賢くないやり方

 後日、表向きは平和に終わった魔族疑惑の事件だったが、私とゼクさんはなぜかカミル先生から診療所に呼び出された。今日は唯一散らかっていないという応接室ではなく、薬品や資料が雑多に広がる実験室のような場所に通された。


「終わった話を蒸し返すようであれなんだけど」


 カミル先生は作業のついでみたいに話し始めるが、決して軽い調子ではなかった。ここに来た時点で宿っていた不穏な予感が、だんだん膨らんでくる。


「この前、ここで血液検査をしたじゃない? あたしは検査結果に魔族の疑いなしと書いたつもりだったんだけど、知らないうちに結果が変わってたのよね」


 どきりとした。検査に立ち会ったカミル先生は、その後いろいろと裏工作が行われたことを知らない。

 どう答えたらいいか迷っている私の代わりに、ゼクさんがぶっきらぼうに言い放った。


「よく知らねぇが、中に潜り込んだ魔族のクソが、結果をいじくったみたいだぜ。そのクソはもうぶち殺したし、もう気にすることでもねぇ」


「へぇ……魔族が潜り込んだの」


 先生の声は不思議なほど無関心で、それがいっそう私の緊張を煽った。


「ところで……あたしも錬金術師の端くれだから、薬品やら何やら、ちょっと見ただけで中身がわかるんだけど」


 脱力したような目が急にぎらりと光を帯びて、ゼクさんを捉える。


「本当にもう、魔族はいないのかしら?」


 ゼクさんの両目が力強く血走る。先生はたぶん、純粋な疑問をぶつけたわけではない。血液を採取した時点で、ゼクさんの正体に気づいていたんだ。


「……もし、テメェの傍にいたら――どうすんだ?」


 空気が焼け付くような、無言の睨み合いが続く。私の心臓は早く事が収まってくれるよう訴えている。


「別に、どうもしないわよ」


 ゼクさんの突っ張った怒り肩が、すとんと落ちる。


「あたしは自分や周りの人間が面倒ごとに巻き込まれなければ、なんだっていいの。あなたが厄介な悪党なら、とっくに事を起こしてるでしょうし……とにかく、何もなければオールOK」


「そうかい。あんたが不真面目で助かるよ」


「どうも。……それと、あんまりうちの助手を連れまわさないでちょうだい」


「すみません」


 先生はアンナちゃんに協力してもらったことも勘づいているようで、私は素直に謝った。



 用が済んだ後は追いだされるように退室して、そこでばったりアンナちゃんと出くわした。ちょいちょいと手招きされるに任せて、廊下の隅に身を寄せる。


「センセ、やっぱ気づいてるっぽ?」


「ぽいですけど……見逃してもらえました。今回は」


「ま、アンナはこれからもフツーにいろいろクビつっこむつもりだからぁ、よろ~」


 カミル先生の気遣いが水泡に帰した瞬間だった。とはいえ、この間の名演技といい謎のしたたかさを持っているアンナちゃんのことだし、私もそれほど心配はしてないのだけど。


「そーいえばぁ、ガチ魔族が協会に入ってるかも~ってホント?」


 日常会話みたいに言うものだから、少し反応に時間がかかってしまった。


「そ、そうみたい……ですね」


「やっぱぁ、メレ様なのかな~? 裏のあるイケメン……マジエモ~!」


 正直、私はやっぱりメレディスさんを疑いたくなかった。協会を良くしたいという彼の意志は、たぶん本物だったから。


「だとしたらマジ謎いんだけどぉ……メレ様ってぇ、ぎょーむカイカク? めちゃがんばってんじゃん? でもぉ、だからって出世してるわけじゃなくてぇ、むしろ上の人たちから目ぇつけられてるっぽいのね。ガチ魔族だったら目的イミフじゃね? ……って、ロッキーゆってた」


「確かに……」


 メレディスさんは仕事熱心だけど、それが行き過ぎてかなり強引な行動を取ることも多い。本当に魔族やその一味なら、そんな目立つことはしないはずだ。そもそも魔族が人間の組織を改革して、何になるというんだろう。


「まーアンナたちもいろいろ調べるからぁ、エティも気ぃつけてね~。で、ぜっくんはエティを守ってあげてね~」


「言われるまでもねぇ」


 ゼクさんは拳を手のひらでパチンと叩く。頼もしいことこの上ないが、同じ<勇者協会>の人間が魔族かもしれないことを考えると、複雑な気持ちだった。



  ◆



 これ以上表立って人間と関わることは避けねばならない、と考えていたセトにとって、隣に人間が座っているこの状況は異常だった。自分たちの隠れ家ではない、公園のベンチのような場所。周囲の光景はぼんやり薄らいでいて、前後の記憶すら覚束ない。


 改めて隣にいる男の横顔を確認し、セトは自分を取り巻く状況のすべてを了解した。外見は人間そのものだが、中身は――


「久しぶりだな、セト」


 口元に微笑みを張りつけたまま、男は軽い挨拶を述べる。


「……オマエか」


「お転婆ダリアお嬢様のお守、ご苦労さん」


「本当に、胃に穴が空く寸前」


「ハハ!」


 セトの苦労を、男は爽快に笑って流す。決して馬鹿にしているのではない。彼は魔族の中でも特に風変りな男なのだから。


「心中お察しするよ。あの娘はほんと、赤ん坊より目が離せない」


「オマケにバカがもう2匹……今は1匹。人間をブチ殺したくてウズウズしてる。面倒見切れん!」


「カイン君、やられちゃったんだっけ。そりゃあ、ミカちゃんも怒るよな。憎しみの沼にハマっちまったわけだ」


 男は同情的なため息を漏らす。セトにとっては仲間の事情や心情など関心ごとではなかったのだが。


「話は聞いてる。とっ捕まったゼカリヤを助けた。何が目的?」


「ん? そうだな、ある美しい女の子を……泣かせたくなくてね」


「ハァ?」


「冗談だよ。別に、魔王様のご意向に逆らう気はないさ。そっちの仕事を邪魔する気もない」


「わかっている。必要なのはエステルとゼカリヤ」


「他の連中も生かしといてほしいな……そのほうが、後の話がスムーズだ」


「ダリアのバカにそんな難しい選別はムリ!」


「そこでお前の出番だろ? 頼むよ」


 立場上、セトは苦虫を噛み潰したような顔で無言の抗議をするしかなかった。その意が伝わっているのかいないのか、男は話を続ける。


「人間と魔族は殺し合うより、協力し合うべきなんだ。人間をうっかり殺しまくってみろ、恨みの連鎖が永遠に続く。今は戦争の真っ最中だが、和平を結べる日は必ず来る」


 それは男は昔から言い続けていることで、魔界でも人間寄りの思想を持つことが、彼の風変りたる所以だった。


「なら、まず<勇者協会>が潰れるべき。違うか?」


「そうだ。今回思ったけど、あの組織はつむじの先からつま先まで腐りきってる。まあ……親指の爪あたりに、ほんの少しの良心が残ってるかな」


「それが、潜入作戦の感想?」


「ああ。だから、腐ってる部分を全部取り除いて、わずかな真人間たちと平和的に話し合う。これが理想の形」


「理解不能。相手が反撃不能になるまで叩きのめす、こっちのが効率的」


「確かに、やり方としては賢いんだろうな。でも――」


 セトにとっては聞き飽きたことを、男は爽やかな笑顔で繰り返す。


「俺は、人間が大好きだからさ」


 少し間があって、うんざりしたような長いため息が流れる。神経質そうなセトの眉間はますます皺深くなる。


「オマエ、人間界のほうが性に合ってる。たぶん間違って魔族に生まれた」


 セトの皮肉を笑って受け止めた男は、眼鏡を直す手で白い歯を覆う。


「悪くないかもな。このまま<勇者協会>職員、メレディス・クリフォードとして生きていくってのも」

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