正義は勝つ

 スレインさんが<オールアウト>3人の検査を要求して、この場は一気に静まり返った。3人の中に魔族がいるかもしれないというのがハッタリだとしたら、今度は彼らが疑いをかけられているわけで、その混乱ぶりも頷ける。彼らの、身内も含めて。


「ありえん! ラックが魔族であるはずがない!」


「ええ、会長殿。あなたが人間ならそうでしょう。ですが――魔族は人間に化けられる。あなたの息子が残念ながらすでに消されていて、魔族が成り代わっているという可能性もありえます」


「そんな……!」


 スレインさんの恐ろしい仮説に、ウェッバー会長の顔から血の気が抜けていく。


「すべては検査をすれば明らかになります。人間であることが証明されれば、会長殿も安心でしょう。それに、息子の仲間に魔族が紛れていたとしたら、それこそ早く炙り出さねばなりません」


 会長は完全にスレインさんのペースに乗せられているし、人事部長もスレインさんの主張が妥当だと判断したのか、ほとんど口を出さない。


「で、では……ゼクの再検査およびラック――<オールアウト>3人の血液検査を……」


 会長が決定を下そうとしている最中――<オールアウト>の1人が、明らかに尋常でない様子で頭を抱えているのに気づいた。彼はラックの後ろで、血走った目玉をめいっぱい開き、異様な量の汗を滴らせている。


「……どうした?」


 さすがにラックも気づいたようで、様子のおかしい仲間の顔を伺う。

 直後、スレインさんの鋭い声が飛んだ。


「ラック、離れろ!!」


 きょとんと振り向いたラックの背後で、苦しんでいた男の背中が大きな泡みたいに膨れ上がった。


「おごっ……うぼおおおおおおおおおっ!!!」


 おぞましい悲鳴をほとばしらせた男の身体は、徐々に腐ったような色に染まり、ゴキゴキと痛々しい音を響かせながら四肢を変形させ、異形の怪物と成り果てた。

 辺り一帯がパニックになりかけている中、スレインさんが叫ぶ。


「逃げろ!! 奴が魔族だ!!」


 部屋にいた人々は我先にと出入口に押し寄せる。あの人ごみではかえって危険だと思い、私は机の下に身を潜めた。


 改めて、人間だった化物の姿を観察する。腐り落ちた目玉、ねじ曲がった枯れ木を雑に繋ぎ合わせたような肢体。あれは本当に、魔族?


「おい、俺はどうすりゃいいんだ」


 剣を構えているスレインさんの横で、ゼクさんが手錠をガチャガチャ引っ張っている。今すぐにでも戦いたいのだけど、拘束されているせいでまともに動けないから、なんとかしてくれという意味だ。


「知らん。自分で引きちぎれ、馬鹿力」


「あぁ? 無茶言ってんじゃ……ぬおらあああっ!!」


 ゼクさんが力いっぱい両腕を反対方向に引っ張ると、手錠の鎖がパンみたいにブチンとちぎれた。今さら驚くことでもないですけどね。


「とりあえず、このバケモンぶん殴りゃあいいのか?」


「気をつけろ。迂闊に殴れば、あの粘性の身体に拳を取られる」


 スレインさんはあの化物のことを知っているような口ぶりだ。


「じゃ、どうすんだよ」


「君には武器もないし、部屋が狭くて動きづらい。いったん外に出す」


「っしゃ」


 ゼクさんは拳をコキコキ鳴らす。……外に出すといっても、ここは3階だ。いったいどうやって?


 まずはスレインさんが、椅子と机を踏み台にして化物に飛び掛かった。化物はねじくれた腕を長く伸ばして迎え撃つが、スレインさんは空中で身体を捻って受け流し、懐に潜り込んで落下の軌道に合わせて刃を滑らせる。


 化物は斬られた痛みなど感じないのか、空いているもう片方の腕を叩きつけようとする。スレインさんは素早く立ち上がり、飛びのきざまに迫りくる腕に一太刀浴びせた。


 ジャイアントのときと同じだ。スレインさんが細かく立ち回って敵の気を引き、その間にゼクさんは――

 ……彼は、部屋の中の邪魔な机をせっせとどかしていた。


「うし」


 一息ついたゼクさんの目の前には、化物に続く一本の花道が出来上がっていた。彼は壁を背に姿勢を屈め、スレインさんが化物の足を崩したタイミングで、一気にスタートを切る。


 空気抵抗を弾き飛ばす勢いの猛スピードでゼクさんは疾走し、化物の数歩手前でどすんと踏み込んで跳躍、そのまま丸太のような両足を思いっきり突き出した。


 その隕石が突っ込むみたいな飛び蹴りは見事クリーンヒットし、勢いそのままにゼクさんと化物は壁のほうまで飛んで行って、激突。壁はクモの巣状のヒビを走らせて瞬間的に崩壊、瓦礫ごと外に飛び出す1人と1体――


「って、ゼクさん⁉」


 私は思わず机の下から出て、崩れた壁の大きな穴から外を見下ろした。


 ゼクさんが化物を足蹴に立っていて、とりあえず無事そうだったのはよかったが――その足場がぶよぶよと動き出し、戦いが終わっていないことを示した。

 足を取られたゼクさんはぐらりとよろめき、起き上がった化物の腕に絡めとられる。


 下の中庭にいた人たちは、突如降ってきた異形の怪物に悲鳴を上げ、逃げまどっている。ゼクさんはただ一人、化物の腕と格闘して脱出を試みていた。


「ゼクさん!!」


「大丈夫だ」


 すぐ傍でスレインさんが呟いた。直後、化物の動きが空中で固定されたみたいにピタリと止まる。

 ひと気のほとんどなくなった中庭に、よく知っている人影が3つ。


 見えない糸を手繰って化物を拘束しているマリオさん、のん気なことにこちらに小さく手を振っているロゼールさん、自分の背丈より大きい剣を抱えているヤーラ君……。


「みんなを呼んでいたんですね」


「そうだ」


 スレインさんの周到ぶりには感服だ。でも、それってあの魔族……らしきものが暴れることを想定していたってこと?


 再び下に目を向ければ、ゼクさんは化物の腕から脱出していて、ヤーラ君から剣を受け取っている。

 化物が己の怪力だけで糸を引きちぎると、すかさずロゼールさんが足元を凍らせて自由を奪った。


「おおおおおおおおおおッ!!!」


 天高く轟く雄叫びとともに、ゼクさんが野太い刃で化物の身体を両断した。


 どす黒い体液が噴き出して辺り一帯を染め上げる。臭いがひどいのか、ロゼールさんが口元を手で覆いながらゼクさんに何か文句を言っていた。

 これで脅威は去ったと安心しかけていたとき、スレインさんが声を張り上げた。


「早く離れろ!!」


 見ると、真っ二つに分かれた化物の身体がそれぞれ泡のように膨張している。限界まで迎えたそれは一気に爆発し、体液も肉片もぐちゃぐちゃに炸裂した。


 幸い、その爆発に巻き込まれた人はいなかった。ロゼールさんが氷の壁を作って、みんなを守ってくれていたのだ。私はひとまず、胸をなでおろした。


 今度こそ危機が去ったというタイミングで、協会の関係者らしき人々がゼクさんたちのほうに集まっていくのが見えた。



  ◇



 あの戦闘の直後、私たち<ゼータ>は広い会議室のような場所に通されて、またしても会長を始めとする上層部の人たちと顔を突き合わせることになった。ただし、今度は私たちを怪しむ態度ではなく。


「君たちには本当に感謝しなくてはならないね。それから、今までのことを心からお詫びしたい」


 会長は一転、申し訳なさそうに身を縮めている。スレインさんが俳優みたいな笑顔でそれに応じた。


「お気になさらず。すべては、人間に化けて協会に紛れ込んだ魔族が悪いのです。……一応確認しますが、ゼクへの容疑や<ゼータ>の活動停止については――」


「もちろん、すべて撤回する。むしろ、魔族を退けたぶんの報酬も用意しないとな」


 これで一件落着……なのだろうけれど、まだ何か、胸の中に薄い霧がかかったような妙な気分が晴れない。


「まったく、よりによって息子のパーティに紛れ込むとは……おまけに狂言をでっちあげて我々を翻弄する始末。警戒を強めねばならないな」


 苦渋の皺を作った会長は、愛しい我が子に視線を移すと、即座に慈愛に満ちた表情に塗り替えた。


「ああ、ラック! 可哀そうに、怖かっただろう? 大事な仲間も失ってしまって……。だが、お前は何も悪くないのだからね。お前は優しい子なのだから……」


 優しい父からの慰めを受けたラックは、固く口を結んだまま、床の一点をずっと睨んでいた。

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