい王女と、同じ髪の色をした子供です」


 ゼクさんの真っ赤な瞳がみるみる縮んでいき、ヨブさんの俯けた顔に釘付けになっている。彼は、ゼクさんと――その母親のことを知っている。


「魔王様は残酷な方ですから、拉致した人間たちの扱いなど、穏やかなものではありません。私も命令で随分なことをしました。その罪を償わずにこうして逃亡したのですから、いまだに多くの人間から恨まれていることでしょう」


 ヨブさんは決して床から視線を動かさなかったが、誰に対する懺悔なのかは明白だった。冷たい静寂に包まれた粗末な古民家の中に、声にもならない低いうなりが染みていく。


 やがて、木の床を叩く音がカンと弾けた。


「くだらねぇ」


 空の食器を乱暴に叩きつけたゼクさんが吐き捨てる。


「結局悪いのは魔王のクソじゃねぇか。今までのやらかし全部、血反吐ぶちまけるまで後悔させてやるぜ」


 それは、彼なりの許しの言葉だった。ヨブさんはようやく顔を上げて、救いを得たような目でゼクさんをまじまじと見つめた。


「……ありがとうございます」


 今までどれだけ罪の意識に縛られてきたのだろう。涙を必死で堪えるような声から、ヨブさんの今までの苦悩がにじみ出ているような気がした。

 話についていけていないエミュナちゃんは、そんな父親を不思議そうな目で見上げていた。

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