逃亡者一家

 ふもとから離れていくにしたがって、魔物のランクも上がっていく。そうなってはもはやレイの手に負えるレベルではなくなってしまい、おもにゼクさんたちが魔物を退ける役を買うようになった。

 本気を出したゼクさんたちの前にはAランク級の魔物すら塵のごとく薙ぎ払われ、私たちの通った道は魔物たちの亡骸で舗装されていた。合掌。


 レイとガルフリッドさんは形だけ、私とヤーラ君の護衛を担当している。もちろん敵の手がここまで届くことはほとんどない。それでも、レイは不満ひとつ漏らさずにゼクさんたちの戦いを真剣な眼差しで見つめていた。


 マリオさんだけは単独で先の様子を見に行ってもらっていたのだけど、その彼が草をかき分けながら戻って来た。


「マリオさん。魔人はいましたか?」


「人は見てないけど、この先に民家があったよ。誰かが住んでる痕跡もある」


 ……こんなところに家があるのは相当不自然だけど、まだ魔人と決まったわけではない。


「どうする? こっそり近づくか、正面から突破するか」


「我々が山中で暴れていることは、先方も気づいているだろう。このまま正面から行く。それでいいか?」


 スレインさんが方針を示し、全員が頷く。マリオさんの案内に従って、私たちは謎の家に向かった。



 それは、一見すると普通の一軒家という外観だった。木造の一階建てで、庭らしきスペースには色とりどりの花が並ぶ花壇がある。ここが魔物の生息する場所だと忘れてしまいそうになる。


「どうすんだ? 呼び鈴でも鳴らすか」


 ゼクさんが扉を睨みながら冗談を口にする。窓らしきものはあってもカーテンが閉め切ってあって、中の様子はわからない。


 すると、図ったようなタイミングで木のドアがギギギと軋みながら開いた。中から姿を現したのはまごうことなき人間の男性で、ふもとの村の人が見たのは彼にちがいなかった。


「……<勇者協会>の方ですか」


 住人の男性はひどく落ち着いた声音で話しかけてくる。スレインさんが代表して受け答えをした。


「我々はこの山に魔人がいるという知らせを受けてきた。何か知っていることはないか?」


 男性は物静かに、じっとこちらを眺めている。特に慌てる様子も怪しむ気配もなく、淡々と。

 しばらく間があって、ようやく彼は口を開いた。


「……私は存じ上げません。何かの見間違いではありませんか」


 そう言われてしまっては、立つ瀬がない。私たちは魔人がいるという決定的な証拠を何も持っていないのだ。


「お前よぉ。こんな魔物どもがわんさかいやがる山ン中で、ただの人間が平穏に暮らせるわけがねぇだろ。お前が例の魔人じゃねぇのか?」


 ゼクさんが喧嘩腰に詰め寄るが、男性は微動だにせず、沈黙を守っている。その瞳には何の感情も反映されておらず、生きた人間なのかどうかさえ疑ってしまう。


 はっと気がつくと、男性の後ろにもう1つの人影がある。

 あれは、マリオさんだ。いつの間にか背後に迫っている。右手には、小さなナイフ。


 短い刃が音もなく男性の首元を裂こうとした瞬間、刃先から手首にかけてが氷に包まれた。


「その人に敵意がまったくないことくらい見抜けないのかしら、この殺人狂」


 マリオさんの右手を氷漬けにしたロゼールさんが、冷たく言い放つ。


「あなたが魔人だからって、むやみに殺すつもりはないわ。そこの馬鹿は除いてね。話し合う余地はあるわよ。ねえ、エステルちゃん?」


「え? は、はい」


 見た感じではわからなかったけれど、やはり彼は魔人で――でも、戦うつもりはあまりないらしい。ロゼールさんはそこまで見抜いているらしく、私も賛同した。


「そのひとたち、だれー?」


 この場にそぐわない幼い声が、ドアの奥から漏れ出てきた。男性が振り向いた視線の先には、まだ10歳にも満たないような、ツノの生えた幼い女の子がいた。



  ◇



 家の中は簡素ながらも素朴で落ち着いた雰囲気で、魔族が住んでいるとは思えないような生活感あふれた住まいだった。

 リビングのほうには男性の奥さんらしき人がいて、私たちを見てぎょっとしていた。


「あ、あなた……」


「大丈夫だよ」


 私たちが通された場所は、大所帯では少し窮屈に感じる。元々来客など想定していないつくりなのだろう。座れるところもないので、立っているしかない。


「狭くて申し訳ありませんが……」


「いえいえ」


「ゼクが四つん這いになって椅子になればいいのよ」


「殺すぞババア」


 ゼクさんとロゼールさんが小声で言い合っている。人の――魔人の家に招かれている緊張感とは無縁らしい。


「ヨブと申します」


 見た目は人間でも、名乗った名前は魔人そのものだ。


「ヨブさんは、どうしてここに住んでるんですか?」


「私は……魔界から逃れてここに来たのです。人間に見つからぬよう、今日まで生きてきたつもりでした」


 ヨブさんの口ぶりには、どこか諦観めいたものが伺える。いつかは見つかることを覚悟していたかのような。


「じゃあ、人間と関わったことは――」


「ありません。ここに来てから家族以外で話したのも、あなたがたで初めてです。……前に、ふもとの村人に見つかったことはありますが」


 私たちが村で話を聞いた人のことだろう。でも、何か危害を加えたわけではなかったはずだ。


「じゃあ、ヨブさんはここで家族と静かに暮らしているだけなんですね」


「ええ、まあ……」


 この家に入る前から私の意志は決まっていたけれど、それがより強固になった気がする。仲間のほうに目を移せば、私の言いたいことなどまるっきり見透かされてるみたいに、みんなの視線が返って来た。


「おい。このお人好しリーダーはお前らを見逃してやるってよ。よかったな」


 ゼクさんが半ば呆れたようにヨブさんたちに告げる。蒼白な顔で私たちの話し合いを見守っていた奥さんも、拍子抜けしたみたいに肩を垂らした。


「協会にはなんて報告しましょうか。本当は魔人なんていなかったってことにします?」


「いや、ふもとの住民にすでに見られているから――」


「あのう」


 私とスレインさんが今後の相談を始めると、ヨブさんがそっと割り込む。


「本当に、よろしいのですか。あなたがたは人間の勇者では……」


「そうですけど、普通に生活してる人を追い出したりなんてしませんよ」


 ヨブさんの色素の薄い眼が、ほんのわずか輝きを帯びる。しばしの間まばたきも忘れていて、それからおもむろに頭を下げた。


「ありがとうございます」


「そんな、勝手にお邪魔したのは私たちですし」


 ヨブさんはなかなか頭を上げようとしないので、私もちょっと困ってしまった。そこでスレインさんが話の軌道を引き戻してくれる。


「まだ礼を言うには早い。さっきも言ったように、人間の目撃者もいる。あなたがたはこの地を離れたほうがいいだろう」


「……そう、ですね。そうします」


「我々は、そうだな……ふもとの村には、魔人を倒したと伝える。が、協会には『魔人は実際にはいなかったが、村人たちを安心させるために倒したと告げた』と報告する。そうすれば、達成報告でこじれることはあるまい」


 私はうなずいて、スレインさんの作戦に従うことにした。


「レイもガルフリッドさんも、せっかく一緒に来てくれたのに、ごめんなさい」


 ひとこと謝ると、レイは急にむっとしてそっぽを向いてしまう。


「オレは別に、兄貴がやらねーってならそれに従うだけだよ」


「あの小さい娘さんを傷つけずに済んでほっとしてるそうよ」


「テメッ!!」


 内心をロゼールさんに暴露されたレイは、顔を真っ赤にして噛みつこうとしている。ガルフリッドさんも特に何も言わないが、反対する気は毛頭ないようだ。


 そんな私たちを薄ぼんやりと眺めていたヨブさんは、また静かに切り出した。


「今夜はうちに泊まっていきませんか。夜は外も危険ですから……」

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