優しさの咎

 本部ではあの魔族らしき化物のことを簡単に報告して、すぐに解散という運びになった。

 ゼクさんも無事釈放になり、犠牲者は出たものの、事件は解決した。……が、本部から出た後の仲間たちの顔は、晴れ晴れとしたものではなかった。


「あのバケモンは何だったんだろうな」


 誰にともなく、ゼクさんが呟く。おそらくここにいるほぼ全員が抱いている疑問だった。


「魔族……じゃ、ないんですかね。やっぱり」


「あんなん見たことねぇし、魔物でもねぇだろ。元は人間だったしよ」


 ゼクさんは腑に落ちない様子だ。そこで、ずっと不機嫌そうにしていたロゼールさんがやや高い声を響かせた。


「ヤーラ君なら、わかるんじゃないの?」


 名指しされたヤーラ君は細い肩をびくっと跳ねさせて、上目でロゼールさんを覗く。彼女はすべての真相を知っているような口ぶりで、それでもあえてヤーラ君に指摘させたいらしかった。


「僕は……あれは、ホムンクルスの類いじゃないかと思うんですが……」


 その意見には納得だった。魔人ほど理性も残っていなかったし、人間が急に魔物になるわけがない。何より、錬金術師のヤーラ君がそう言うのなら。


「……そうねぇ。実は私、<最果ての街>で同じような化物を見たことがあるの。ナオミっていう魔族が人間に薬を注入して、あんなふうな無残な姿にしていたのだけど」


 夕闇色の混じったロゼールさんの碧眼が蛇みたいに這って、一点で止まる。


「スレイン。あなたも見たことあるわよねぇ?」


 釣られて私もスレインさんを見た。夕日が兜の下にくっきりと黒い影を作って、表情はまったく伺えない。


「なるほどね」


 マリオさんの妙に明るい声が、張り詰めた空気に投げ込まれる。


「本当は<オールアウト>の誰かが魔族だった、ってシナリオにするために、あの中の1人にその薬を盛ったんだね。大勢の前でホムンクルス化させて魔族っぽく見せて、最後は爆発させて証拠隠滅。とても理に適ってる」


 一人で納得しているマリオさんに、ヤーラ君が動揺したまま尋ねる。


「ま、待ってくださいよ。どうして魔族の持っていた薬が……?」


「<勇者協会>の中に本当に魔族が紛れていて、ゼクが捕まると不都合だから、ぼくたちに協力してくれたんじゃない?」


 あっけらかんと言い放ったその推測に、私は息が止まりそうになった。


「そんな……だ、誰が……?」


「スレイン、その薬はどうやって手に入れたんだい?」


 相変わらず顔を見せないまま、スレインさんは低い声で答える。


「……計画を記した手紙と一緒に置いてあった。差出人はわからない」


「やっぱりかー。まあ、今の段階で容疑者を絞るのは難しそうだねー」


 協会内に魔族がいる。なぜか、私たちに協力的な。それも気になる。気になるけれど――

 そこでロゼールさんが、ナイフみたいに冷たい声を発した。


「つまり、スレイン。あなたはエステルちゃんやゼクのために、あのお坊ちゃまたちの1人を殺したということよねぇ」


 突き刺すというよりは、刃をゆっくり体内に沈めていくような言い方だった。スレインさんは、じっと夕日に背を向けている。


「作戦を考えたのも、犠牲者を選んだのも、あのお兄さんね?」


「……」


 限りなく肯定に近い沈黙。マリオさんが空気を読まずにそれを破る。


「ぼくは、あれよりいい方法を他に思いつかないけどなぁ」


「そういう問題じゃないのよ、馬鹿人形」


 人が一人、犠牲になった。化物に変えられて殺されるという、残酷な方法で。この事実はどうあがいても揺るがない。


 それでもゼクさんを解放するには、あれ以上の方法はなかった。問題は、たぶん私だ。だから、私が何とか言わなくてはならない。


「私、言いましたよね。スレインさんが後悔しないなら、大丈夫そうならそれでいいって」


 誰も傷つかないで終えるのは無理だろうと、覚悟していた。私には他に何も言えない。起きてしまったことを、すべて受け入れるしかない。


「今日、一緒に帰りませんか」


 ようやく横顔だけ振り向けてくれたスレインさんは、親に縋る子供みたいな目をしていた。



  ◇



 帰るといっても私の家は職員寮なので、たいして歩く距離もない。だけど、スレインさんと一緒にいる時間を延ばしたいので、あえて遠回りをした。


 2人きりになってから、話は全然弾まなかった――というかほとんど何も喋らず歩いていただけだが、私は気まずさなんて覚えなかった。それでも、言うべきことだけは言っておいた。


「気にしないでくださいね。元はといえば、私が依頼を受けたのがいけないんですから」


「……君は悪くない」


「じゃあ、スレインさんも悪くないですよ」


 再び会話が途切れる。いつもは前に立ってきびきびと先導してくれるスレインさんは、今日は私の半歩後ろを雛鳥みたいについてくる。ゆっくり歩きたい私に合わせてくれている。


 ひと気のない通りに入ったところで、スレインさんは何かに気づいたように顔を上げ、ずいっと前に出てきた。どうしたのだろうと思っていると、前方に人影があるのを見つけた。


 その人物は私もよく知っていて、私たちの味方ではない人だ。


「……何の用だ、ラック」


 スレインさんは瞳に鋭さを取り戻し、静かに威圧する。目の前のラックはいつもの人を小馬鹿にしたような態度ではなくて、どこか腹をくくったような顔つきだった。


「僕たちを……はめたな? スレイン!!」


「それはこちらの台詞だが」


 スレインさんの声は、甲冑を纏ったように温度がない。対するラックは、夕闇の中でもわかるくらい顔を紅潮させている。


「お、お前は、僕の仲間を……殺したじゃないか!!」


「だったら何だ。仇討ちでもするか?」


 ラックの手元に目を凝らすと、剣の柄を震えながら握りしめている。


「忘れているようだが……ラック。先に我々の仲間を奸計にはめ、命を奪おうとしたのは――ほかならぬ君自身じゃないか。私は同じ手を使っただけだ。文句をつけられる筋合いはないな」


 スレインさんはあえてなのか、まったく悪びれる様子もなく正論を突きつけている。


「黙れぇ!!」


 逆上したラックは、とうとう剣を引っ張り出した。なりふり構わず突進してきて、棒で殴るみたいに剣を振り上げる。


 そんな素人同然の攻撃は、スレインさんの抜刀1つでガキンと弾き返される。ラックの手から離れた剣は宙を舞い、情けなく地面に転がる。

 ラックが自分の剣から視線を戻すと、首元から数ミリのところにある剣の切っ先に、ひゅっと息を飲みこんだ。


「ぼっ……僕を殺してみろ……父さんが、黙っちゃいない……!」


「それはそれは、優しいお父上だな。それで、その馬鹿息子は『魔族を見つけた』という実績が欲しいがために、人一人の命を奪おうとしたわけだ。親孝行じゃないか」


「ち……違う!」


 じっとりと皮肉を浴びせたスレインさんは、その眼光に燃えるような迫力を宿す。


「殺される覚悟もなしに、人の命を弄ぶな!!」


 真っすぐ伸びた剣が、鞭のようにしなって風を斬る。

 その刃は誰にも当たらなかったが、ラックは腰を抜かしてへたりこんだ。足をガクガク揺らして目に涙を浮かべ、情けないほど怯えている。


 スレインさんはその様子を見て、静かに剣を収めた。


「二度と我々に関わるな。……次は当てるぞ」


「……ひっ……ひゃあああああああっ!!」


 ラックは悲鳴を上げながら、猛スピードで逃げていった。その後ろ姿が小さくなって、完全に闇に消えると、スレインさんはやや自嘲気味なため息を漏らした。


「私は、悪党だな」


「そんなことないですよ」


「いや……ロゼールも怒っていただろう。奸計にはめて人を殺すのは、私も同じだ」


「それしか方法がなかったのは、ロゼールさんもわかってますよ」


「だが、そういうことを平気な顔でする奴になるなと……そう言いたいんだろう」


「じゃあ、大丈夫ですね。スレインさん、全然平気な顔してないので」


 スレインさんの大きく開かれた目が、私を見つめる。もう一度視線を落とすと、力なく笑った。


「君は、本当に……」


 ふと、ラックがどうして魔族の疑惑をでっち上げたのかがわかった気がした。優しくて穏やかな会長さん。そんなお父さんからいい子だと、できる子だと期待を持たれて――でも、そんな力は本当はなくて。それでもお父さんのことを裏切れなくて。


 いい人だって信じることが、実はその人の負担になってしまうことがあるのかな。

 気力の抜け落ちたようなスレインさんの横顔を、私はじっと眺めていた。

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